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第五話 僕、麟太郎 その十~胸に仕舞って~

以前、あやうく刺身にソースをかけて食べそうになったことがありました。

すんでのところで気が付きました。

脳が醤油と指令を出したのに、わたしの左手がソースを取ったのです。

小日向さんちでこんな間違いをしそうなのは、お祖父ちゃんだけですね。

つまりわたしの脳はお祖父ちゃんと同じレベル……いや、認めたくはないです。

こんなうっかりって、誰にでもありますよね?

(本文とはなんの関係もありません)


では、どうぞ。

 みんなが食べている朝ご飯は、どうやら食べても食べても減らないようだった。

 さっきから口に運び咀嚼してを繰り返している。


 たっちゃんの年齢は、初めて見たときは三十歳くらいだと推測したのだが、改めて見ると三十代後半に見えた。

 肌の感じとか、目じりのしわとか。

 僕がそんなことを思っていると、たっちゃんが言った。


「読み終えたでござる。このあとふたりはどうなるでござるか? 拙者とても気になるでござる。団子屋のお通ちゃんが拙者をどう思っているかと同じくらい気になるでござる」


 完全にファンだ。

 僕はラストまでのあらすじを語って聞かせた。

 たっちゃんは瞬きもせずに聞いていた。


「そうでござるか。ネタバレはしないでござる。安心なされよ」


 僕の両肩をがっしりと掴んで言った。

 かと思ったら、


「ふたりは結ばれるのでござるな。それが一番の気がかりでござった。よかったでござるよ」


 また、感極まったというふうに目を擦った。

 かける言葉が見つからない僕は、正直なところは、侍に泣かれても困る、といった心境だった。

 泣かれても困るのだけど


「わっはっは。わっはっは。わっはっは」


 と笑いだされても、それはそれで困った。

 僕はおずおずと訊いた。


「どうしたんですか?」

「思い出し笑いでござる。腹痛っ。腹痛っ」


 このひとは酔っているのだろうか?

 泣いたり笑ったり、忙しい。

 ふうと大きく息をはいてから、たっちゃんは言った。


「この脚本が仕上がったら、もう一度読ませていただきたいのでござるが、よろしいでござるか? 駄目と言われてもまた来るでござるが」

「もちろん、いいですよ。たっちゃんには読んでほしいですから。こう言うとクロチャンとか麻呂ーズとかには読んでほしくないように聞こえちゃいますね。あ、知ってますか? クロマニヨン人のクロチャンと、平安貴族の麻呂―ズ」


 そう言って僕はたっちゃんを二度見した。

 髪の毛に白髪が混じり、しわが濃くなり、肌は張りのない質感になって、この短い時間に十歳は老けた。


「もちろん知っているでござるよ。クロチャンも麻呂殿たちも、お主の脚本を褒めていたでござる。拙者も同様に面白いと思ったでござる」

「でも……」

「言いたいことはわかるでござる。でもそれは胸の内に仕舞うでござる」


 言いかけた僕に手のひらを突き出して、たっちゃんは言った。


「拙者、お主の脚本で笑ったでござる。泣いたでござる。引き込まれたでござる。それはもう面白かったでござる。お主はマイナスな捉え方をしているやもしれぬが、粗削りではあっても、決してマイナスではないでござる。これから昇り行く朝日のような、脚本だったでござる。いまはまだ若葉であっても、それでも葉を茂らせ、ひとを、動植物を憩わせるような立派な大樹になれるでござる。お主の脚本にそれを見たでござる。拙者がお主のファン、第一号でござるよ」


 そう言って笑うたっちゃんの歯がぼろぼろと抜け落ちて、顔もしわしわになってしまった。


「たっちゃん、歯、歯」

「麟太、どうした? おい、麟太」

「たっちゃんの歯が」


 そこで僕は気が付いた。

 朝ご飯の箸を止めて、みんなが僕を見ていた。


「ああ、夢だ」

 僕は大きく息をはいた。

「出たのか、麟」

 そう言う康お兄ちゃんの目は、確信していた。

「うん、出た。今度は侍だった」

「侍か。な、兄ちゃん、言っただろ。ほんとなんだよ。出るんだよ、怪獣。麟の場合は俺とはちょっと違うみたいだけど、いないものが、いるんだよ」

「いま、俺、どんなだった?」

 僕は訊いた。

「おかずに箸を伸ばしてる途中でぴたりと動きを止めて、一、二分くらいかな、そのまま動かなかった。それでいま独り言言った。麟太、本当か? 本当に出たのか?」


 お父さんは、康お兄ちゃんの怪獣話は信じてはいなかったけど、僕の奇行を目の当たりにして、これは信じざるを得ないという顔をした。

 お父さんは確認をしたのだ。


「本当」

 僕は神妙な顔をした。


 お父さんとお母さんは顔を見合わせた、お姉ちゃんは

「怖っ」

 と言った。

 お祖父ちゃんがお母さんにご飯を催促して、康お兄ちゃんは得意げに笑みを浮かべていた。

 まったく怖がる様子のない姫たんは

「これで康お兄ちゃんと麟太くんの話が本当だって証明されただわね」

 と誰に言うでもなく言った。

 雪は

「たっちゃんの歯がどうしたの? っていうか、たっちゃんて誰?」

 とおっとりしたことを訊いてきた。

 僕はいちから説明するのが面倒だったので、適当に

「侍。歯がぼろぼろ抜け出したの」

 とだけしか言わなかった。

 それで雪とお母さんにこんこんと怒られてしまった。


 康お兄ちゃん言うところの怪獣は、まだ怖い。

 僕の場合はひとの形をとってはいるものの、得体が知れないという点では共通している。

 康お兄ちゃんは何回って言ってたっけ?


 千回……いや、七百回か。

 七百回以上か。

 何回目で慣れたのかは訊きそびれてしまったけど、僕はまだ三回だ。

 たっちゃんの怖いは、急激に老けるという違う意味での怖いで、クロチャンのは言うに及ばず。

 麻呂ーズはクロチャンの余韻で恐怖にとらわれていたけど、いま振り返ってみると、そんなに怖くはないように思える。

 けれど、それは僕が礼儀正しくしていたからで、怒らせてしまったらどうなったかと思うと、やっぱり恐怖が首をもたげる。

 なにせ「こちらの世界」の住人だからだ。

 彼らの言うところの。

 次はなんだろうと思うと、頭が重い。


 それでも僕は平静を装って、家を出た。

たっちゃんの歯が抜けるというシーンがありましたが、

わたしは月に一回くらいのペースで歯がボロボロと抜ける夢を見ます。

この夢はどんな心理を表しているのでしょうか?

夢分析のできる方、いらっしゃっても、分析はしないでください。

なんか怖いです。


では、また。

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