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第六話 僕と雪 その八~愛しくて~

麟太郎は気付いているのでしょうか? 

愛しているがゆえに苦しいのです。

救いの手を差し伸べたのは誰か?


では、どうぞ。

 家に着くと、お祖父ちゃんちの玄関で帰宅を告げて、そそくさとお父さんちに行った。


 お父さんちでは、リビングでお姉ちゃんが姫たんの宿題を看ていたので、ただいまとだけ言って、自分の部屋に直行した。

 これは僕と雪の問題で、家族の誰にも、もちろんお姉ちゃんにも罪がないのはわかっている。

 けど、苛立ちを抑えきれなくて、頭のなかで口汚く罵った。

 それがまた別の苛立ちを呼んだ。


 エアコンの温風が部屋を暖めて、なにか飲み物が欲しいなと思っていたら、誰かが部屋のドアをノックした。

 嫌々返事をすると、たまさか、お祖父ちゃんだった。


「お祖父ちゃん、どうしたの?」

 ドアを開けて部屋に通した。

「ちょっといいか? 麟太郎」

「うん。いいけど。……ひとり?」

 お祖父ちゃんは答えず、テーブルに缶のお茶を置いて、僕に勧めた。


「麟太郎」

 とおもむろに話し出したお祖父ちゃんの目に、僕は顔から軽く血の気がひくほどに、圧倒された。

「麟太郎はいま、雪ちゃんのことしか考えられん、寝ても覚めても雪ちゃんと喧嘩したことが頭から離れん。そんなとこじゃろう。当たりじゃ。それはな、麟太郎、本当のことがわからんからじゃ。あの夜雪ちゃんになにがあったか、聞いとりゃせんじゃろ。あのな、麟太郎、儂にも似たような経験があってな、ばあさんがまだ若いころ、当然儂も若かったころ、噂好きの下品な女はどこにでもおるもんじゃが、近所のそういうやつらが儂を見てこそこそしとるから、おかしいと思っとったら、ある日、ばあさんが浮気をしてるなんて噂を耳にしてしまってのう、儂ゃばあさんを問い詰めたんじゃ。そしたらなんのことはない、身重の……、わかるか? 妊娠していて家事のできない奥さんの代わりに、飯を作っとっただけじゃった。儂ゃ自分を恥じた。自分の愛した女を信じられず、疑って問い詰めるなんて、最低じゃろ?」


 僕はなにも答えられなかった。

 お祖父ちゃんの話が心に刺さったというのもあるし、お祖父ちゃんの異変に驚いてもいたからだ。


「雪ちゃんは、理由を言えないのは事情があるからだと言っておった。なら、言える日が来るまで待ってみたらどうじゃ? 麟太郎はいま、悪いほうにばかり考えを巡らせているじゃろ。つまり、冷静な判断ができていないわけじゃ。冷静になれ。儂の知っている麟太郎は、短絡的にものを考え人を傷つけるような人間ではないぞ。麟太郎が愛した雪ちゃんは、不貞をするような女か? 違うじゃろ。愛する女の胸の内を慮って、すべてを受け止める。それが男というものじゃ。麟太郎、そうは思わんか? 雪ちゃんはいま、実家に帰っておる。こないだ連絡があったとお母さんが言っておったぞ。麟太郎、行ってこい。行って謝ってこい。雪ちゃんを連れ戻せ。そしたらハッピー・エンドじゃ」


 お祖父ちゃんはにっこりと笑った。

 そうか、そのとおりかもしれない。

 苛々するのも、胸のもやもやが消えないのも、本当のこと、つまり雪が話せない事情というものを知らないからだ。

 あの日、いや、あの日に至るまでになにがあったのか、知らないからだ。

 でも……。


「じゃあ、もし雪になにか間違いがあったら?」


 僕の問いに、お祖父ちゃんはただ笑顔を貫いた。

 そりゃそうだ。

 もし浮気されたなら、僕は振られたというわけだ。

 どうにもできない。


「それじゃあ儂は帰るとするかの」

 お祖父ちゃんはゆっくりと立ち上がった。

 そして

「雪ちゃんに謝るんじゃぞ」

 ともう一度釘を刺してから、帰っていった。


 振られるにしても、なんにしても、明日、大学で見つけたら、謝るか謝らないかは別として、話をしよう。

 いや、疑ったんだから、謝ろう。

 それから話をしよう。


 そうして僕は、ここのところ苛々しっぱなしだった理由が、失恋したかもしれない、というショックから来たものだと、気が付いた。




 それからの二日間は駆け足で過ぎていった。

 どうせ大学で会うのだから、そのときに謝ればいいと考えていた。

 でも、怒り心頭で僕と顔を合わせるのが耐えられなくなって避けられているだけかもしれないが、雪は大学に姿を現さず、僕は大学の課題と再開した脚本の執筆とで時間をとられ、気が付けば日曜日になっていた。

 電話をしてみようかとも思ったのだが、それで謝っても誠意ってもんがいまひとつ伝わらないような気がしたし、やっぱり僕は、面と向かって謝りたかったのだ。


 お祖父ちゃんはあれからまた元通りになっていた。

 震える手でお茶を飲むところも、ご飯のたびに

「美味しいなあ、美味しいなあ」

というところも。

 あのときのお祖父ちゃんはまるで僕の幻覚だったかのようにすら思えてくる。


 朝ご飯を食べ終えてから、午後になったら雪の家に行ってみるよ、と言うと、みんなは顔を見合わせてから

「それがいいわ」

 とか

「そうか。気を付けてな」

 などと言った。


「ペンポコリン体操を、はーじめーるよー」

「はい、お義父さん、部屋に戻りましょうね」


 陽気なお祖父ちゃんを、お母さんが部屋に連れて行った。

 幻覚……じゃなかったよな?


 僕は宣言通り、お昼ご飯を食べてから支度して、中古の国産車で雪の家に向かった。

 雪のお父さんに殴られるかも、お父さんの言った気を付けろはそういう意味じゃ、とこれまで思いもしなかった、でも起こりうる事態に気付いて一度足を止めたけど、えいやっと踏み出した。

 それは自分が悪いんだ。

 僕ひとりだけが悪いのか?

  なるようになるか。


 雪の家の前まで行くと、緊張から逡巡してチャイムを押せないでいた。

 男らしくない。

 これからもっと大変なことが控えてるんだ。

 僕は指を上げた。

 すると、チャイムを押す前に玄関のドアが勢いよく開いて、雪が出てきた。

 雪は僕に気付かずに、玄関の鍵を閉めると走り出した。


「雪」

「麟」

 やっと僕に気付いた雪は、僕の手を握り締めた。


「麟、結婚して」

「ええ!」


お祖父ちゃんの振る舞いは、天然だったのか、計算だったのか?

家族の前での振る舞いは演技で、麟太郎に見せた顔が真実だったのか?

それとも一時的に我に返るときがあって、あのときがそうだったのか?

みなさんはどう思われますか?

みなさんに考えていただけたら嬉しいです。


では、また。


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