第五章 3
関東スポーツの渋谷が千尋を呼び止めた。
「すごいことになりましたね」
「ええ」
興奮冷めやらぬ千尋は、頬を紅潮させていた。
「うちの社で、大々的なキャンペーンを展開します。手始めに明日の紙面で大きく扱い、豊君の親に呼びかけるのです。専用のホットラインも開設しましょう。こうなれば、ぜひとも見つかってほしいので」
「ありがとうございます。豊もきっと喜びます」
「これが、彼の触れられぬ秘密だったんですね」
渋谷が、納得したように言った。
「そうです。豊を突き動かしてきた原動力です」
「ですが、さっき別の記者も言ってたように、正直名乗り出てくる可能性は低いと思います。法的な罪は時効になっているだろうけど、世間からの非難は免れない。だから、少しでも豊君の親が名乗り出やすい環境を作ってあげたいと思います。ぜひ千尋さんにも協力してほしい」
「もちろん、協力させていただきます。このために、豊は青春のすべてを捧げてきたんですから」
関東スポーツは、東京ドーム大会の協賛に名を連ねており、来週には世界戦特集の臨時号発売も決定している。しかし、そういったビジネスを抜きにして、渋谷は豊の願望を叶えてあげたかった。
「明日から試合当日まで、豊君の連載を始めるので、それを千尋さんにお願いできますか?内容は任せますが、彼の親が読むという前提で書いてほしいのです」
「明日からですと、急がないと駄目ですね」
「できますか?」
「すぐに取りかかります」
千尋は二時間で初回分の原稿を仕上げ、翌日から「米崎豊〜彼が探していたもの」という名のコラムがスタートした。
翌日のテレビは、豊の衝撃告白で持ちきりとなった。各局のワイドショーがこぞって取り上げ、特に関東スポーツ系列のテレビ局では、新聞と同様のキャンペーンを展開して情報提供を呼びかけた。その反響は凄まじく、初日から数百本の問い合わせがあったが、冷やかしやガセネタがほとんどで、これはと思える情報は少なかった。
「予想されていたことですけど…」
千尋は関東スポーツの編集部に入り浸り、送られてきた情報の選別を手伝っている。手紙やメールでの問い合わせも多く、ひとつひとつ確認を取るのは手間のかかる作業だ。彼女の他に二人の臨時スタッフが対応に明け暮れたが、豊の親に結びつく有力な情報はなかった。
「そりゃそうでしょう。私が親でも絶対に連絡なんてしませんよ」
と、臨時スタッフの一人が嘆く。もっともだと千尋も思った。我が子をコインロッカーに捨てるような親なのだ。もしかしたら、そのこと自体忘れて生きているのかもしれない。
落胆ムードが編集部を包み込んだ三日目、一通の封書が届いた。特に期待もせず封を切った千尋だが、便箋に綴られた文面に興味を惹かれた。
ー 会いに行くことはできませんが、米崎豊選手の活躍を心よりお祈りします ー
女性らしき筆跡だった。それと、15センチほどの青い毛糸が一本入っていた。何か意味がありそうである。
「いたずらとは思えませんね」
スタッフも千尋と同じ意見だった。
「豊のいた施設の人なら、何か知っているかも」
退所してから初めて、千尋は施設へ足を運んだ。
「豊の世話をしていた方と連絡がつきますか?」
「葉山さんだね」
葉山は、豊の名付け親になった女性で、豊が2歳の時に寿退職したという。千尋は住所を教えてもらい、浦安に住む彼女に会いに行った。幸いにも在宅で、話を聞くことができた。四十前後の品のいい女性だった。
「私も驚いてたんですよ。あの子がプロボクサーになってたなんて。それも大人気だって言うじゃないですか」
葉山は、信じられないといった表情を見せた。
「当然、私のことは覚えてはいないでしょう。まだ2歳でしたし、退職してから一度も会っていませんしね」
気にはなっていたが、夫の仕事の関係で長らく海外に住んでおり、二年前に帰国したのだと彼女は言った。
「葉山さんが名付け親と聞きましたが?」
「ええ。当時、尾崎豊が大好きでして、彼が死んだ日に見つかったでしょう。絶対に生まれ変わりだと思って名前を拝借したのですが、あとになって後悔しました」
「何故ですか?」
「よくよく考えてみたら、あの子が生まれたのは、尾崎が死ぬ前なんですよね。だから、生まれ変わりのはずがなくて。それに、尾崎は覚醒剤で捕まって早死にした人でしょう。いくらステキな歌を作った人でも、幸せな生涯だったのか、それは何とも言えないわけで」
「でも、豊も尾崎豊の大ファンですよ。彼の曲を入場曲に使っているほどです」
「そうなんですか?」
葉山は嬉しそうな顔をした。
「それで、これに見覚えはありませんか?」
千尋は本題に入った。もっと当時の話を聞いていたかったが、残された時間は少ない。手紙に同封されていた青い毛糸を葉山に見せた。
「これは…?」
「豊の親らしき人から送られてきた物です。何か意味があるのかと思いまして」
「あります」
葉山は即答し、千尋は色めき立った。
「豊君が発見された時、片方の足首に青い毛糸が巻かれていたんです。ミサンガのように」
「本当ですか!?」
「間違いありません。この子を捨てた人も、少しは人間的な感情があったのかなと思ったのを覚えています。毛糸に、子供への申し訳なさがこめられているのではないかと。もしかしたら、いつか引き取りに来るかもと、希望も抱きました」
「この話を他に知ってる方はいますか?」
「当時の施設長は知ってましたが、何年か前に亡くなってます。他には警察の人でしょうかね」
「わかりました。今日はこの辺で失礼しますが、またお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「構いませんけど…?」
「私、豊の本を出す予定なんです。次はその取材で、ゆっくりお話を聞かせていただきたいなと」
千尋は礼を言い、東京に戻った。
「間違いない…」
青い毛糸の送り主は豊の母親なのだと、電車の中で彼女は興奮し続けていた。




