44 手加減
球技大会当日。
一年間の最後の学校行事となるこの日、教室内は朝から活気に満ちていた。
普段は授業を受けるだけの空間が、今日は戦いの舞台へと変わる。
クラスメイトたちはそれぞれの競技に向けて気合いを入れ、優勝を目指そうと士気を高めていた。
――そんな中、天気だけは味方をしてくれなかった。
窓の外を見れば、灰色の雲が空を覆い、小さな雨粒が静かに降り続いている。
昨夜の天気予報では「曇り」とのことだったが、朝になってみればこの有様だ。
グラウンドで行う予定だったサッカーやドッジボールは後回しとなり、先に室内競技であるバレーボールと卓球が実施されることになった。
体育館を使用するバレーボールと卓球は影響を受けないが、外での競技を予定していた連中は、やるせない表情で窓の外を見つめていた。
「ノエル、今日の調子はどうだ?」
そんな中、俺のすぐ横から気軽な声がかかる。
視線を移せば、金髪を少し乱しながら、イザベルが笑みを浮かべて立っていた。
彼は特に緊張している様子もなく、いつも通りの調子で話しかけてくる。
この手のイベントが嫌いではないのだろう。
「至って普通だな」
俺は肩をすくめながら答える。
「それは頼もしいな。まあ、お前が調子を崩すなんてことはないか」
イザベルは満足そうに頷くと、軽く椅子に腰をかけた。
その動作すらも無駄がなく、無意識のうちに体のバランスが取れているのがわかる。
こいつ、やはり運動神経がいいんだよな……。
「お前はどうなんだ?」
「俺か? まあまあだな。昨日の夜にちょっと張り切りすぎて筋肉が少し張ってるが、大したことはない」
そう言いながら、イザベルは自分の腕を軽く回す。
確かに体がほぐれていないようにも見えるが、試合には十分対応できそうだった。
「お前は何か調整したのか?」
「いや、特に。いつも通り過ごしただけだ」
「はは、それがお前らしいな」
イザベルは俺の言葉に笑いながら頷き、椅子の背もたれに軽く寄りかかった。
「少しは手加減してあげなさいよ。そうじゃないと怪我人が出るわ」
呆れたような声が響く。
教室の扉が開き、そこから入ってきたのはかぐやだった。
長い黒髪を肩の後ろで束ね、腕を組んだまま、こちらを鋭い目で見つめている。
「あんたらが真剣勝負をするのは勝手だけど、相手が誰であれ全力っていうのはどうなの?」
言いながら、かぐやは俺とイザベルを交互に見やる。
イザベルは相変わらず軽い調子で微笑んでいたが、俺は特に気にせず、ただ静かに彼女の言葉を聞いていた。
「……いつも手加減はしているのだが」
「そうだぞ、ちゃんと調整はしてるさ」
俺たちは顔を見合わせて同時に答える。
「はぁ……聞いた私が馬鹿だったわ」
かぐやは深々とため息をつき、呆れたように頭を振った。
けれど、その顔にはどこか諦めにも似た苦笑が浮かんでいる。
「まあいいわ。せいぜい相手に怪我をさせない程度にしておきなさい」
そう言い捨てると、かぐやは俺たちの隣の席に腰を下ろした。
卓球の試合が始まる頃には、体育館の中にはすでに多くの生徒が集まっていた。
雨の影響で屋外競技が後回しになったため、室内で行われる卓球とバレーボールに観客が集中しているのだ。
卓球台が並べられた一角には、出場者たちが既に集まり、それぞれの試合に向けて準備を進めていた。
イザベルと俺も、その中に混ざっていた。
「いよいよ試合開始だな」
イザベルが肩を回しながら言う。
彼の目には、いつもの余裕がありつつも、内に秘めた闘志のようなものが感じられる。
「お前の相手は誰だ?」
「ええと……」
俺は壁に貼られた対戦表を確認する。
シングル戦はトーナメント形式で行われ、勝ち上がった者同士が決勝で対戦することになる。
「俺の初戦は……三組の渡辺か」
「ああ、あの大人しそうな奴か? たしか、運動は得意じゃないって聞いたことがあるな」
「どうだろうな、やってみなければ分からん」
対戦相手の情報は事前に知っていたほうがいいが、それだけで勝負が決まるわけではない。
俺は無駄な予測をせず、試合に集中することにした。
そうこうしているうちに、試合の時間が迫ってきた。
呼び出しの声が響き、俺は卓球台へと歩いていく。
対面には、俺と同じくらいの身長の男子生徒が立っていた。
彼はやや緊張した面持ちでラケットを握りしめ、軽く素振りをしている。
「よろしくお願いします」
試合前の挨拶を交わし、試合が始まる。
サーブ権は相手にあった。
渡辺は深呼吸を一つすると、慎重にボールをトスし、打ち出した。
――が、サーブが甘い。
勢いが弱く、コースも単調。
俺は迷わず前に出て、鋭く打ち返す。
「っ!」
渡辺は慌ててラケットを出すが、対応しきれずにボールが台を逸れた。
「ノエル、やっぱり強えな」
後ろからイザベルの声が聞こえた。
その後も試合は俺のペースで進み、結果はストレート勝ち。
順調な滑り出しを見せた。




