第五章 5
小倉たちが岩手県宮古市に着いたのは、まだ空も暗い5時過ぎだった。車を道の駅に停め、二人は車内で三時間ほど仮眠を取ると、朝一番で田老郵便局へ向かった。望みは薄かったが、この手紙を窓口で出しているなら、付近の住人かもしれない。梓が局員に事情を説明した。
「あのボクシングの!?」
応対した女性局員は、豊と彼の告白に関心があるようだった。
「そのお母さんがこの町に!?」
興奮する女性局員に、小倉は声を低くし、
「いえ、まだ可能性があるというだけでして」
と答えた。大騒ぎになって、本人の耳に届くのはマイナスになる。
「少々お待ちください」
冷静さを取り戻した女性局員は、奥にいる上司らしき局員と話を始めた。数分後、課長と名乗ったその男性が二人に対応する。
「この手紙は、局に持ち込まれたものではありません」
「わかるんですか?」
「はい、消印を見ればわかります。窓口で出された場合、消印の形が違うのです」
と言って、窓口用の物を二人に見せた。
「確かに違いますね…」
過度な期待はなかったとは言え、小倉と梓の顔に落胆の色が浮かんだ。やはり、しらみつぶしに捜さなければならないのか。
「ですが、どこのポストで投函されたか、ある程度までは特定できるかもしれません」
「本当ですか!?」
梓の声が局内に響いた。
「はい。日付の下の数字で集荷ルートがわかるんです。ここみたいな人口の少ない地域では、一日に何度も回りませんのでね。担当者を呼んできましょう」
「お願いします」
二人の間に、再び希望の灯が燈る。ほどなくして、集荷担当者が現れた。その男性局員は消印の日付を見て、
「三日前ですか…」
と呟き、宙に視線を投げ記憶を呼び戻そうとしていた。
「あの日は天気が悪かったせいもあって、ほとんど集荷がなかったんですよ」
独り言のように言葉を発しながら、特色のない封筒をまじまじと見つめた。そして、
「確実とは言えませんが…」
と、前置きをしてから、
「旅館内のポストで集荷したような気がします」
と言った。旅館は、集配ルートに一軒しかないという。
「わかりました。その旅館に行ってみます」
二人は礼を言って郵便局を出た。
小倉は車に乗り、カーナビで旅館の場所を確かめたが、その表情は暗かった。
「宿泊客ならお手上げだよな…」
地域の住民が、わざわざ旅館内にあるポストに投函するとは考えにくい。
「でも、旅館の従業員の可能性もありますよ」
「そうだな。とりあえず行ってみるか」
小倉は車を走らせた。郵便局から二十分くらいの所に、その旅館はあった。
路肩に停車し、
「見てくるから、ちょっと待っててくれ」
と言って、小倉は車を降りた。
梓は窓を開けて、外の空気に触れた。漁港が近いのか、冷たい風が魚の生臭さを運んでくる。彼女は、豊の顔を思い浮かべた。豊と知り合ってほぼ一年、その間に彼は押しも押されもせぬ人気ボクサーとなり、遠い世界の人と感じるようになっている。
「だからこそ…」
恩を返す機会は今しかないと、梓は思う。
「豊君のために…」
彼女は31日までかかっても、捜し続ける覚悟だった。
車に戻ってきた小倉は、部屋を取ったと梓に言った。
「従業員に話を聞こうと思ったんだが、そんな雰囲気じゃなくてね。けど、こういう旅館には、話し好きの仲居さんがいるのが相場だ。客として入れば、そういう人も見つけやすいだろう」
「なるほど」
「ちょっと早いけど、チェックインできるそうだから行ってみよう」
二人は兄妹を装い、部屋に案内してもらった。
「東京からですか?明日から年明けまでは予約で一杯なんですが、今日はそうでもないんですよ」
湯呑みに茶を注ぎながら、中年の仲居が教えてくれた。
「それはラッキーでした」
と言いながら、小倉は内心、
「しめた…」
と思った。話し好きの匂いがプンプンと漂う女だったからだ。早速、小倉は封筒を見せた。
「実はですね、新聞社に勤めていた私の弟が、こちらに来たことがあって。その時、親切にしていただいた仲居さんがいたらしいんです。それで感謝の手紙を送ったら、わざわざ返事をいただきまして」
「そうだったんですか」
「その弟が先月事故で他界して、遺品を整理していたら封筒だけ見つかったんです。お礼がてら会えればいいなと思い、こうして妹と来たんですが、その方のお名前がわからなくて」
「うーん…」
仲居は封筒の字を見つめ、
「ともえちゃんの字に似てるかなあ…」
と、自信がなさそうに答えた。それでも、小倉と梓は期待を抱かずにはいられない。
「お会いできますか?」
「それが今日は休みなんです。ほら、明日からしばらく休めないでしょ?だから、今日は休みの従業員が多くて。でも、社宅アパートに住んでるから、出かけてなければ会えるんじゃないかしら」
仲居は、地図まで書いてくれる親切ぶりだった。
「ありがとうございます。早速伺ってみます」
二人は旅館を出て、そのアパートへ向かった。徒歩で五分もかからないということだった。
「これが田舎の良いところであり、悪いところでもあるんだろうな」
小倉は感心するように言った。中居は、その女性の名前、年齢まで教えてくれた。岡田知恵、37歳。豊の親としてはギリギリ圏内と言えるだろう。独身という情報も得ていた。
「都会なら絶対に教えてくれないよ。個人情報なんちゃらとか言ってな」
「しかし、よくあんな作り話をペラペラ喋れますね」
梓は、小倉のアドリブ力に驚いていた。
「いやあ、実話も混ざってるんだよ。うちのお袋の実体験を、ちょっとアレンジしただけでね」
そんな会話をしているうちに目的のアパートが見えた。海岸沿いの二階建て、潮風の影響か外付けの階段は完全に錆びついていた。
「いるといいんだが…」
アパートを前にして、小倉の身体は震えていた。




