表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
55/55

第五章 7

 知恵は、自分の涙で濡れた封筒を両手で握りつぶしていた。 

「小倉さんが言われたように、私はロクでもない人間なんです。あの子を捨てたのも、付き合っていた男に、俺は子供なんかいらない、産むなら別れると言われたからです。でも、その時には中絶もできない時期だったので、自宅で産んでコインロッカーに捨てました。子供より男を選んだんです。捨てる時だって、ためらいも罪悪感もありませんでした。でも、やっぱり(ばち)は当たるんですね。半年後、その男は別の女性と一緒になり、捨てられた私は独りになりました。それからと言うもの、何をやってもうまくいかず、ただその日を生きている、そんな惰性のような日々を二十年近くも過ごしてきました。あの子を思い出さない日はないとでも言えば、少しは人間的なのかもしれません。でも私は違います。テレビで彼を見るまで、一度だって思い出したことはありません。それどころか、無事に生きているのか、それさえも気にしたことのない最低な親なんです。そんな人間が、今更どんな顔をして会えると思いますか?」

 感情を押し殺したような淡々と口調だった。しかし、梓は逆に感情を爆発させ、

「嘘をつかないでください!」

 と声を荒げ、知恵をにらんだ。

「嘘…?」

「そうです。あなたは豊君を忘れてなんかいません。そんな薄情な人間が、毛糸を十八年も大切に保管していると思いますか?捨てた子を想う心があるからこそ、あの青い毛糸を今まで持っていたはずです。自分を悪く言って逃げるのはやめてください!」

 そう梓が言うと、知恵はテーブルに顔を伏せ号泣してしまった。


 その後は、何を言っても知恵は顔を上げなかった。泣きじゃくる肩だけが大きく揺れている。

 梓は、小倉に目で合図を送り、

「これを置いていきます。大晦日の東京ドームのチケットです。それと、私の携帯の番号も書いてますので、東京に着いたら連絡ください。飛行機でも新幹線でも、旅費は新聞社が出してくれますし、ホテルも手配しておきます。必ず来てくれると、私は信じてますから」

 と言って、チケットの入った封筒をテーブルに置き、立ち上がった。

「小倉さん、帰りましょう」

「いいのか?」

「はい。知恵さんは絶対に来てくれます。悪い人じゃないって信じてたけど、それが間違いなかったから」

「わかった。あの、言いすぎたみたいですみません。でも、本当に待ってますから。あなたの力で、豊を世界チャンピオンにしてあげてください」

 小倉は、むせび泣く知恵に謝り、梓とアパートを出た。そして、旅館に戻り宿泊をキャンセルした。

 高速道路に入ると粉雪が舞っていた。

「本当に来てくれるかな?」

 小倉は半信半疑だった。

「わからないけど、首に縄をつけるわけにもいかないでしょう?」

「そうだな」

「あとは信じるしかないと思います」

「信じるしかないのか。って言うか、さっきの話は本当なのか?」

「コインロッカーのことなら本当です。豊君とはそこで出会いました」

「そうだったのか。どこで知り合ったのか聞いたけど、あいつ教えてくれなかったんだよ。そういうことがあったとはね」

「そうなんです。私もクソみたいな人間になりかけてたんです。でも、知恵さんだって苦しんだと思います。今だってすごく苦しんでいるはずです」

「来てくれるといいが」

「千尋さんには怒られそうです。せっかく見つけたのに、何で連れてこないんだって」

「俺のせいにすればいいさ。実際、俺が怒鳴り散らさずに、最初から梓ちゃんに任せていれば、結果は違ったかもしれないしな」

「いえ、小倉さんが言ってくれなければ、私が追い詰めてたと思います。自分のことを棚に上げて」

 車窓を眺めながら、梓は知恵との時間を振り返っていた。小倉に詰問される彼女を見て、自分が責められているような気持ちになっていた。豊と出会わなければ、梓も同じ十字架を背負っていたのだ。

 二人が東京に戻ったのは、午後10時を過ぎた頃だった。小倉が、もう一晩拳都を預かってくれると言うので、梓は関東スポーツ社で降ろしてもらい、ビル内にある喫茶店で千尋と合流した。

「お疲れさま。大変だったでしょ?」

「大変だったのは、運転しっぱなしの小倉さんの方で。私は全然です」

「それで来てくれそう?」

 千尋にはメールで、およそのことは伝えてある。

「来てくれると信じたいです」

「そうよね。信じるしかないよね」

「豊君には何と?」

「迷ってる。言うべきか、黙ってるべきか」

 母親が存在するという事実を知り、会えなくても納得できるだろうか。豊の願いは、あくまで会うことだ。いるとわかったのに会えないとなれば、フラストレーションがたまるのではないか。または、トレーニングそっちのけで岩手に行ってしまうのではないか。

「やっぱり、試合が終わるまで黙っておこうかな…」

「私もそれがいいと思います」

 梓も賛成した。あとは31日に、彼女の携帯電話が鳴るのを祈るだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ