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第三話 僕のお姉ちゃん その七~最後の最後に殴る~

以前、崩れた体調が戻りました。正直焦りました。

みなさんも霊関係には気を付けたほうがいいと本気で思いました。


重い足取りで帰宅した小日向ファミリー。

もちろん、気持ちも沈んでいます。

どうなるのでしょうか?


では、どうぞ。

 家に着いたときは五時を大きく回っていた。

 車庫に駐車して、車から出たときにお姉ちゃんの顔を見ると、目が真っ赤だった。

 それでもお姉ちゃんは平静を装っていた。

 泥に足をとられているように、みんなが重い足取りでお祖父ちゃんちに向かった。


「ただいま」

 康お兄ちゃんが言った。

「おかえりなさい」

 お母さんが返した。


 みんなだるそうに靴を脱いで茶の間に行くと、銘々腰を下ろした。

 そうしてようやく、僕は自分が疲れていることに気が付いた。

 そりゃそうだ。

 炎天下のなか、大事な姪っ子の身を案じながら、あれだけ走り回ったのだから。

 肉体的にも精神的にも、ハードな午後だったのだ。


 それは、あ、そうだ、と台所に行こうと立ち上がろうとしたときに起こった。


「みなさん、麦茶はいかがですか?」

「いかがだわよ?」

 台所から麦茶を運んできたのは、高梨さんと姫たんだった。


 人間、本当に開いた口が塞がらなくなるのは、こんなときだ。


「姫!」

 真っ先に立ち上がったのは、お姉ちゃんだった。

「はい、冷えた麦茶ですよ」

 高梨さんは笑っていた。

「ですよじゃねえ」


 言うと同時に手が出た。

 びんただ。

 麦茶の乗ったお盆をテーブル置いた直後だ。

 乾いた音が響いた。


「あんた、今度という今度は、ほんっとに、やってくれたなあ」

「聞いてないよーのひとの真似?」

「やかましい」


 高梨さんの茶々に、お姉ちゃんはますますキレた。

 また乾いた音が響いた。

 お母さんがとめたのだけど、

「いや、今回は我慢できない。止めないで。どんだけ心配したと思ってるの?」

 とお姉ちゃんは鼻息を荒くした。


 お父さんは中腰のまま固まっていた。

 ついさっき、止めてくれと言っていたいまがそのときなのだろうけど、お姉ちゃんが先にキレたのでキレるタイミングを失った。

 でも、いったん立ち上がろとした手前、座るに座れない、といったところだろう。


 僕が

「お父さん」

 と肩に手を置くと、

「おお」

 とゆっくり腰を下ろした。


「電話かけてきてからいままで、どこにいたの?」

「遊園地。電話かける前もかけたあとも、遊園地で姫と遊んでた。ちゃんと五時前には帰ってきたよ」

「そんなことは訊いていないの。わたしらがどれだけ捜しまわったと思ってるの? 人に迷惑かけて、へらへらへらへら。あんたそういうひとよね。思い出した」

「麦茶はお気に召さない?」


 お姉ちゃんは無言でびんたした。

 三度目だからだ。

 頬をさすりながら、それでも高梨さんは笑っていた。


「ママ、あんまりパパを叩いちゃ駄目だわよ。ちゃんと理由があるだわよ」

「理由って?」


 お姉ちゃんの姫たんへの質問を、高梨さんが受けた。


「それはまだ秘密だよな、姫」

「いい加減、殴るわよ」

「まだって言ったろ。まだって。おいおい話すから。順番があるんだよ」

「その順番を気長に待っていられるほど、わたしの機嫌はよくない。あんたがそうしたのよ」


 お姉ちゃんは怒っていた。と、お母さんが割って入った。


「落ち着いて。わたしも高梨くんが来たときは怒ってやろうかと思ったけど、事情を聴いたら、怒る気もなくなったのよ」

「お母さん……、なんで姫が帰ってきたときに連絡くれなかったの?」

「だから事情を聴いたから」

「事情って何?」

 お姉ちゃんが高梨さんに訊いた。


「たぶん今日が最後だから。姫と遊んだり、きみとこんなふうに話をしたりするのは。いや、最後ってのは言いすぎかな。でも、いままでみたいにはもう会えないから」


 高梨さんの答えは、核心には触れられていなかった。

「どういうこと? はっきり言って」

「俺、再婚するんだ」

 ほんの少し、時間が止まった。

「再婚?」

 康お兄ちゃんが言った。


「そうです。僕、再婚するんです。だからもう姫に会う機会も絶対的に少なくなるし、小日向さんちにお世話になりに来るのも、きっともう何年に一回あるかないかになると思うんです。新しい家族ができるわけですから」


 高梨さんが次の言葉につなげる前に、お姉ちゃんが言った。


「それと今日、姫に家に帰れないかもしれないって言わせたことと、どうつながるの?」


 高梨さんはさわやかに言った。


「きみとも姫とも、もういままでみたいに会えなくなるわけだし、普通に遊んで、はい、さようならじゃ、なんか味気ないでしょ? それで考えたんだよ。きみと姫にどうやっていつまでも記憶に残るようにしようか」

「それがこの狂言ってわけ?」

「そう。こうすればみんな俺のこと、忘れられないでしょ? さっきのきみの顔、俺、忘れられないよ。いやあ、こんなにうまくいくなんて思ってなかったよ。傑作、傑作」

「傑作、傑作、じゃねえー!」


 お姉ちゃんは高梨さんを殴った。

 そのパンチは、ヘビー級のボクサーはおろか、オスのマウンテン・ゴリラでさえノック・アウトできそうな強烈な一撃だった。

 きりもみして吹っ飛ぶ人間を見たのは初めてだった。


「中目黒のジョーじゃ。中目黒のジョーの右ストレートじゃ。もう一度見られるとは思わなんだ。ありがたや、ありがたや」


 いつからいたのか、お祖父ちゃんがお姉ちゃんを拝んだ。


「あら、もうすぐご飯の時間ね。どうする? 高梨くんも食べてく?」


 お母さんはこんなときでも冷静というか、暢気というか……。

 でもお祖父ちゃんの登場で、張り詰めた空気が軽くなったのはたしかだ。


「いや、もう十分お邪魔しましたから。僕はもう帰ります。失礼しました」


 そう言うと高梨さんは、

「姫、パパは姫が大好きだよ。いつまでも忘れないでね」

 と姫たんを抱きしめた。

 姫たんは

「しょうがないパパだわよ」

 と小さい体で高梨さんを抱きしめ返した。

 みんななにも言えずにただ見ていた。

 触れて壊してしまえない光景だった。


 高梨さんは隠していた靴を履いて玄関に立った。

「お世話になりました」

 とみんなに頭を下げたあとで

「それじゃあ環奈、さよなら」

 と言った。

 ただの挨拶じゃないことは、姫たんにだってわかったはずだ。


「さよなら。もう離婚しないようにね」


 お姉ちゃんはまだ少しイライラしているようだった。

 高梨さんが玄関から門へ出ていくと姫たんがあとを追いかけたから、お姉ちゃんも渋々といった感じでついて行った。

 高梨さんの車は近くのパーキング・エリアに停めてあるらしかった。

 僕たちも玄関を出たのだけど、距離を置いた。

 門を出た三人はふたたび向かい合った。


「バイバイだわよ」

 姫たんが手を振った。

「バイバイ」

 高梨さんも返した。

 お姉ちゃんもなにか言ったのだけど、よく聞き取れなかった。


 高梨さんは肯いてから帰っていった。

 と思わせてすぐに戻ってきて、お姉ちゃんに抱きつこうとし出した。

 お姉ちゃんは嫌がって高梨さんの頭を叩いた。

 高梨さんはそれで満足したのか、ニコニコと笑って、今度は本当に帰ったようだった。

 門から玄関へと振り向いた姫たんとお姉ちゃんは、こんな会話をした。


「姫、パパになんて言われたのかはわからないけど、嘘言ったら駄目なのよ」

「ごめんなさいだわよ。でもパパが泣いたのは本当だわよ。なんで泣くだわよって訊いたら、姫ともう会えないかもしれないのが寂しいって言っただわよ。姫たん来るものがあっただわよ。だから悪いとは思ったけど、パパの言うことに乗っただわよ」


 お姉ちゃんは、もう見えなくなった高梨さんの後ろ姿を見送るように見て、それから少し、笑ったんだ。


 晩ご飯を食べて、お父さんちに行って、自分の部屋のベッドで横になったとき、僕はふと客観的に高梨さんの行動を考えた。


 お姉ちゃんに怒られた話をしていた高梨さん。

 お姉ちゃんに殴られた話をしていた高梨さん。

 お姉ちゃんに蹴っ飛ばされた話をしたことも、そういえばあった。

 うちに遊びに来たときにも、お姉ちゃんに叩かれるようなことばっかりしていた。

 今日だって、思いっ切り殴られてた。


 それが、今日のは違うけど、お姉ちゃんと高梨さんの、洒落というか、冗談というか、コミュニケーションの取り方なんだろうと思っていた。でも改めて思う。

 高梨さんは、なんでそんなことばかりしたのだろう?

 もやもやした僕の頭のなかに、浮かぶものがあった。

 高梨さんの笑顔だ。

 お姉ちゃんに叩かれた話をしたとき、実際にお姉ちゃんに叩かれたとき、高梨さんは笑っていた。

 それは笑い話だから、冗談のやり取りだから笑っていたのだと思っていた。

 けれど……。


「高梨さん、お姉ちゃんに叩かれるのが嬉しくて笑ってたんじゃないのか?」


 これはあくまで推測だ。

 でも考えれば考えるほど辻褄が合う。

 僕はニヤニヤしてしまうのを止められなかった。

 高梨さんはいまごろきっと思っている。

 最後のパンチ、きりもむほど吹っ飛ばされてよかった、と。

これにて、第三話、おしまいです。

次はだれが主役になるのか、考えていただけますか?

せっかく考えても、明日の朝に、すぐに答えが出ちゃうんですけどね。

それでも俺は私は考える、なんて言っていただけたら嬉しいです。


では、また。


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