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29 メリークリスマス

 暗闇の中、耳元で囁かれているような感覚がした。


「いつまで寝てるの?」


 どこか甘さのある声が、意識の深い部分にまで染み込んでくる。

 ゆっくりと瞼を開けると、視界には見覚えのある顔が映っていた。


「かぐやか……」


 俺はまだ重たい体を押し起こし、ぼんやりとベッドの端に座り込む。


「やっと起きたわね」


 かぐやは少し呆れたような表情で俺を見つめている。


「お前、どうして俺の家を知ってるんだ?」


 その問いに、かぐやは一瞬目を泳がせた後、慌てたように言い返す。


「べ、べ、別に誰かから聞いたわけじゃないし……」


 ……それは確実に誰かから聞いたやつの言い方だな。


「分かりやすい嘘だな。それで、誰から聞いたんだ?」


 かぐやは口をへの字に曲げながら、明らかに気まずそうにうつむいた。そして、渋々答える。


「……鈴花、から」


「はぁ」


 深い溜息が自然と漏れた。鈴花か――大体予想はつくが、理由はほぼ間違いなくストーカー紛いの行為だろう。ここ最近、学校の登下校中ずっと後をついてきている気配を感じていたからな。


「まあいい。それで、何の用だ?」


 俺が改めて問いかけると、かぐやは急に真剣な顔つきになった。


「ちょっと相談があって……」


 相談? 少し意外だった。俺の知る限り、かぐやは自分から誰かに弱みを見せるタイプには見えない。


「実は夢を見たの」


「前世の夢か?」


「そう……それで、月華七聖人のことを少し思い出せたの」


 月華七聖人。確か、あの黒髪短髪の男が仕えていた連中だな。あまりいい印象はない。


「それで、俺に相談しに来たってわけか」


 かぐやは少し躊躇った後、俺の目を見つめ、言葉を絞り出すように言った。


「それで……松本義輝っていう人を探すのを手伝って欲しいの」


 次の瞬間、彼女は勢いよく土下座をした。


「お願い! 本当に困ってるの!」


 そんなに深刻な様子を見せられると、さすがに無下にはできない。

 正直、土下座までする必要はないと思うんだが……。


「分かった」


 その一言に、かぐやの顔がパッと明るくなった。


「本当!? ありがとう!!」


「それで、どうやって探すんだ? 何か手掛かりはあるのか?」


 俺が問い返すと、かぐやは少し考え込んだ。

 眉間に皺を寄せ、記憶を手繰り寄せるように言葉を紡ぐ。


「確か……彼は『太陽の子』って呼ばれてた」


「それは……手掛かりと言えるのか?」


 俺は呆れを隠せない口調で問い返した。

 かぐやは少し困ったように唇を噛むと、視線を逸らしながらポツリと呟いた。


「……そう、よね。容姿も性格も変わってるかもしれないし……逆に、何が手掛かりになるのかしら?」


 その言葉に、俺も腕を組んで考え込む。確かに、前世から現世へと姿形が変わることは十分あり得る。それに、「太陽の子」という曖昧な異名だけでは、探し出すのは至難の業だろう。


「それもそうだな……」


 思考を巡らせながら、ふと疑問が浮かんだ。


「……お前は何故、そいつを探したいんだ?」


 かぐやはその問いに、一瞬だけ戸惑ったような表情を見せたが、やがて覚悟を決めたように俺を真っ直ぐ見つめ返した。


「お礼を言いたいのよ」


 その声には、どこか切実な響きがあった。


「お礼?」


 俺が問い返すと、彼女はそっと瞼を閉じ、静かに言葉を紡いだ。


「あの人は、何度も私を助けてくれたの。前世の記憶の中で、何度も……私は何もできなかったのに。迷惑ばかりかけて、恩返しだって何一つしてない……」


 彼女の声には後悔と感謝が滲み出ていた。その真剣さが伝わってきて、俺も余計な茶化しを入れる気にはなれなかった。


「そうか……」


 俺は小さく息を吐くと、彼女の瞳を見つめながら続けた。


「見つかるといいな。その人が」


 かぐやはその言葉に、わずかに微笑んだ。しかしその微笑みは、どこか不安を抱えたままのものだった。


「少し外に出ないか?」


 俺がそう言うと、かぐやは少し驚いたように目を丸くした。


「いきなり? まあ、いいけど別に……。どこ行くの?」


 彼女の戸惑いを感じながら、俺は微笑んで答えた。


「今日は折角のクリスマスだ。俺にとってはこれで初めてだからな。少し満喫しようと思って」


「クリスマス……ね」


 かぐやは少し考え込むように視線を落としたが、すぐに顔を上げて頷いた。


「分かったわ。付き合ってあげる」


 そう言っても、どこか柔らかい笑みを浮かべていた。その表情を見て、俺は安心すると同時に少し照れくさくなり、慌てて部屋に戻り服を着替えた。


 準備を終え、外に出ると冷たい風が頬を撫でる。冬特有の澄んだ空気が気持ちいい。


「どこか行きたい場所はあるか?」


 歩きながら問いかけると、かぐやは一瞬考え込むように空を見上げた。


「……強いて言うなら、のんびり出来る所、かな」


「のんびり出来る所か……」


 頭の中で近場の候補を探しつつ、彼女が望む「のんびり」をどう満たすべきか考える。


「あっ!」


 突然、かぐやが何かを思いついたように声を上げた。


「どうした?」


「そうだ! ちょっと行きたい所あった!」


 その瞳は何かを決意したように輝いている。


「どこだ?」


「ついてきて」


 かぐやは言うや否や、俺の手を引っ張るようにして歩き始めた。

 その後ろ姿からは、さっきまでの迷いが嘘のように消えている。


 俺はその勢いに少し笑いながらも、彼女の後についていくことにした。


 やってきた場所は、街外れにひっそりと佇む古い神社だった。

 苔むした石段を登り、木々に囲まれたその場所は、時の流れから切り離されたような静けさを漂わせている。


「ここはね、昔よく来てた場所だったんだ」


 かぐやが立ち止まり、ぽつりと口を開いた。その声はどこか遠い記憶を辿るようで、寂しさが滲んでいた。

 彼女は社の方へと歩みを進め、古びた鳥居の下で足を止める。そして振り返り、切なげな表情で続けた。


「ここはね、初めて義輝に出会った場所でもあって……嫌なことがたくさん起きた場所でもあるんだ」


 彼女の瞳が揺らめき、涙がひとすじ、頬を伝うのが見えた。

 その涙は静かに地面に吸い込まれ、跡形もなく消えていった。


「私ね、人をたくさん見殺しにしちゃったの。裏切ったの。……そんな自分が許せなかった」


 声が震えている。言葉を紡ぐたびに、彼女の痛みが伝わってくるようだった。

 俺は彼女に何か言うべきなのか迷ったが、言葉が見つからない。ただ静かに見守るしかできなかった。


「でも……爺ちゃんも婆ちゃんも、それに義輝も……皆、私のことを許しちゃったんだ」


 かぐやの視線は、まるで遥か彼方の景色を見ているように、何かを思い返しているようだった。

 その瞳には、哀しみだけではなく、かすかな温もりも宿っている。それでも、彼女の口から漏れた言葉は、深い悩みを抱えたものだった。


「私って……生きてていいのかな?」


 その問いは、空気を切り裂くように静寂を呼び込んだ。彼女の声は弱々しかったが、心の奥底に積もり積もったものを吐き出すような切実さがあった。


 俺は一歩、彼女に近づいた。何を言えばいいのか、まだ分からない。それでも、この瞬間だけは、彼女の孤独を共有したいと思った。

 気づいたときには、俺は彼女を抱きしめていた。


 冷たい夜風に吹かれる彼女の肩は、思った以上に小さく、震えているように感じた。

 温もりを伝えたい――ただ、それだけだった。


「……別に、そんなに心配しなくてもいいのよ」


 かぐやが囁くように言った。

 だが、その声は弱々しく、心の奥底に隠している不安や孤独を隠しきれていない。


「大馬鹿者」


 俺は思わずそう呟いた。自分でも意外なくらい自然に出た言葉だった。

 かぐやが驚いたように顔を上げる。俺はその瞳をしっかりと見つめた。


「俺も人と神をたくさん殺してきた。……時には、身内さえもだ」


 自分の中の暗い過去を言葉にするのは簡単ではなかった。だが、それでも伝えなければならないと思った。


「だから、大丈夫だ。お前だけが苦しむ必要なんてない」


 かぐやは少しの間、目を見開いて俺を見つめていたが、やがてふっと小さく笑った。


「……なんか、あなたにそう言われると、妙に説得力があるわね」


 その言葉に、俺も微かに笑みを浮かべた。

 沈黙が少しの間続く。静寂の中で、冷たい空気が俺たちを包むが、不思議と寒さは感じなかった。


「メリークリスマス」


 ふと、俺はその言葉を口にした。

 かぐやは一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐに苦笑いを浮かべた。


「……使い方違うわよ。それ、何かのフォローのつもり?」


「さあな。適当に言っただけだ」


 俺たちはそのまま、寒い夜の神社で静かに笑い合った。

 その笑いは、冬の夜空の下で、どこか温かい光のように感じられた。

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