3.ユリア、暗殺未遂!ユリウスの覚醒
婚約式を一ヶ月後に控え、ユリウスが珍しくユリアと言い争いをしていた。
「お願いだ、これはこのままにさせてくれ。」
「そうはいきませんわ。」
このやり取りが、少なくとももう数十分続いている。
部屋に控えている侍女たちは、微笑ましそうに二人を見つめているが、当事者の二人はいたって真剣だ。
「新しく正装を新調した。それで十分ではないか。」
「ユリウスさま、それでは不完全ですのよ。」
「これだけは、ユリアのお願いでも無理だと思うんだ。」
「わたしを信じてはくださいませんの。」
上目づかいでユリウスを見上げる。
「そっ、それは卑怯だと思う。」
そっぽ向いてユリウスが呟く。優秀な婚約者は、こうして時折、悩ましい姿を見せる。しかも、彼女はその可愛らしさの有効性と使い方を熟知しているのだ。見つめていては勝ち目がないことをユリウスはよく理解していた。
「今のユリウスさまなら、必ず克服できますわ。わたしは、あなたの目を見てお話がしたいのです。」
これはユリアの心からの言葉だった。
婚約式に向けて準備をするうちに、ユリアは自分が感じたポテンシャルの高さに間違いがなかったことを確信した。貴族年鑑をすべて完璧に暗記するだけでなく、ここ数年に起きた貴族間の交流までもを、ユリウスは完璧に把握していた。当然、各領地の特産物も、有益産業も記憶している。会話がスムーズにできるようになれば、ユリウスの評価はまるっと反転するだろう。
「目を……見せてください。」
まさか、ここへきて最大の難関が待っているとは思わなかった。
ユリウスは前髪を切ることを断固として拒否しているのだ。
「前髪越しではなく、わたしを見てはくれませんの?」
ユリアは、自分が小賢しい手を使っていることを自覚している。それでも、前髪を切ることは社交界では必須だ。ならば、手段を選んではいられない。
――大事なのは、ユリウスさまとの婚約式を成功させることですもの。
顔の見えない相手と好んで話す人はいないし、それが外交や商談ともなれば、不利以外の何物でもない。この婚姻を聞かされた時、ユリアの脳裏に真っ先に浮かんだのは、王家の思惑だった。父の話では、勢力図の安定だったが、恐らくそれだけではないだろう。
――ユリウスさまにとって、わたしとの婚姻が王位継承の鍵になる。陛下は王太子であるユリウスさまに継承者としての技量の提示を求めているのでしょう。
正直に言えば、王命の政略結婚など、公爵令嬢である以上は当然のこと。それ以上の意味も、それ以下の意味も考えるだけ無駄と思ってしまえばそれだけなのだ。けれど、初めて会ったお茶会で見たユリウスは、『国王の器を持った人物』だった。考えるより先に「彼の優しさであふれる国を見たい」と思ってしまったのだ。
――わたし……自分が思っているよりずっと、ユリウスさまをお慕いしているのだわ。
本音に気づいて苦笑いしそうになったユリアの思考を止めるように、とうとうユリウスが大きなため息をついた。
「君がそこまで言うのなら……」
その声には、少しだけ不満が残っていたが、いくら不快に思ったところで、ユリウスにユリアの言葉を否定しきることは不可能だった。
「ユリウスさま、嬉しゅうございます。」
ユリウスから承諾の言葉をもらえたことに、ユリアは心から安堵した。髪結いが緊張するほど、カタカタと震えるユリウスだったが、前髪を整えることにさほど時間はかからなかった。
「やはり、こちらのほうが素敵です。このままお茶でもなさいませんか?」
嬉しさのあまり、ユリアから素直な笑みがこぼれる。
開けた視界に真っ先に飛び込んできたユリアの微笑みに、言葉を理解するより先に、ユリウスは頷いていた。戸惑いよりも、不安よりも、大切な婚約者の満足そうな笑顔に、自分の決断が間違っていなかったことを確信する。
「やはり、君の言うことは正しいな。お茶にしようか。」
ほっと一息ついて、二人が用意されたお茶を口にする。
「ユリア、飲むな。」
紅茶に違和感を感じて、ユリウスがそう告げた。
ガチャン
その声と同時に、大きな音を立て、ユリアのティーカップがテーブルに打ち付けられた。
ユリウスも舌先に軽いしびれを感じる。おそらく神経系の毒だ。王位継承権を持つユリウスは、小さいころから毒には慣らされている。けれど、ユリアは違う。目の前のユリアの呼吸が浅くなり、身体が震えだした。
「ユリアっ!」
スローモーションのように倒れ込むユリアを抱きとめることはできたが、その顔色は白磁器のように白く、唇が紫色へ変化し始めていた。
「王宮侍医を呼べ!今すぐだ!!」
ユリウスが発したとは思えないほど、大きな声が響き渡る。
使用人たちが慌ただしく動き回る中、ユリウスは側近に命じて現場を保存。同時にこのお茶会の関係者をすべて拘束させた。その指示を出しながら、腕の中で徐々に冷たくなっていくユリアを抱きしめたまま、ユリウスは生まれて初めて自分の中にあった『怒り』という感情を体験していた。
***
「殿下が気づかれるのが早くて幸いでした。解毒も上手くいったはずです。ただ……」
ユリアを治療し終えて、宮廷侍医がその容体をユリウスに告げた。
「毒の影響は人によって様々です。このまま目覚めない可能性も」
「馬鹿を言うなっ!」
温厚で人畜無害が故にないがしろにされ続けてきた王太子の激しい一面に、宮廷侍医が驚く。
「すまない。」
すぐに冷静さを取り戻すあたり、彼の本質的な優しさがうかがえる。
「まずは様子を見ましょう。眠った状態で身体は回復を試みているのです。水分補給だけは忘れずにお願いします。」
宮廷侍医はそう言うと、頭を下げて去って行った。
「ケンドル、関係者から何か聞き出せたか。」
ユリアの手を握ったまま、側近の一人に声をかける。
「お茶の準備をした侍女の話では、毒見に異常はなかったと。」
「ならば、その毒見役を呼べ。わたしが自分で話を聞く。」
「殿下。」
「怒りとは、恐ろしい感情だな。わたしが冷静さを失い、制御不能となったときは、お前が止めてくれ。」
幼いころからユリウスに従事しているケンドルだが、これほどの感情を露わにしているところを見たことは一度もなかった。穏やか過ぎるが故に悪意をのさばらせ、周囲を批判するより自分を否定してきた王太子の『初めての激昂』だった。
それからユリウスは公務をこなす傍ら、関係者への尋問と黒幕の調査に大半の時間を割いた。けれど、暗くなりすぎる前の夕刻には、宮廷侍医と共に必ずユリアの元を訪れ診察に関わり、お見舞いを欠かすことはなかった。
調査の指揮をとるユリウスは、気弱で決断力に欠けていた頃の面影は微塵もなく、ユリアが信じた優秀な指揮官そのものだった。怒りに震えた事件当初から数時間で、通常の冷静さを取り戻し、黒幕に気づかれないよう正体を掴むことに集中した。そう、表面上は『それほど頼りがいがない王子』のまま、ユリアの送り込んだスパイに証拠集めを命じ、着実に追い込む手段を整えていた。
「ユリア……わたしは、まだ君に伝えられていないことが多すぎるんだ。目を覚ましてくれないか……」
そっと指を寄せ、頬を撫でる。
「うっ……」
苦しそうに息を詰め、ユリアが動いた。
事件から十日後のことだった。
***
前髪を切ったユリウスは、見違えるほどの美丈夫だった。
もともと『顔だけ王子』と揶揄されるほどの人だ。
薄紫色の柔らかい巻き毛は、上品に風に揺れ、アメジストの瞳は誰もがため息をつくほど美しかった。体術も剣術もしっかり訓練されているその身体は、程よく筋肉が付き、すらりと伸びた手足をより長く見せていた。
「ユリウスさま、まるで別人のようですわ。」
ようやくベッドから身体を起こせるまでに回復したユリアが、調査報告をするユリウスを見つめながら苦笑いする。
「君を失うかもしれないと思ったとき、初めて優しさだけでは国を治められないと実感したんだ。」
驚いたことに、ユリアが目覚めたときには、調査はほぼ完了していた。ユリアは、命を狙われたのが自分だったからと動こうとしたが、ユリウスに止められてしまった。代わりに、毎日お見舞いという名目でユリウスが調査報告に来るようになり、黒幕を炙り出す作戦を立てることになった。
「君の命を狙った輩を許す気はないよ。」
国王となるには優しすぎると言われてきたユリウスの温厚さは影を潜め、その厳しい態度にユリアは国王としての片鱗を見た。
「ユリウスさま、恩情は必要ではありませんか?」
「君は危うく死ぬところだったんだぞ。恩情など、必要なかろう。」
「ユリウスさまらしくありません。」
「らしくなくていい。」
真正面からぶつかるユリウスが、ユリアは愛おしくて仕方なかった。その理由が、自分を害した身体ということが、さらにその喜びに拍車をかけていた。
「ならば、こうするのはどうでしょう?」
彼の気持ちを汲んで、断罪のシナリオを描く。それは、ユリアを意識不明の重体のまま婚約式を行うという、前代未聞の提案となった。
ユリウスの政敵は、龍の逆鱗に触れてしまったようです。
十日間という、決して短くない時間の中で、
ユリアを失うかもしれないという恐怖が、
ユリウスの『王としての決意』を目覚めさせ、覚醒を促しました。
次回、第四話『策略の婚姻式――断罪への扉』
愛を深め、信頼を結んだ最強カップルが、
政敵を追い込むために練り上げた策略とは――
お楽しみに!




