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喫茶 トキカサネ ~この一杯だけ、時間が止まる~  作者: MMPP.key-_-bou
第三部 ~この背中を、見ていた~

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第一話 「父の背中、遠くて近くて」

 俺の父は、いつも忙しかった。

 朝は誰よりも早く出ていき、夜は誰よりも遅く帰ってくる。土曜も日曜も関係なく働いていることも多かったし、俺が小学生の頃なんて、「パパと遊ぶ時間」は特別なご褒美みたいなものだった。


 高校生になった今、その距離はさらに広がった気がする。

 いや、正確には「近づこうとしてない」のは、俺のほうかもしれない。


「おはよう」


 朝食の席で、母さんが声をかけてくる。父さんはもういない。


「お父さん、今日も早いのね」


 母さんは苦笑いしながらトーストを焼く。

 スマホをいじりながら、俺は適当に相づちを打った。


「うん……」


 ふと、リビングの棚に目が止まる。そこには、昔、図工で作ったゴツゴツした青いマグカップが飾られていた。

 あれは、小学3年のときだった。焼き物の授業で作った、世界一いびつなマグ。

 それを父さんは、「これが一番飲みやすい」って笑って、今でも毎朝使っているらしい。

 不器用で、真面目で、家族にはちょっとだけ不器用な父さん。

 でも、たぶん、俺にとって初めて尊敬した「大人」だった。


 高校では、進路の話が本格的に始まっていた。


「大学、どうするの?」


 先生も友達も、みんな将来の話をしてる。

 けど俺は、正直ピンと来ていなかった。

 何がやりたいか分からない。何ができるかも分からない。

 そんなモヤモヤのなかで、ふと、父さんの仕事について考えるようになった。


 会社では課長だとか部下が7人いるだとか、仕事が大変だとか、母さんから断片的に聞いてはいたけど、実際何をしているのか、どう働いているのか、俺はよく知らなかった。


「一日、父さんを見てみたいな」


 ふと思った。

 いや、きっと昔から思ってたのかもしれない。


 そんなある日、ちょっとした事件が起きた。

 部活から帰ると、母さんが電話をしていた。相手は父さんの会社の人らしい。


「えぇ、急に体調を崩されたようで……いえ、病院には……えぇ……」


 心臓がざわついた。


「どうしたの? 父さん、倒れたの?」


 思わず問いかけると、母さんは電話を終えてから、ゆっくり頷いた。


「大丈夫よ。ただの疲れだって。でも……」


 でも——が続く言葉の重さを、俺は初めて真正面から受け止めた気がした。

 病院に向かう車のなか、俺はずっと無言だった。

 父さんが病気になったなんて。自分でも驚くほど動揺していた。


「大丈夫。点滴受けて、少し休めばすぐ元気になるって。先生も言ってたし」


 母さんがそう言ってくれても、胸の奥にあるザラザラした不安は拭えなかった。


 そして、病室。

 ベッドの上には、少し痩せた父さんが静かに横たわっていた。

 いつもは背筋がピンと伸びてて、会社の誰よりもキリッとしてるって母さんが言ってたけど、今はただ、ちょっとだけ眠ってるおじさんだった。

 いや、父だった。


「……お父さん」


 声をかけると、ゆっくりと目を開けた。


「お、来たか」


 それだけ言って、父さんは笑った。

 あの、昔から見てきた、不器用だけど温かい笑顔だった。

 なんだよ、そんなに心配するほどじゃなかったじゃん。

 そう思った瞬間、目頭が熱くなった。


「……倒れるほど働くなよ、バカ」


 泣きそうな声で言うと、父さんはちょっと照れくさそうに言った。


「倒れて初めて、気づいたんだよ。休むのも、仕事のうちだってな」


 病室で、二人で話した時間は、俺にとっては宝物になった。

 仕事の話、部下の話、珈琲の話、そして……俺が小学生のときに作ったマグカップの話。


「毎朝な、あれで飲むと、心が落ち着くんだよ。不思議と、時間が止まる感じがする」


 父さんがそんなことを言ったとき、俺は何も返せなかった。

 でも、心のなかで、何かが動いた気がした。


 次の日、父さんは退院して、また仕事に戻った。

 だけど、なぜか表情が柔らかくなっていた。


「今朝は、ドリップの時間を3分にしてみた。いい香りが出たぞ」


 そんな、どうでもいいことをわざわざ報告してきた。


「ふーん。よかったじゃん」


 そう返した俺もまた、今までよりちょっとだけ素直に笑えた気がした。

 家のなかの空気が、少しずつ変わっていく。

 父さんが変わったのか、俺が変わったのか。それは分からない。

 でも、俺は思った。


 ——この人の背中を、ずっと見てきたんだ。


 遠くて、近くて、眩しかった父の背中。

 いつか、あの背中に追いつきたい。

 いや、追いつく必要なんてないのかもしれない。

 ただ、ちゃんと向き合いたい。

 そう思った高校生の秋のことだった。


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