ダッサあ
その後、一時間に及ぶ打ち合わせの末に、僕と咲のコスプレデビューは、一ヶ月後に先輩のマンションにお邪魔して行われることとなった。
僕たち二人はどう何を準備したら良いのか分からないので、今回は先輩にお代だけ渡して代理でご用意いただくことにした。
先輩から「何かコスプレしたいキャラクターはいるか」と尋ねられた。
僕はその言葉としばらく考え込んでやがて、昔大好きだった『カイの冒険譚』という少年漫画を思い出した。
『カイの冒険譚』は、週刊少年誌で十五年前ほどに連載していた連載漫画だ。
主人公カイが、恐怖で全てを支配する魔王を撃ち倒すべく、世界を旅して仲間を集めながら強くなっていく王道のファンタジーバトルである。
ベタベタの展開が多かったが、素直で純粋な小学生の心には大きく刺さり、少年たちのあいだで大流行したのだ。
僕が好きだったのは、その中でも少しニッチなキャラクターだったのだが、僕がそれを答えようとする寸前に、咲から「しゅんぴにやってほしいキャラありますあります!」と横やりを入れられたため、どうにも押しの弱い僕は咲の希望を聞くことにした。
という訳で僕たちは、ともに先輩と同じく『ノベルコレクション』に登場するキャラクターに扮することにした。
咲は白雪姫がモチーフのキャラクター、スノゥホワイト。
僕は咲の希望により、怪盗ルパンがモチーフのアルセーヌ・ルパンを纏うことになった。
*
当日、僕と咲は、先輩の最寄り駅で先に合流し、駅の近くのスーパーで先輩への手土産を買った。
和菓子かケーキかで少々咲と揉めたが、そんなことで険悪になりたくない僕は早々に折れて、咲の希望通りケーキを買っていくことになった。
駅から徒歩で十分ほど歩いていくと、先輩から送られてきた写メ通りの形をした五階建てのマンションを見つけた。
オートロックではなかったのでそのままエレベータに乗って三階に上がり、教えられた番号のドアのインターホンを押した。
「はいはい、今出ます」
インターホンのスピーカー越しではなく、ドアの向こうから直接先輩の声が聞こえてきた。
ほどなくしてドア鍵が開く音がして、中から部屋着姿のあざみ先輩が顔を出した。
「二人ともお疲れ。今日暑いね。入って入って」
「お邪魔します!」
咲は待ち切れないという様子で、ドアを開ける先輩を避けて一足早く玄関に入っていった。
僕というと、先輩のTシャツにジャージのズボンという、大学で見るよりもラフな姿を目の当たりにした途端、今更ながらこれから一個上の美人の女の先輩の部屋に上がりこむという事実に実感が伴ってきて、足がすくみ出してしまう。
何故だか脳裏には、先輩に告白して玉砕して行った数多の先輩、同期の恨めしい顔つきが浮かんできて、怖くなってきた。
「何してるの。早く上がりなよ」
「え、あ。はい。すみません」
怪訝な顔をした先輩にそう急かされて現実に引き戻される。
とっくに咲は靴を脱いで中に入り込んでいたので、僕も慌てて居宅へと上がって行った。
*
キッチンを兼ねた短い廊下を渡って、六畳ほどのリビングに入ると、そこには綺麗に整理された女子大生の部屋があった。
ソファを兼ねていそうな一人用のベッドに、背の低い落ち着いた色のテーブルと、壁際に置かれたテレビの配置は、一人暮らしのテンプレートのようなそれらしさを醸し出している。
小さな本棚に詰め込まれた漫画の類と、ところどころに置かれたフィギュアだけが、あざみ先輩のオタクらしさを表していた。
先ほど買った手土産のケーキをあざみ先輩に渡すと、先輩は喜んで受け取ってくれて、後にみんなで食べようと冷蔵庫にしまっておいてくれた。
「で、悪いんだけど、今日のメインはこの部屋じゃないんだよね」
あざみ先輩はそう言って何やら苦笑いを浮かべている。
確かにあざみ先輩の自宅の部屋はワンルームではないようで、僕たちのいる部屋の左側には一つドアがあった。
恐らく寝室として使われるだろう部屋なのだろうが、しかしリビングには既にベッドがあることから察せるに、どうやら別の用途で使われているらしい。
「まあ、開けてみてよ」
あざみ先輩に促されて、咲がドアノブに手をかける。
がちゃんと気持ちの良い開放音が聞こえて、その部屋の中身が暴かれる。
まず咲が部屋の中に入り、僕も後ろに続いていざ中へと入った。
「ヤバ、すっご……」
先に入室した咲は唖然としてそう呟き、続いて入った僕は、その景色に言葉さえ失った。
まず目に飛び込んできたのは、奥の壁一面に立てられたハンガーラックに、びっしりと掛けられた無数の服の滝だった。
透明な防虫シートにかけられているそれらは、まごうことなく全てがコスプレの衣装だった。
よく知っているアニメの衣装から、僕も知らないような鎧衣装まで、千差万別な色合いの服が壁からせり出して膨れ上がっていた。
そして手前側の壁一面には巨大な有孔ボードが取り付けられており、そこに古今東西の様々な武器が壁に掛けられて飾られていた。
大剣、長剣、銃、杖、弓など様々で、いずれも豪華な装飾が取り付けられてある。壁だけ見れば、まるで中世の武器屋に降り立ったようだ。
他にも部屋に敷き詰められている無数の棚やラックには、沢山のメイク道具や、恐らくコスプレで使うであろう小道具、帽子などがそこかしこに収納されていた。
床面から天井まで、ものに溢れて煩雑になりながらも、よく見ればどれも良く整頓されている空間は、まるで魔法使いの工房に来たのではないかと錯覚するほどだった。
「物多くて汚くてごめんね。これでも片付けた方なんだけど」
「全然です!むしろコスプレイヤーさんのお部屋って感じで、すごい素敵です!」
最後に入ってきてそう謝る先輩に、咲は瞳をキラキラさせながらそう答えた。
咲の言う通り、汚いなんて微塵も思わない。むしろ、コスプレイヤーの秘密基地のような気がして、腹の底にある少年の心を焚き上げられているような高揚感を感じた。
「ふふ、ありがと。それじゃ早速、届いたものを渡しましょうか」
あざみ先輩は満更でもなさそうに微笑んだ後、自分も部屋の中に入ると、床に無造作に置かれていた小包を二つ手に取って、それぞれを僕と咲に手渡した。
「こっちが咲ちゃんので、こっちが駿くんの」
受け取った荷物は不透明で灰色のビニールに包まれていて、座布団くらいもある大きさだった。
持ってみると存外に軽く、感触でそれの中身が布物であることが分かった。
「衣装ですか!?」
受け取った途端興奮気味にそう聞く咲に、あざみ先輩は思わず笑っていた。
「そのために来たんでしょ。早速開けてみて」
僕たちは頷いて、それぞれ包まれたビニールを剥がしていった。
中から出てきたのは、綺麗に折り畳まれた、まさにコスプレ衣装だった。
ゲームの中でルパンが来ている黒い燕尾服と、赤いマント、そして器用に折り畳まれたシルクハットが入っている。さらには黒のズボンと、中に着る白シャツまでがわざわざ入っていた。
マントを広げてみると、厚みのあるマントは重厚感がある。
裏地にはキャラクターデザインとしての特徴である蝙蝠の刺繍が施されていて、作品に忠実な造詣が伺えた。
「うわー……、マジでルパンだ」
僕の口から月並みな感想が漏れる。
あざみ先輩のティターニアを見た時と同じで、ずっと触れられないと思っていた二次元の世界が、いきなり壁を突き破ってこちら側に歩いてきたような感覚だった。
咲も衣装を広げて、僕と同じように感慨に耽っているようだ。
咲の衣装も気になって覗いてみると、白雪姫をモチーフにした町娘風のドレスで、要所要所に毒林檎のモチーフが散りばめられている。こちらも元のゲーム内のキャラクターに忠実に作られているように見えた。
「二人とも衣装は問題ない?」
「大丈夫そうです!てかスノゥホワイトの衣装めっちゃ可愛くないですか!?」
咲はもう興奮が止まらないようだった。僕も問題なしと頷いた。
次に先輩は部屋の中を移動して、奥の隅に鎮座していた戸棚に触れた。
それは先輩の背丈くらいもあって、他の戸棚は中身が見えているのに、それだけは両開きの扉で閉められて、中にあるものを隠しているみたいだった。
あざみ先輩は僕たちの方を振り返って、先ほどこの部屋を見せる前に浮かべていたのと同じ苦笑いをして、一応と忠告した。
「ちょっとホラーだけど、びっくりしないでね」
ホラー?と予想外な単語に僕たちが首を傾げている間に、先輩は扉に手をかけて、ゆっくりと開いていった。
「ぎゃ!?」
僕が思わず絶叫して飛び跳ねた。
その扉の陰から見え始めたのは、首、首、首。遂にその扉が全て開け放たれたとき、三段のラックがついている棚の上から下までに、生首が綺麗に整列されて鎮座している光景があらわになった。
腰が砕けそうになった僕とは対照的に、咲はすっかり平気な顔で、というかほぼ無反応くらいで、震える僕に呆れていた。
「しゅんぴ落ち着きなよ。これ全部マネキンだよ」
「いやそないなこと言わはりましても!」
思わずエセ関西弁も出る。
そりゃお化け屋敷に置かれている生首だって全部マネキンには違いないだろうに。
あっちが怖くてこっちが怖くない道理がどこにあるのか。
というか、なんで彼女が冷静で、彼氏がこんなに怖がってるんだ。普通こういうのって、彼女が「キャッ」って怖がって、彼氏に抱きつくものじゃないの?古い?
段々と光景に慣れてきて、なんとか戸棚の中身を観察してみると、それは生首には違いないのだが、そのどれもがカラフルな髪型をしている。
その中の一番右上に鎮座する生首の頭の形に、僕は見覚えがあった。あれは先輩がコスプレしていた、ティターニアの髪型だ。
「この棚にウィッグ……キャラクターの髪型を保管してるの。でも駿くんの反応通り、ただ生首飾ってあるように見えて私も怖くて、実は後から扉を付けたんだよね」
あざみ先輩はそう笑いながら、戸棚の下から二つの生首、もといマネキンから髪の毛をそれぞれ取りあげて、僕たちに手渡した。
咲には、黒髪のロングヘアを後ろで三つ編みにして束ねているヘアスタイル。これはスノゥホワイトのヘアスタイルだった。
僕には、少し長めの銀髪を逆立たせてあるウィッグだった。襟足は短く、前髪はアニメ調に大きな髪束がセットされている。それはまごうことなく、僕がコスプレするアルセーヌ・ルパンのヘアセットだ。
「これが、今日二人が被るウィッグね。あらかじめ作っておいたから」
「これ、先輩が作ったんですか!?」
僕は咄嗟に聞き返すほどに驚いた。あざみ先輩はその通りと得意げに頷いた。
「勿論ウィッグ自体は買ってきたけどね。ハサミとヘアアイロンとスタイリスト剤と私の器用さを混ぜてこねれば、こんなもんよ」
先輩が得意げになるのも良くわかった。
僕たちが手にしたウィッグは、どちらも素人目でも大した出来で、アニメ柄によくある外ハネの毛束や、逆立った髪の毛もよく再現されていた。
それでていて、フィギュアのようにカチカチに固められているわけではなく、程よく柔らかさを保って、人間の髪であることが伝わるような自然さを意識して造られていた。美容師になれる腕前とすら思うほどだ。
あざみ先輩はようやくマネキンが飾られた戸棚の扉を閉じると、パンと手を叩いた。
「じゃあ二人とも、早速始めましょうか。まずはメイクの仕方やウィッグの被り方とか、基本的なことを教えていくね」
すると咲が、不思議そうに首を傾げて質問した。
「私、メイクなら自分でできますよ?」
しかしあざみ先輩は、よくぞ言ってくれたという風態で、にやりと笑って答えた。
「残念だけど、コスプレのメイクと普通のメイクはかなーり違うわよ」
僕からしてみれば、普通のメイクすら分からないので、ふむふむと形だけ頷くしかできないが、咲はその物言いに大層興味を惹かれたようで、目が爛々と輝いていた。
「まずは咲ちゃんの着替えとメイクをやるから、一応彼氏とはいえ、駿くんはさっきの部屋にいてね」
「わかりました。じゃあリビングで待ってますね」
僕が言われた通りに部屋から出ようとすると、その直前に先輩は思い出したように「あ、そうだ」と一言付け加えた。
「衣装、気になるなら先に着ちゃってもいいよ」
「……了解です」
はいはーい、と返事するあざみ先輩の声が、閉まるドアの隙間から吸い込まれるように聞こえてきた。
誰もいないリビングに戻ってきて、僕は改めて部屋を見渡した。
綺麗に整理はされていても、ベッドの端に無造作に伸び切ったスマホの充電コードとか、読みかけなのか、一冊だけ飛び出ている漫画とか、先輩の生活がここにある痕跡がそこら中に散らばっていて、僕はだんだん、先輩の生活の中に溶け込んでいくような気になった。
男子大学生たるもの、美人の先輩の部屋にも興味をそそられるが、今は手元に抱えるこの衣装の方が僕は数段気になっていた。
早速着替えてみることにする。着ていた服を脱ぎ、そのまま脱ぎ捨てようとして、一応他人の家であることを思い出して、小綺麗に畳み直しておいた。
改めて衣装を見てみると、服としては意外と普通の構造をしていて、特に着方が分からないということもなかった。白シャツ、ズボン、燕尾服を身につけていき、最後に赤いマントを羽織る。
「おお……」
衣装を身につけた自分の身体をぐるりと眺め回して、思わず声が漏れてしまった。
まさに自分がルパンとなって、この現実の世界に顕現したかのようではないか。その場でぐるりと回ってみると、マントが空気にたなびいて浮かび上がっているのを感じる。
ついつい興奮して、ゲームに出てくるルパンのポーズを、二つか三つ真似てみたりもした。
次にベッド傍に置いた銀髪のウィッグを手に取ってみると、裏側は帽子と似たような作りになっているのが分かった。
そのまま被れそうだったので、前後を確認しながら頭に装着してみる。
すると、すっぽりと入ったウィッグの端から自分の前髪押し出されて、毛先が目の中に飛び込んできてチクチクと痛んだ。
僕は思わず一度ウィッグを外した。前髪を片手で急いで払っているあいだに、僕は気づいた。
「これ、ウィッグの中に髪の毛をしまわないといけないのか」
とはいえ、上手な収納方など分かるはずもなく、ひとまず前髪だけはと思って、片手で前髪をたくし上げて、片方の手で頭にウィッグをゆっくりと装着してみた。
多少苦戦したものの、うまく前髪がたくし上げられた状態でウィッグの中に収まってくれた。
少し小さめの帽子を付けたときのような、頭を軽く締め付けられる感覚があるが、その分ぴったりとしていて、多少頭を乱暴に動かしても外れなさそうだ。
最後にシルクハットを開封して頭に被った。
これで僕は今、全身隈なく『ノベコレ』のルパンそのものになったわけだ。
僕は自分がどんな姿になっているか、無性に確かめたくなった。そこで僕は、咲と先輩が籠る部屋のドアをノックして、壁越しにあざみ先輩に尋ねた。
「あざみ先輩、鏡ってありますか?衣装着てみたんですけど、どんな感じなのか見てみたくて」
すると、すぐに中からドア越しでくぐもったあざみ先輩の声が返ってきた。
「全身の鏡はこの部屋にしかないけど、洗面台に鏡あるから、自由に入って見ていいわよ」
洗面所は脱衣所、あ、脱衣所は廊下入って左ね、とあざみ先輩が教えられた通りに向かって引き戸を開けると、脱衣所の奥側に立派な洗面台があった。
僕は意気揚々と鏡の前に立って、この世に現界したルパンの御姿をこの目で確認した。
「……ダッサぁ……」
意気揚々な期待とは裏腹に鏡の前に立っていたのは、どう考えても只の僕そのもので、さらに付け加えるなら、へんてこな格好をした僕だった。
立派な燕尾服は猫背のせいで台無しで、作中のルパンから感じる悪役紳士な雰囲気はどこかしこにも感じられない。
極め付けて最悪なのは顔で、目は小さく鼻は団子、ニキビも黒子も丸見えで、風雅さや凛々しさなど少しも感じられないのに、頭に乗っかる髪型だけは一丁前に再現性が高い。
しかしそんな頭も、前髪はたくしあげてみた甲斐あってよく収まっているのだが、左右のもみ上げや、後ろの襟足の黒髪が隠しきれておらず、ウィッグと地肌の間に雑草のように生え出ている。
その雰囲気はまるで、売れないモノマネ芸人のような滑稽さで、二次元の再現などとはお世辞にも言えないものだった。
僕の膨れ上がった僕の中の興奮が、針で刺されてそそくさと萎んでいくのが、とてもよく分かった。
僕は足を引きずるようにリビングへと戻った。
こんな酷い格好を咲にも先輩にも見られたくなかったので、僕はせめてウィッグだけでもと頭から脱いで、ベッドの隅に丁寧に押しやってしまった。