第1話 そして世界は巻き戻る
いつからだろうか。少なくとも人類の歴史がはじまった数千年前頃には世界には"人類"と"魔族"は敵対し、歪みあっており、世界は人類の支配する領域と魔族の支配する領域に2分されていた。
人類と魔族のぶつかり合い。それは遥か昔からあり、有史以来で特に大規模な2回は"世界大戦"と呼ばれている。しかし、その2度の世界大戦を経てもなお、人類側・魔族側のどちらかの勢力が絶滅することはなかった。第2次世界大戦以後も多少の小競り合いは続いたものの、両勢力の妥協によって引かれた基本的には境界線は何十年もの間守られ、束の間の小康状態が世界に訪れた。
しかし、その小康状態はある日、突然に破られた。
異世界暦2121年。魔族側と人間側の間に結ばれた第2次世界大戦終戦協定を魔族側が破棄し、魔族たちが人間側の領域に攻め入ってきたのだ。
魔族の猛攻に対し、人間側も指を咥えてみていたわけではなかった。人間側も来るべき魔族との戦いに備えて編成した王国騎士団と、6人の大聖女を中心とする聖女団を展開し、襲い来る魔族を迎え撃った。
ただ、今回は先の2回の大戦とは大きく様相を異にしていた。先の大戦以上に魔族側の侵攻が強烈で人間側の反抗が全く追い付かず、人間側の重要拠点はどんどんと落とされていった。
そして現在、2122年3月10日―――。
「ついに王都が陥落したんだってよ、旦那」
注文していたビールのジョッキを俺のところに運んで来ながら、居酒屋の店主が伝えてくる。
「魔族がこの村に攻め入ってくるのにももう1週間とかからないだろうな。―――そんな状況にしては、いやに旦那は落ち着いてるな?」
店主の言葉に、俺は肩をすくめる。
「正直、俺達みたいな平民にとっては支配者が魔族だろうが人間だろうが変わらないんじゃないか、って思っちゃうと、危機感もわいてこなくてさ。魔族に支配されたところで何かが変わるって思えないんだ。ここの領主は人間だったはずなのに、血も涙もなく重税を課してきてたしな」
「まあ確かにそうだが―――娘さんはどうする?もし人間が被支配層になったら、場合によっては娘さんが無理やり取り上げられる、ってこともあるんじゃないのか。魔族は人間よりも性欲求が強いらしいし」
それを聞いて俺の表情は曇る。
「それは困るな。でも、大聖女様が総出で対応して抑えきれなかった魔族軍の侵攻に、俺達みたいな片田舎の平民がどうこうできることはないからな。なるようになれ、だよ」
投げやりになる俺に対して、店主は少し驚いたような表情をしてから、急に俺の耳元に向かって声を顰めて言う。
「それが、風の噂によると今回は先の大戦と違って人間側は万全じゃなかったらしいぜ。頼みの綱の七大聖女様の1人がどうしても戦いを渋ったらしくて。だからここまで人間側がおされてるんだと」
「へえ。それはまたはた迷惑な話だな。まあ戦場に出たことのない俺には、戦場に立つ怖さなんてわからないんだけれども」
思ったことを隠そうともせずに俺が口走ると店主は慌てたように人差し指を口の前に添えて俺に言う。
「しー!そんなはっきり言うなよ。王国政府の誰かに聞かれてたら、ただ殺されるだけじゃすまないぞ」
「そんな庶民の言論を監視統制しているリソースがあるくらいなら、魔族との戦いに少しでもリソースを割いてほしいね。それに、どうあがいたところで人間の国家はもうそろそろなくなるんだ。聞かれていたところで困らないさ」
俺がそう言い捨てた時だった。
突然、空間が丸ごと震えるような感覚があった。
―――なんだ?
そう思いつつもビールに口をつけようとジョッキに手を伸ばす。でも結論から言うと、俺の手は何も掴めずに空気を掴む。
気付くと、さっきまであったはずのジョッキが消えていた。と、いうか、俺は居酒屋にすらいなかった。
俺は学校の席に座っていた。もう卒業してから5年経つけれど忘れようもない、3年間通った地元の中学の教室。そこに、なぜか俺は制服を着た状態でいた。でも、こんなことはありえないはずだった。だって、この中学は生徒数減少が理由で5年前に廃校となり、既に取り潰されていたから。
訳が分からんけれど、とりあえずこれまでの20年の中での、俺の衝撃の最大瞬間風速が一気に更新されたな。そんなことを思いながら周囲を観察しようとすると、次の瞬間、あっさりと俺の中の衝撃の最大瞬間風速が更新される。
「ちょっと、ケイン、ぼーっとしちゃってどうしたの?おーい」
俺の目の前で手をひらひらさせてくる14.5歳の、制服に身を包んだ金髪ロングの美しい少女を認識し、俺は驚きのあまり椅子から転げ落ちてしまう。
「な、ナナミ……なんでお前がここに?」
混乱しながらもやっとのことで口を開いた俺に、ナナミはむすっとした表情をする。
「なんでって失礼だな。私はケインと2人しかいない、この学校最後の生徒だからよ。それとも忘れちゃった? いくら私が聖女の素質があるからって言っても、中学卒業まではケインと一緒にいるっていう約束を。」
そうだ。俺の幼馴染のナナミは魔法の才能があり、周囲からはすぐにでも王都の魔法学校に進学することを薦められていた。その声を押し切って、中学卒業までは、という条件でナナミはこの田舎に残ることを決意したのだ。
そして。中学卒業後に王都の魔法学校に進学したナナミは期待されていた通りに聖女となり、始まった第3次世界大戦に従軍し、そして――3か月前、ナナミが戦死したという連絡が村に届いた。だから、ナナミはもうこの世界にいない。そのはずだったのに。
「ナナミ……生きててくれたのか」
感極まってナナミに抱き着こうとする俺。しかし、それはするっとかわされて俺は空気を抱き締めることになる。
「生きていたって失礼だな。勝手に殺さないでよ。――今日のケイン、なんかおかしいよ? 何があったの?」
眉間にしわを寄せながら訪ねてくるナナミ。それに対し、状況に頭が追い付いていない俺はぱっと答えられない。
そんな俺を気味悪そうに見つめていたナナミは突然、何かに気づいたのかはっとする。
「まさか……ケイン、今日が何年の何月何日だかわかる? 自分の名前は? 年齢は?」
食い入るように聞いてくるナナミ。そんなナナミ俺は怪訝に思いながらも1つ1つ答えていく。
「なに当たり前のこと聞いてるんだよ。俺の名前はケインだよ。今年で20歳。妻とまだ3歳の娘持ち。そして今日は2122年3月10日……」
そう言いかけた時、俺の目に壁に掛けられたカレンダーが目に飛び込んでくる。それを認識した瞬間、俺は息を呑む。そこに書かれていた日付は2117年の3月9日だったから。
そんな俺を見て、ナナミは口を開く。
「やっぱり。……ねぇ、ケイン、これは私の予測に過ぎないんだけれど、聞いてくれる?」
背中は冷や汗でびっしょりと濡れていた。知るのが怖い。そう思いつつも俺の頭は勝手にうなづいてしまう。
俺が頷いたのを確認してから、ナナミは続ける。
「多分、この世界は大聖女によって巻き戻されたんだと思う。全ての人の記憶や生死をリセットした状態でね。そして――ケインだけが記憶と5年後の人格を保持したまま巻き戻されてしまった。ケインにだけ、大聖女の魔法がかからなかったんだよ」
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13万字くらいで完結まで走り切りますので、最後までお付き合いいただければ、と……!