第9話 偽りの家族が囲む食卓
物語の始まりの序章・最後のエピソードになります。
その日から、俺は殆どの時間をレイン達の屋敷で過ごすようになった。レインの家事を手伝いつつスノウが寝るまで屋敷にいて、スノウが寝たら少しだけレインと「恋人の振り」の打ち合わせをしてから自分の屋敷に帰る。そんなことが日課になっていった。
最初の方はレインは俺がいたずらでもすると思ったのか、殆ど家事を分担してくれなかった。水汲み及び運搬・お風呂の温度調整や火おこしなど、どうしても体力が必要なものだけを俺に割り当て、レインは家事労働に終われているのとは対照的に手持無沙汰にしていることが多かった。でも、少しずつでも俺のことを信用してくれているのか、段々と俺に割り当ててくれる仕事も増えた。
そうそう、家事というと炊事について思い出すとどうしても吹き出さざるを得ないエピソードがある。
それは、俺がスノウの本心を知った直後のことだった。スノウと一緒にリビングに向かうと、丁度レインは昼食の準備をしていた。
「スノウ、もう少しでできるから待っててね」
そう言ってレインが運んできたサラダを見て俺は絶句する。盛り付けられた野菜の切り方がなっていないどころの騒ぎじゃねぇぞ、これ……。スタンダードな食材を使ってここまでまずそうなサラダを作る人間を俺はこれまでの人生で見たことない。そして―――。
「なあレイン、なんかキッチンの方が焦げ臭くないか」
キッチンの方から漂ってきた異臭に嫌な予感が頭を掠める。
しかしレインは慌てた様子もなく
「なんでケインに指図されなきゃいけないのよ。まあ、確かにこの香りがしたらそろそろ出来上がったってことだし、教えてくれたことに感謝はするけどさ」
といつも通りの調子でキッチンへと戻っていく。そんなレインの後を追った俺が目にした光景は……あろうことがレインが丸焦げになった黒い物体を真っ白な皿の上に盛り付けているところだった。
「一応聞くけれどそれは……」
「見てわかるでしょ。ハンバーグよ」
「見てわからねぇよ。およそ人間の食べ物じゃねぇよ! 」
「そのままだと確かにちょっとだけ苦いけれど、味の方は魔法で誤魔化すから大丈夫」
「そんな食品添加物みたいなノリで魔法を使うな! というか、そんな発がん性物質の塊を大事な妹に食べさせようとするなよ。今作ったのは廃棄だよ廃棄」
「えー、食品ロスはいけないことだよ」
「お前が調理した時点で食品ロスになってたから食べようが食べまいが同じだよ」
「でもそれを食べないなら今日のスノウのお昼が……」
「俺が作る! 」
いきなり宣言した俺にレインは一瞬、ぽかんと口を開ける。暫くして
「えっと、スノウの口に入るものを作らせるのはちょっと。……ごめん、まだそこまでケインのこと信用できてないんだ」
「レインの気持ちもわからんでもないけれど、レインがしようとしていることだって魔法で味を誤魔化して毒物を食べさせようとしているんだからな」
「それは……」
強い調子で迫る俺にレインはじりじりと押し切られそうになる。その時。
「えっ、今日はお兄ちゃんが料理作ってくれるの? たのしみ~」
騒ぎに気付いたのか、スノウが目を輝かせて首を突っ込んでくる。
思わぬところからの援護射撃。それにうろたえたのはレインだった。
「ちょ、ちょっとスノウ。その……」
「別にいいでしょ、お姉ちゃん」
懇願するような瞳でレインのことを見つめるスノウ。最愛の妹にそんな様子で頼まれたら、もうシスコンのレインに拒む術なんてなかった。
レインはがっくりとうなだれ
「申し訳ないけど、頼んだわ」
とだけ言ってキッチンから去っていった。すかさず大きくガッツポーズをするスノウ。
スノウ、ナイスアシスト! と思ったけれど……スノウの様子を見ている限り、割と本心だったっぽい? まあ、味は調整されているとはいえ見た目があれな料理を毎日食べさせられていたらそんな気持ちにもなるか。
それから15分後。
「できたぞ」
そう言って俺はレインとスノウの待つテーブルに出来立ての料理を運ぶ。
今日のメニューは皮つきウィンナーのジャーマンポテトとキッシュ風オムレツ、そしてフレンチサラダ。もう一度スノウを待たせていることから、とにかくスピード重視で作れるメニューを優先した。
「夢みたい。とても人間が食べることを許される料理だとは思えないけど……本当に食べていいの? 」
うっとりした表情で訪ねてくるスノウに俺は頭を抱える。お手頃に作れる家庭料理でここまで感動されるって……この子のこれまでの食生活が思いやらられる。
それに対してレインは大分ご機嫌斜めのようだ。
「み、見た目は良くたって味がダメだったら意味がないんだからね!」
「別に俺は魔法で隠し味をトッピングしたりすることなんてできねぇし、いたって普通の味だよ。それでも心配なら毒身代わりに食べてみろ」
そう言って俺が差し出したジャーマンポテトの大皿に、レインはいぶかし気な表情のままフォークを伸ばす。そしてレインがフォークでほくほくのポテトを捉え、口に運んだ次の瞬間。
「何これ、うまっ! 口の中でとろけるように溶けたんだけど!」
可愛らしく頬に手を当てながらレインが呟く。言ってしまってからはっとするレイン。
「べ、別に褒めてるわけじゃないんだから! 別に変なものが入ってる感じでもなかったし、味も下の上くらいではあるから、スノウに食べてもらうにギリギリ値するわ。喜びなさい」
なんだよ、スノウの前でのその態度。そう思いつつも、ついニヤニヤ笑いが漏れてしまう。
「2人だけの世界に入ってないでわたしにも食べさせてよっ! お、おいひ~」
そんなことがあって、料理が壊滅的なレインに代わって、俺が1日3回の炊事は担当することになったのだ。
実家では当番制で料理を作ることになっていたから、村にいた時から俺は頻繁に料理をすることはあった。でも、それは当然のことだったから、家族のみんなも当然のようにそれを受け取り、感謝の気持ちを間接的にだって伝えてくれることなんてなかった。
でも、ここでは違う。スノウはいつも心から美味しそうに俺の料理を食べてくれる。作り物っぽくレインに甘え、それでいて大人びた表情を俺には向けるレインだけれど、俺の手料理を食べてくれている時だけは本当に年相応の女の子でいてくれているような気が俺にはしていた。
そしてレインもあからさまには出さないものの、おいしいと感じてくれているのが表情から漏れ出ていた。そんな2人に喜んでもらいたくて、実は少しずつ料理の研究を始めたりもしている。
その日はちょっと頑張ってプリンを夕飯のデザートに作ってみて、好評をもらったところだった。それからあっという間に時は経ち、いつも通りスノウが寝る時間となる。
スノウを寝かしつけてきたレインがリビングに戻ってきた瞬間、レインから張りつめていた雰囲気が消える。スノウが眠った2人だけの時間。この時間だけがレインにとっては本来の自分に戻れる時間だった。
「ねぇ、私達ってちゃんと恋人出来てるのかな? 」
不意にレインが尋ねてくる。それに、俺は自然と首をかしげてしまう。
「うーん、恋人っていうより夫婦? 」
ぽっと赤くなるレイン。
「いや、夫婦っていう感じでもないか。夫婦はもっと甘々とした感じだと思うし。でも、いつも一緒にいるし、初々しかったりときめいたりすることがないから恋人ではないから、「家族みたい」っていうのが一番適切なのかなぁ。でも、スノウもとりあえずは満足しているみたいだし、今はそのままでいいんじゃないか」
「えっ? 」
「今はどんな形であれ一緒に居られればいい。別に本当に恋人になろうなんて俺もレインも思ってないんだから、あとはスノウに言われたらやればいいさ」
俺が言い終わると、レインは数秒間だけぼーっとしていたが、最後には柔らかく微笑んでくれた。
その日の夜。屋敷に戻るとアンナが出迎えてくれた。
「レイン様達と仲良くなる方向で進めてるんですね」
「ああ。まだ警戒されちゃってるけどな。でも、いつかレインが俺に対しても、そして自分自身に対しても心を開いてくれると信じてる。そして、その暁にはレインが自分の力をより多くの人のために使ってくれるんじゃないか、って。ーーアンナは迂遠すぎると思うか? 」
俺の問いにアンナは静かに首を横に振る。
「いえ。ケイン様達とレイン様のような羊飼いと大聖女の関係を作ろうとした前例は殆どいないので驚きはしましたが、どのような関係を築いていくかは結局はお二人の判断ですぅ。アンナから強制できることなんてないですぅ。ただ」
そこでアンナは言葉を一旦切る。
「ただ、これだけは覚えておいてほしいですぅ。超えてはいけない一線――間違っても大聖女様と子作りをしようなんて考えないでほしいですぅ。大聖女様の絶大な力がお子さんに受け継がれたらその子がどうなるか。考えただけでおぞましいですぅ」
深刻そうな表情でいうアンナ。その言っている内容と口調のギャップがあまりにもおかしくて、俺はつい吹き出してしまう。
「な、何笑ってるんですぅ? アンナは真剣な話をしているのですぅ」
ぷうっ、と頬を膨らませるアンナ。
「すまんすまん。でもアンナがあまりにも荒唐無稽なことを言うものだから。俺とレインに限ってそんなことは絶対ないと思うけれど……ここで約束するよ」
入れの言葉にほっ、と胸をなでおろすアンナ。そしてアンナは徐に細い小指を突き出してきた。
「これは?」
「指切り、ですぅ。ケイン様が裏切ったりしないように」
指切り、か。娘とは良くしたものだけれど、大の大人2人がやるものじゃないよなぁ。まあ、それでアンナの気が晴れるなら付き合ってやるか。
そう思って俺はアンナの小指に自分の小指を絡ませる。
「「ゆーびーきーりげんまーん嘘ついたら針千本のーます、ゆびきった」」
夜がゆっくりと更けていく中。がらんとした洋館の1室で大人たちのいやに子供っぽい声が響いた。
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