45 神話の時代の卓球
体育館の照明が天井からまっすぐに降り注ぎ、卓球台の青い表面に白い光の筋を描いていた。
その中央に一本、白いセンターラインが凛と走り、まるでこれから始まる決戦の舞台を静かに見守っているようだった。
すでに他の競技は一区切りついており、生徒たちの視線はこの卓球台に集中していた。
バスケットボールの熱戦も、ドッジボールの大逆転劇も、この一戦の前では霞んで見える。
体育館の片隅に設けられた観客席には、クラスメイトや教師たちがぎっしりと座り、誰もが固唾を呑んで成り行きを見つめていた。
「とうとうここまで来たな、ノエル」
イザベルが、軽くラケットを肩に担ぎながら笑った。
その顔に浮かぶ余裕は、強者のそれだった。
金髪に映える汗の粒が、緊張よりも期待を物語っている。
「お前と決勝で当たることになるのは、最初から分かってた気がするよ」
俺は淡々と返すが、内心は高ぶっていた。
全勝で勝ち上がってきたイザベルと、自分。
互いの実力は、既にこの大会内では頭ひとつ抜けていると誰もが思っている。
だが、決着はまだついていない。
「試合、始め!」
審判の声と同時に、空気が張りつめる。
サーブ権は俺。
ボールを静かに持ち上げ、集中を高める。指先に伝わるわずかな重量。感覚を一点に研ぎ澄ませる。
スナップを効かせて放たれたスピンサーブ。
軌道は低く、台に滑るように沿って、イザベルのコートへと向かっていく。
「――!」
しかしイザベルは微塵も焦ることなく、すっと足を一歩滑らせた。
左足に重心を置いた体勢から、身体をひねるようにしてラケットを差し出す。
甲高い音と共に、スピンの乗ったボールは斜めに鋭く返ってきた。
それを俺は間一髪で拾い上げる。
速い。予想以上に球速がある。
ラリーが続く。
一球、また一球――お互いの技術と反射神経の限界が試される瞬間。
強打と回転、緩急とコース取り。打ち合いはすぐに、ただの勝負ではなく“読み合い”へと進化した。
「面白くなってきたな!」
イザベルが笑みを浮かべた。
その声に、こちらも笑みで返す。
「まだ、始まったばかりだろ」
何度目かのラリーの最中、俺は意図的にコースをずらした。
深く鋭いコーナーへのショット。打点は限界すれすれ。だが――
「甘いな」
イザベルはそれを待っていたかのように、素早く横へと身体を滑らせ、カウンターで切り返す。
台の端をかすめるように飛んできたボール。間一髪、俺は下がりながらのロビングで応戦する。
会場がざわついた。
どよめきの中、二人は一切気を抜かない。
1点1点が試合の流れを決める、重い攻防だった。
得点は、常に僅差で並び続ける。
5対5。6対6。息が合うというより、読み合いの応酬に近い。
相手が何を狙っているか、どんな意図でその球を放っているか、全てを瞬時に見抜き、対応する。
1セット目は、ギリギリで俺が先取した。だが、それも油断できるほどの差ではない。
「ふっ、やるじゃねえか……」
イザベルは額の汗を拭いながら、ニヤリと笑う。
「お前こそ、最後のロングサーブを読んでたな」
「当たり前だ。お前の癖は、前から見てる」
互いの情報は完全に知れている。それでも崩しきれないのは、単純に技術が均衡しているからだ。
2セット目。
今度はイザベルの猛攻が始まった。
巧妙なフェイント、予測不能なカットサーブ、さらには回転量の多いドライブで揺さぶり、こちらのリズムを徹底的に崩してくる。
俺も対応するが、わずかに反応が遅れる。
2セット目は彼が取った。
「1対1、だな」
「次が勝負の分かれ目か……」
セットカウント1対1。最終セットに突入。
周囲の観客は息を呑んでいる。
もはや球技大会の一環ではなく、体育館全体が一つの大舞台になっていた。
「……全力でいくぞ、イザベル」
「来い、ノエル。全力の、お前でなきゃ面白くない」
最後のセット――
ラリーが始まる。
音すら置き去りにする速度で打ち合う俺たち。
飛び散る汗、空気を切る風、ラケットに伝わる衝撃。
会場全体が、息を止めている。
ボールが上下左右に揺れ、時には台に当たり、時にはネットをかすめる。
そのすべてが命を削るような応酬だった。
――そして、得点は10対10。
デュース。
あと2点。たった2点。だが、されど2点。
「そろそろ、決めにいくぞ」
イザベルがサーブの構えを取る。
俺も、ラケットを構える。
緊張が張り詰める。
金色の髪が揺れ、白球が宙を舞った――
勝負の行方は、まだ誰にもわからない。




