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3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
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第五章 4

 関東スポーツの編集部に戻った千尋は、明日分の原稿を急いでまとめ、青い毛糸を送った人物の検証を始めた。だが、手がかりは封筒の消印しかない。

「宮古市田老…?たろう…?」

 聞いたことのない地名である。ネットで調べると岩手県の小さな漁村だとわかり、ひとまず千尋は安堵した。これが東京や大阪などの大都市だったら、追跡は断念せざるを得ない。

「岩手まで行くべきか…?」

 千尋は悩んだ。と言うのも、仕事が山積みになっているからだ。すでに居酒屋は退職しているが、特集記事の構成を任され、合間を縫ってジムの諸作業をこなしている。岩手に行くとなれば、丸一日費やすどころか、泊まりがけになるかもしれない。

「無理だ…」

 こうなれば、誰かに頼るしかない。悩んだあげく、岩手行きを梓に託した。

「なんとかして、試合の前までに捜し出してあげたいの」

 それは千尋の切実な思いだった。調印式のあと、豊は抜け殻のようになっている。目的を達成した故の虚脱感なのだろう。そして、決して言葉には出さないが、親からの連絡を待ち続けているに違いない。

「行きます!絶対に豊君の親を捜します!」

 梓に迷いはなかった。彼女が、拳都と一緒にいられるのは豊のおかげだった。その恩を返せるチャンスに、迷う余地などあるはずがない。ただし、自信はなかった。ロクに一人旅すらしたこともないのだ。

「豊君は、このことを知らないんですか?」

「教えてない。ぬか喜びさせたら可哀想でしょ?手紙の主は会えないって言ってるんだから」

「そうですよね…」

 見つけ出すだけじゃなく、豊に会うよう説得もしなければならないが、見つけることすら不可能のように思える。ネットで調べると、宮古市田老地区の人口は約四千人。そのうち女性が半分として二千、更に豊の母と考えられる年齢を考慮すれば、もっと絞れるかもしれないが、それでも千人近くはいるに違いない。一軒一軒訪問しても数日はかかるだろうし、幸運にも本人に辿り着いたところで、否定されればそれまでの話だ。それに、田老の住人だということも、あくまで仮説にすぎない。郵便局の消印という弱い手がかりでしかないのだ。

 千尋が始発の新幹線を予約してくれたので、一晩は考える時間がある。梓はある人に相談することにした。


「久しぶりだな」

 小倉は、笑顔で梓を迎え入れた。彼が荒川ジムを離れて以来なので、本当に久しぶりである。

「何か深刻な話みたいだね」

 梓の表情を見て、そう小倉は察した。

「はい…」

 梓は岩手行きの件を話した。どうすれば効率良く捜せるか、そのアドバイスを聞きたかったのだが、

「よし、俺も行こう」

 と、小倉が言い出したので彼女は驚いた。

「今から車を飛ばせば朝には着く。明日新幹線で出るより、捜す時間も増えるんじゃないか?」

「そんな申し訳ないです」

「いいんだよ」

 小倉は微笑んだ。

「仕事は大丈夫なんですか?」

「人間には仕事より大切なものがあるんだよ。拳都は、うちの嫁に見てもらえばいい」

「小倉さんが一緒だと心強いけど…」

 と、困惑する梓に小倉は言う。

「縁遠くなってしまったが、俺は今でも豊を弟だと思ってるんだぜ。それに、あいつには何としてもベルトを獲ってもらいたい。そして、俺が育てた選手で挑戦したいんだ」

「わかりました。では、お願いします」

 亜由美に拳都を預け、梓は小倉の車に乗った。岩手までおよそ七時間のドライブ、車内では当然豊の話題になった。

「豊が、親を捜すためにボクサーになったのは、薄々気づいていたよ」

「そうなんですか?」

「ああ。あいつは一度だって世界チャンピオンになりたいとは言わなかったからな。挑戦したいとは言っていたけどね」

「あっ、言われてみれば…」

「つまり、あの記者会見がゴール地点だったんだろうな。だから豊にしてみれば、東京ドームでの試合もチャンピオンベルトも、付録みたいなものかもしれない」

「付録ですか…」

「世界チャンピオンになれる素質がありながら、本人になりたいという欲がない。それを感じだから、俺は豊と離れたんだ。歯痒くてね」

「そうだったんですね…」

「まあ、人にはそれぞれ事情があるから、そのことであいつを責めるつもりは1ミリもない。それに、豊は13の時から死にものぐるいの努力で、自分の目標に到達したんだ。それは素晴らしいの一言に尽きるよ」

 ただし、豊がこれほど騒がれる有名人になると、小倉は想像していなかった。運を味方にできる男とは思っていたが、その運を際限なく膨らませる能力があるらしい。そこが、並のスター選手とスーパースターになるべき人物の違いなのだろうか。

 小倉との決別も、豊にとって有利に働いたと考えられる。小倉が荒川ジム去ったあと、FSGが豊のサポートを始めたからだ。北原は、スパーリングパートナーの貸し出しや、対戦相手の資料提供など、所属選手並みの待遇でバックアップしていると聞く。北原のアシストなしでは、ここまでのスピード出世はなかったはずだ。そう思うと、小倉は苦笑せずにはいられなかった。

「何がおかしいんですか?」

「いやあ、豊が東京ドームで試合だぞ?笑ってしまうよ」

 あの会見後、チケットの売り上げが勢いを増し、完売もありえるという状況になっていると、小倉は新聞記者から耳にしていた。

「そんな夢の大舞台で、持てる力を出し切れずに負けるなんて、俺は絶対に納得できない。だからこそ親を見つけ、豊に完全燃焼してもらいたいんだよ」

「そうですね」

 梓も同じ気持ちだった。小倉が言うように本人が望んでないとしても、豊にベルトを巻いてもらいたい。今までの豊の頑張りは、それに値すると彼女は信じている。

 車は深夜の東北自動車道を、軽快に走り続けていた。梓に眠気はなかった。それどころか、緊張で目は冴えている。

「岩手県か…」

 その地に、豊の親はいるのだろうか。

「いや…」

 いてもらわないと困る。梓の頭の中は、願望と不安でパンク寸前だった。



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