4.策略の婚姻式――断罪への扉
最終話への秒読み開始です。
少し長くなりましたが、お付き合いください。
「伝統に倣うという名目で、婚約式は王族と婚約者の家族、交流国の特使たちのみで行うことで陛下から許可をもらったよ。」
「王宮内で、わたしは今だに『意識不明の重体』ということになっていますから。」
ユリアがユリウスの言葉に、満足そうに答えた。
ビリングストン王国の伝統的な婚約式が執り行われれば、国内の貴族は、どれだけ地位が高かろうが、婚約お披露目の夜会まで、ユリアの姿を実際に見ることは叶わない。ユリアとユリウスは、それを利用して情報操作を試みることにした。
伝統的な婚約式が開催されることと、その日が公式に発表されると、口性のない者たちはこぞってユリウスの批判を口にし始めた。
「信じられん。ユリウス殿下は、婚約者不在のまま、式をなさると決めたらしい。」
「陛下がお許しになったのか?」
「今まで蔑ろにしてきた公務をなさると宣言したらしいぞ。」
「いまさら……王太子の義務とこの無茶な要求を取引に使われたと?」
王宮内ではユリウスに対する不信感が一気に募っていった。それは、第二王子派と呼ばれる貴族たちにとっては嬉しいニュースでしかなかった。
「ユリア、悪いニュースだ。」
忙しさに少し疲れた顔をしたユリウスが、慌てた様子で、お見舞いと称した報告会にあらわれた。
「政敵のもとに送り込んでいた数名の使用人の正体がバレたと報告があった。痛い失態だ。」
空気が一気に張り詰める。
「どういう状況ですの?」
「定期報告がなされなかったと。」
「どれくらい?」
「二度ほど。」
「ならば、ここ五日ほどのことですわね。」
ユリアがあごに手を当て考え込む。
コンコン
扉を叩く音に過敏に反応したユリウスに対して、思考に集中しているユリアはその音にさえ気づいていない様子だった。
「殿下、よろしいですか。」
扉を叩いたのは、ユリウスの側近の一人、ケンドルだった。
「入れ。」
「失礼します。取り急ぎ、こちらを」
差し出された書類に素早く目を通すと、ユリウスの顔色が変わった。
「連絡が途絶えた者の一人は、黒幕のリーダーの屋敷に送り込んだものでした。」
「彼らが持っている情報の重要性は?」
「ユリア様がご無事だということも知っております。」
状況として考えられる最悪の事態が報告された。
「それは、問題ありませんわ。」
いつの間にか思考をまとめたユリアが、ユリウスたちの会話から状況を判断したようだった。
「どういう意味だい?」
こちらの情報が洩れるというのに、彼女には余裕すら見うけられる態度に、ユリウスは戸惑いが隠せない。
「情報戦において、大切なのはどれだけの局面を想定できるかですの。この状況は、わたしにとっては想定内、ご安心ください。」
ユリウスは、正式に公務を行うようになってまだ日が浅い。そんなユリウスにとって、ユリアの言葉は心強いものだった。
「もしも正体がバレた場合、その者たちにはスパイであることを認めるように告げてあります。」
ユリウスとケンドルが驚く。
「そして、身の安全を保障させるために与える情報には、嘘に真実を混ぜるようにも指示していますわ。」
その指示というのが、今一つピンとこないのか、ユリウスとケンドルがユリアの次の言葉を待っている。
「そうですわね……例えば、もっともらしくわたしが回復していると告げる。そのうえで、婚約式はわたし抜きで行われる予定になっており、その根回しに殿下が大忙しである……とかですね。」
茶目っ気たっぷりにユリアが笑みを浮かべる。
「そうか、わたしが忙しくしているのは周知の事実だ。真実は君の回復を隠して婚約式に臨むためだが、奴らにはその真相が逆に受け取られる。」
「そういうことです。わたしが意識不明になったとき、王宮は大騒ぎになりました。宮廷侍医が毎日のように詰め、日夜を問わず容体の確認のため人が出入りしていた。」
慌ただしかった日々を思い出したのか、ユリウスが顔をしかめる。
「この扉の前の護衛も、その時増やしたままですよね。」
その言葉に、二人が無言で頷く。
「だからこそ、回復したという情報の方が、ある意味怪しく聞こえるということか。」
「相手は疑心暗鬼になっていますでしょ?スパイを捕まえたところで、すべての情報が真実であるとは思わないはずです。与えられた情報から、自らが正しいと思うものだけを信じることにする。」
窓から届いた風が、ふわりとユリアの髪を揺らした。
「――思い込みとは時に、とても恐ろしいものですから。」
ユリウスから感嘆のため息が漏れる。
「宮廷侍医さまのお言葉は正しいですわ。人によって毒の効力は異なるもの。だからこそ、情報戦における嘘と真実はさじ加減が難しい。けれど、ユリウスさまの調査で、関係者はほぼわかっていますでしょ。その上で、わたしの経験から知り得るその人柄を考慮し策を講じれば、良いだけのこと。ちょうどいい塩梅に、毒を仕込む、とでも言いましょうか。」
ユリアが静かに微笑む。
「そして、スパイであると身バレした者には、二重スパイとして働いてもらうことにもなっていましてよ。」
その言葉には、さすがのユリウスもケンドルも顔を見合わせた。
「あとは――光の魅力に抗うことのできない哀れな羽虫のように、あちらから罠にかかってくださることを待つだけですわ。」
嘘と真実を巧みに混ぜる。それが毒のようにゆっくりと人々の心を侵食していく。ユリアの情報操作術は目を見張るものだった。宮廷内の魑魅魍魎をもろともせず、巧妙に罠を仕掛けていく。
「適材適所のエキスパートと言われる所以は、その人柄を読む力にありますの。その方の人となりを知ることができなければ、その人にふさわしい役割など、提案できませんでしょ?」
情報処理の的確さとスピードに驚いたユリウスに、ユリアがそう言って笑った。聞けば、公爵家の人事を任されていただけでなく、公爵の政務を手伝って宮廷内の人事にも一役買っていたというのだ。
「わたしが恐ろしくなりました?」
この場合、策を講じるというよりも、罠を張り巡らしていると言った方が正しいだろう。それはまるでブラック・ウィドー(黒い未亡人)と呼ばれる蜘蛛のようだ。オスを食い殺す性質を持つ恐ろしい蜘蛛……罠にかかる哀れな政敵たちを仕留める瞬間を待っている。ユリウスの目に、今の自分がどう映っているのかが、ユリアは急に怖くなった。
――あなたに疎まれたくはない。
俯きかけたユリアに、優しい言葉が降ってくる。
「いや、改めてわたしの婚約者がいかに優秀なのかを実感していたよ。」
苦笑いするユリウスに、ユリアも困ったように笑ってしまった。
ユリアの人事経験は、国王陛下の耳には届いていたのだろう。ユリア自身が当事者であることも考慮して、国王陛下は、この件の処遇に関する権限を、すべてユリウスとユリアに与えていた。
「もちろん、その決定に対する責任も二人が負う――その覚悟はあるのだな。」
王の責務の一部を譲り渡す。その重責の重さを感じさせる言葉だった。
そして、厳しい表情で国王がユリウスを見つめていたのもまた印象的だった。それに対し、ユリウスは一歩も譲ることなく頷いた。まるで、無言の約束が交わされたような、厳かな雰囲気がそこにあった。
ユリアは、そのユリウスの凛々しい姿に、万感の思いがこみ上げ、涙を必死にこらえた。
同時に、心に浮かんだ一抹の不安がユリアにわずかな戸惑いを覚えさせた。
「ユリウスさま、大丈夫ですか?」
彼は本来、とても優しい人だ。怒りを持ち続けるのも存外大変なことをユリアは知っている。今回の事件の調査と処遇の決定権は、温和な彼の住んでいた世界の真逆の出来事言ってもいい。そんな生臭い事件に巻き込んだのは、間違いなく自分なのだ。
――もし、わたしが毒になど倒れてさえいなければ……
どうしても、ユリアの中にはユリウスを追い込んでしまった負い目があった。
「あなたに必要のない重責を、わたしが背負わせてしまったのではないですか?」
目覚めたときのユリウスの厳しい表情が忘れられない。それは、ほんの一瞬のことだったが、あれほど激昂した彼を見たのは、後にも先にもあの時だけだった。
「ユリウスさまは、巻き込まれてしまっただけなのに……もし、この策が失敗すればユリウスさまを危険に晒し……最悪は」
「ユリア。」
ユリアの恐れを弾くように、ユリウスの優しい声が届く。そっと両手を掴み、隠されることのなくなったアメジストの瞳がユリアの不安を捕らえる。
「この事件を処理することはわたしにとってとても大切なことだ。陛下は、おそらくわたしの器量を試されている。」
「ユリウスさまも、お気づきになられたのですね。」
「あぁ。優しいだけでは、国王は務まらないからね。それに、いくら妃が優秀だとしても、隣に飾り物のように座っている国王になるわけにはいかないだろ?」
重くなった空気を茶化すようにユリウスが笑うのにつられて、ユリアからも笑みがこぼれる。
「それともうひとつ、わたしには絶対譲れない理由がある。」
ユリアの髪をひと房持ち上げ、ユリウスが軽く口づけて耳元にかける。
「君が怒らないから、わたしが怒っているのだよ。」
甘い雰囲気とはかけ離れた言葉に、今度はユリアが目を丸くした。
「あら、わたしが怒っていないと思っていらっしゃるのですか?」
照れ隠しも手伝って、ユリアも応戦する。
「いや……さっきの発言で、その認識は改めたよ。君はかなり怒っていたのだね。」
会話の意図を察したユリウスが苦笑いする。
そう、つい先ほどの会話で、ユリアはあえて『羽虫』という表現を使った。対象が自分ではなかった不慮の事故であろうが、自分に対して意図した殺人未遂だろうが、生死を彷徨ったのは事実だ。そしてそれは、事故ではなく『毒』という人為的に引き起こされたものだった。
「当然ですわ。あなたを苦しめた卑怯者を許すことなんてできません。」
ユリアの憤りは、『死にかけた』という事実より、『ユリウスに心労をかけた』という一点に絞られていた。
「そこは、自分の命を狙われたことに対して怒ってよ。」
ユリアの手を取り、ユリウスが呆れたように笑う。
今度は額に、優しい口づけを落とす。
「それに対しては、ユリウスさまが怒ってくださったでしょ?だったら、わたしはあなたのために怒りたいのです。」
ユリウスの真っ直ぐな愛情表現にまだ慣れないユリアは、頬を赤らめて少し拗ねた顔を見せる。
その仕草にユリウスが目を見開く。
「同じ相手に怒っているというのに、理由で言い争う必要はないか。」
ユリウスの言葉に、二人は見つめ合い同時に笑う。
――出会った頃の、自信のない王太子殿下はもういない。
風に揺れる薄紫の髪と、窓辺から差し込む淡い光を浴びて輝いて見える笑顔に、ユリアは愛おしさを噛みしめていた。
***
「ユリア、入ってもいいかい?」
コンコンと扉を叩き、ユリウスがユリアに声をかける。
「ちょうど準備が終わったところですわ。」
婚約式は、互いの色をコーディネートした正装を身に着けることが習わしだ。
ユリウスはユリアの瞳と同じ藍色の礼服に銀糸の刺繍。
ユリアは薄紫のマーメイドスタイルのドレスにアメジストの装飾品。
ため息が出るほどの美しさ――今日の二人を形容するのに、これ以上相応しい言葉はなかった。
あれほど揉めたユリウスの前髪も、今日は短く整えられ後ろにきれいに流されている。髪に隠れることのないアメジストの瞳は、きらきらと光を反射しているようにも見える。
「ユリウスさまの瞳は、やはりとても綺麗ですね。」
数十分にわたる押し問答を思い出して、ユリアが少し笑った。
「やはり、君は正しいね。わたしも、君がよく見えて嬉しいよ。」
ユリウスがあたたかい眼差しを向ける。
「行こうか。」
ユリウスの肘に手をかけて、二人はゆっくりと歩幅を合わせて聖堂へと歩き出した。
「互いを尊重し、共に高め合い、支え合うパートナーとなることをここに誓ってください。」
司教さまの言葉に、ユリウスとユリアが同時に参列者に向き合う。
その二人の美しさに、参列者たちからため息がこぼれた。
王宮内では、意識の戻らないユリアがいないままの婚約式が行われるともっぱらの噂だったが、交流国の特使たちへの対応は万全だった。その作戦は功を奏し、この婚姻式に参列した招待客の中に、違和感を持つ者はいないようだ。
――こうして無事に、婚姻式を迎えることができた。解毒が間に合わなければ、わたしはここには……
そこまで考えて、ユリアは思考を止めた。
不安げに揺れる瞳に気づいたユリウスが、そっとユリアの手を握りしめたからだ。
目が合って微笑み合う。
「お似合いのお二人だ。」
参列者たちの中から、誰かがつぶやく声が聞こえた。
ユリウスが驚くほどの変貌を遂げたことは、国王夫妻の目にも明らかであった。それでも、公式の場での対応には、少なからず不安が残っていた。二人の眼差しにあった気遣いは、その参列者の言葉に払拭された。
――さすがですわね。
特使たちへゆっくりと視線を向けたユリウスの横顔は、自信に満ちていた。
訓練を始めたばかりの頃に見えた気弱さも、不安も、今は微塵も感じられない。
――ユリウスさまは本当に変わられた。
ユリアは少しだけ、彼の手を握る指先に力を込めた。ぴくりと僅かにユリウスの指が反応する。きゅっと優しくユリアの手を握り返すと、手の温もりが全身に広がった。
「ユリウス・フォン・ビリングストンとユリア・イグナシオは、今日この日をもって、正式に婚約者となったことをここに宣言いたします。」
招待客がどよめく中、ユリウスが優しくユリアに微笑みかける。
その笑顔を合図に、聖堂が割れんばかりの拍手が響き渡る。
「これで、ビリングストン王国は安泰ですな。」
「良くない噂は、あくまで噂だったということですか。」
特使たちの言葉に、国王は誇らしげに、王妃は安堵した様子で二人を見つめていた。
「陛下、あの子はもう大丈夫ですわね。」
王妃の言葉に、国王は少しだけ難しい顔をする。
「残念だが、まだ安泰とは言えん。」
「それは……」
「心配はいらん。今日中に片が付くはずだ。だが、わたしはそれまで何も言うことができんのだ。」
心配ばかりさせられてきた息子の晴れ舞台だ。喜びの気持ちを抑えなければならないのは、国王としての矜持だ。それでも、信頼できる婚約者を得て驚くほどの変貌を遂げたユリウスを誇りに思う気持ちは隠しきることなどできるはずがなかった。
「今は、あなたの分までわたしが喜んでおきますわ。」
王妃のその言葉に、国王が一瞬だけ苦い顔をした。
「婚姻式では、やはり何も起こらなかったか……」
婚姻式に参加した特使の一人が、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
隣国の皇太子――独自の諜報部員を持ち、常に有利な外交条件を結ぶため情報戦に置いて容赦ないと言われている人物だ。壇上でしあわせそうに見つめ合う二人を見ながら、彼の口元は僅かに緩んでいた。
「王族の婚約ともなれば、単純なハッピーエンドとはいかないものだ。さて、この二人はどうするのかな?」
祝福ムードに包まれるなか、彼のその表情だけが、聖堂に僅かな影を落としていた。
本来は有能なユリウスが、
最強のパートナーを得たことで
王太子としての才能を余すことなく発揮しました。
次回、最終話『断罪の行方――想像を超えた未来へ』
いよいよ黒幕が明らかに――
二人はどんな結末を望み、何を選ぶのか――
ご期待ください!




