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26 賭け

 ゼファーはその答えに軽く肩をすくめると、にやりとした笑みを浮かべた。


「ふむ、そんなに血を吸われるのが嫌なのか。面白い、面白い。普通なら、喜んで差し出すものだがな……」


 彼は一歩踏み出すと、鈴花に近づいた。

 霧がその動きに合わせて揺れ、まるで彼の意志に従っているかのようだった。


「だが、恐れるな、少女よ。無理にお前を痛めつける気はない。ただ、少しだけお前の血の匂いを楽しみたかっただけだ」


 鈴花は冷静に彼を見つめていた。

 ゼファーがどれだけ近づこうとも、彼女の表情には一切の恐れも焦りも見えなかった。


「あなたがどれだけ強大な力を持っていようと、私は恐れない。私は、ただここから出たいだけ」


 ゼファーはしばらく黙って鈴花を見つめていた。その目には、興味と共にどこか楽しげな色が混じっている。


「ほう…面白い。お前は本当に恐れを知らないな」


 そして、ゼファーは突然、手をひらひらと振ってみせた。すると、霧の中から一つの影が現れ、鈴花の周囲をぐるりと囲むように現れる。


「だが、恐れないのは愚かだ。お前がどれだけ冷静であろうと、ここは俺の領域。逃げることはできん」


 鈴花はその影に目を向け、冷静にその動きを見定める。その影は、ゼファーの意図に従って動いているらしいが、鈴花はあまり気にしていない様子だった。


「私はでここから出るだけ」


 ゼファーは鈴花の言葉を聞いて、少し考え込んだ後、にっこりと笑みを浮かべた。


「……お前、なかなか面白いな。だが、それは難しいぞ。今のお前では、どうやっても俺の領域から抜け出すことはできない」


 鈴花はゆっくりと歩き出す。

 ゼファーはそれを見守りながら、少しも動かない。


「……それでも、私は諦めない」


 彼女が一歩一歩、霧の中を進んでいく。

 その姿には、決して退かない強い意志が感じられた。


 ゼファーはその様子をしばらく見つめた後、しばらくの沈黙の後に呟いた。


「……お前、どこまで本気で言っているのかはわからんが、面白い。今のお前の目の奥には、確かに何かが宿っているな」


 そして、彼はその場で立ち止まり、何かを考え始めた様子だった。


「賭けをしないか? お前がどれほど本気で俺を振り切れるのか。ここから出れれば、晴れて自由の身、出られなければその血を頂く」


 ゼファーは再び鈴花に向き直ると、その目に新たな興味を湛えていた。


「もしお前が本当にここから抜け出したいのなら、俺の力を借りる必要がある。だが、それは代償を伴う。お前が言うように、血を吸わせろとだけではない」


 鈴花は歩みを止めることなく、ただ静かにその言葉を待つ。


 ゼファーは少しの間沈黙を破り、口を開く。


「お前の血には、ただの血ではない力が宿っている。神の力が混じっている。それを引き出すためには…お前の同意が必要だ」


 鈴花は立ち止まり、ゼファーの言葉に耳を傾ける。


「その力を使えば、お前は今の結界を破ることができるかもしれん。ただし、それは大きな危険を伴う」


「何が危険なの?」


 鈴花が冷静に尋ねる。


 ゼファーは少しだけ笑ってから言った。


「それはお前が決めることだ。だが、言っておこう。この力を解放すれば、今後お前の命はただの引き換えに過ぎなくなるかもしれん。それでも構わないのなら、お前にその力を与える」


 鈴花はしばらく黙って考える。ゼファーはその間、じっと彼女を見守っていた。


「その力を使えば、この結界から出ることができる。そして、お前は自由を手に入れられる。だが、その自由は代償を伴う」


 鈴花はしばらく沈黙した後、ゆっくりと答えた。


「……私は、自由を手に入れる」


 ゼファーは鈴花の答えを聞くと、少し驚いたような表情を浮かべた。

 だがすぐにその表情は興味深げに変わる。


「自由か……」


 ゼファーは低く呟き、しばらくその言葉の意味を噛みしめるように考え込む。


 鈴花はその間、動じることなくゼファーの視線を受け止めていた。

 彼女の目の奥には、決して揺らがぬ強い意志が宿っている。


 ゼファーはふっと笑うと、手を一度空に掲げ、周囲の霧がその手に引き寄せられるように渦を巻き始めた。


「面白い。お前がその力を使う決意をしたのなら、俺も手伝ってやろう。だが、覚えておけ。力を使うということは、それに見合った代償を払うということだ」


 鈴花は黙って頷く。

 その覚悟は既に決まっているのだろう。


 ゼファーはゆっくりと手を下ろし、再び鈴花に向き直る。


「お前の血には、ただの血ではない力が宿っている。神の血。それを引き出すためには、お前の同意が必要だ。お前がこの結界を抜け出すための鍵となる、その力を解放すれば、今後の人生は…おそらくもう、元には戻らない」


 鈴花は静かにゼファーを見つめ、深呼吸を一つ。


「それでもいい」


 彼女の声は、まるで決して揺らぐことのない誓いのように響いた。


 ゼファーは嬉しそうに微笑んだ。まるで、鈴花の決意が彼にとっても一つの試練であるかのように。


「ふふ、いいだろう。だが、忘れるなよ、鈴花。その力を使った時、お前はもう一度戻ることはない」


 鈴花は目を閉じ、無言でその言葉を受け入れた。

 そして、次の瞬間、ゼファーは指を鳴らす。


 霧が一気に渦を巻き、鈴花の周りに強い圧力が加わる。

 それはまるで、何かが鈴花の内側に流れ込むかのような感覚だった。


「今、お前の中に眠っていた力が目を覚まそうとしている」


 ゼファーの声が耳に響く。


「だが、気をつけろ。その力を使う時、君の意識がどこまで持つか、誰にもわからん」


 鈴花の体が微かに震えたが、その表情は変わらない。力が目を覚まし、彼女の体を駆け巡る感覚。それは予想以上に強烈で、鈴花の意識を試すようだった。


 だが、鈴花はその波に飲まれることなく、ひたすらに自分の内なる力に集中する。その瞬間、彼女の体から光が溢れ出し、周囲の霧が一瞬で吹き飛んだ。


 ゼファーはその光景を見守りながら、少しの間静かに立ち尽くしていた。


「ふむ…やはり、只者ではないな」


 ゼファーはその場に立ち、鈴花の力が収束していくのを待つ。


 しばらくして、鈴花の体から放たれた光がやっと収まった時、彼女の目はすっかり変わっていた。その瞳の中には、まるで別の世界を見通すような冷徹な輝きが宿っていた。


「これで、結界を破る力は手に入れた」


 鈴花はゼファーを一瞥し、冷静に言った。


「私が自由になるために、これを使う。」


 ゼファーはその眼差しをじっと見つめながら、満足そうに頷いた。


「自由か…お前のその力、どこまで通用するか見ものだな。だが、忘れるな。力を手に入れたからと言って、それで何もかもがうまくいくわけではない。」


 鈴花は静かに一歩踏み出し、その場を離れようとする。その背中は決して揺らがず、真っ直ぐに前を見据えていた。


「結界は破れる。あとは私が歩むべき道を選ぶ」


 ゼファーはその姿を見送りながら、ふっと呟いた。


「お前のような存在が、この世界でどんな役割を果たすのか、楽しみにしているよ」


 鈴花は振り向きもせず、ただ霧の中を歩み続けた。


 鈴花がゼファーの影響を受け、力を手に入れて結界を突破する決意をしたその瞬間から、霧の中の世界は微細に変化し始めた。

 彼女が歩みを進めるごとに、周囲の霧が彼女の意志に従うかのように渦巻き、まるで鈴花の力がこの場所に浸透しているかのようだった。


 しかし、霧が晴れることはなく、視界は依然としてぼんやりとしたままだ。鈴花は何も恐れずに歩き続け、心の中で自分に言い聞かせるように思った。


「私は、ここから出る」


 その言葉が、鈴花の中で繰り返されるたびに、彼女の力は強く、確かなものへと変わっていくようだった。

 力を目覚めさせたことで、彼女は過去の記憶や自分自身の存在について、より多くのことを感じ取るようになった。

 しかし、それらの答えは霧の中では見つからない。今はただ、前に進むことが必要だ。


 突然、鈴花の足元が冷たく震え、地面が不安定になるのを感じた。

 彼女が足を踏み出すと、地面が崩れ落ち、深淵のような暗闇が現れた。

 鈴花は立ち止まり、その暗闇をじっと見つめる。そこには何も見えない。

 しかし、彼女の内側で何かが引き寄せられるような感覚があった。


 その瞬間、背後からゼファーの声が響いた。


「お前がここまで進んでくるとはな……」


 鈴花は振り向かず、ただその声に耳を傾けた。


 ゼファーはゆっくりと歩み寄り、その姿が霧の中で徐々に現れた。彼の顔には、どこか満足げな表情が浮かんでいた。


「だが、覚えておけ、鈴花。お前が手に入れた力には代償がある。自由を手にするためには、何かを犠牲にしなければならない。それが何かを、まだお前は知らないだろう?」


 鈴花は無言で、再び前を向いて歩き始めた。その足音が霧の中で響くと、ゼファーはその背中をじっと見守った。


「お前がどこまで進むのか、興味がある。ただ…お前が本当に自由を手に入れられるのか、それは分からん」


 ゼファーはそのまま動かずに言った。


 鈴花はその言葉を無視するかのように、暗闇の縁に足を踏み入れた。

 その瞬間、深淵から何かが目を覚ましたかのように、暗闇が膨れ上がり、周囲の霧が一層濃くなった。


 彼女の内から力が湧き上がり、手のひらに集まるのを感じる。

 その力は、彼女が想像していたよりも遥かに強大だった。ゼファーの言葉が頭の中で反響する。


「力には代償が伴う」


 それを理解している。だが、それでも進むしかないのだ。彼女には他に選択肢はなかった。


 鈴花は深呼吸をして、目を閉じた。

 そして、力を解放する。瞬間、彼女の手のひらから青白い光が放たれ、暗闇が一瞬で明るく照らし出される。

 霧が波のように後退し、深淵の底が徐々に見えてきた。


 ゼファーはその光景を見て、初めて目を見開いた。

 その力がどれほど強力で、恐ろしいものか、少しずつ理解したようだった。


「ふむ…その力、やはり並みのものではないな。だが、忘れるな…力を使えば、誰もが何かを失う」


 ゼファーの声は、鈴花の背中に向かって投げかけられた。


 鈴花はその声に応えることなく、暗闇の先に視線を向けた。

 その先にあるもの、未知の世界が彼女を待っているのだと、強く感じていた。


 そして、鈴花は足を踏み出した。再び、霧と闇の中を突き進むその一歩一歩が、鈴花の決意を確固たるものにしていった。


 鈴花は暗闇の中に足を踏み入れた。

 その一歩一歩が、まるで時間そのものを引き裂くような感覚を伴っていた。

 力を解放したその瞬間から、彼女の周囲の霧がまるで反応するように静かに渦を巻き、遠くで何かが鳴動しているような気配を感じる。


 ゼファーの言葉が、まだ頭の中で響いていた。


「誰もが何かを失う」


 その言葉が鈴花の心に引っかかる。しかし、彼女は決して立ち止まらない。これまでの人生で何度も、何かを失ってきた。家族、記憶、そして自分自身の感情さえも失った。

 それでも、彼女は進み続けるしかなかった。


 霧が再び鈴花を包み込む。視界が再び薄くなり、周囲の景色は次第に歪み、変わり始める。まるでその空間が鈴花の内面のように、彼女の気持ちに反応しているかのようだった。


 突然、鈴花の足元に大きな音が響く。

 振り返ると、そこに一つの黒い影が現れた。

 霧の中から現れたそれは、ゼファーの言う通り、力の代償が具現化したようなものだった。


 その影は巨大で、鈴花をじっと見つめていた。それは人間の形をしているようで、どこか不気味に歪んでいる。その瞳は赤く光り、まるで鈴花の内面を覗き込むかのようだ。


「お前の力がどれほど強大であろうと、最終的にはお前を呑み込む」


 その声は低く、鈴花の心に直接響いてきた。まるでその言葉が、彼女の最も深い恐怖を引き出すために存在しているかのように。


 鈴花は一歩、また一歩とその影に近づいていく。恐れを感じることはない。

 ただ、その影が示すものが何なのかを知りたかった。


「恐れてはいけない。私はこれから先、どんな代償を払おうとも、進み続ける」


 鈴花は静かに呟くと、その手に宿る力を再び集め始めた。


 影は微かに揺れ、鈴花の言葉に何かを感じ取ったのか、少しだけ後退した。

 それでも、その目は鈴花を捕えたまま動かない。


「お前の内なる力は…神の力、だということは理解している。しかし、その力が目を覚ました時、それが何を引き起こすのか、知っているのか?」


 鈴花はしばらく黙ってその影を見つめた。心の中で、確かな確信が湧いてきた。

 どんな恐ろしい未来が待っていようと、それは自分が選んだ道だということ。そして、どれほどの代償を支払おうとも、彼女はその道を進む覚悟を持っている。


「私は、私を決して裏切らない」


 鈴花は再び歩みを進めた。その足音が暗闇に響き渡る。


 影は鈴花の進む道を遮るように立ちはだかるが、鈴花はただその視線を受け入れながら、手を掲げて力を放った。


 その瞬間、鈴花の体を包み込んでいた霧が爆発的に消え、巨大な光が彼女の体から放たれる。まるでその光が闇そのものを引き裂くかのように、辺り一帯が瞬時に明るく照らされる。


 影はその光に引き寄せられるようにしながら、次第にその形を崩していく。

 鈴花の力がそれを圧倒するように、影の形が霧のように溶けていく。


 やがて、静寂が訪れる。


 鈴花はその場に立ち尽くし、息を整える。

 体の中に広がる強大な力は、もはや彼女を支配するものではなく、彼女の一部として存在している。それはあらゆる恐怖を超え、未来への確かな一歩となっている。


 ゼファーの声が遠くから聞こえてきた。


「お前の勝ちだ」


 鈴花はその声に答えず、ただ深く息を吸った。そして、前を向いて歩き始めた。

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