表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
5/55

第一章 5


「今の試合はどっちが勝ったの?」

 舞が聞いた。

「倒れなかった方でしょ?」

 そう答える梓も自信はない。

「でも、倒れなかった人の方が、いっぱい殴られてたみたいだけど?」

「いっぱい殴られても、倒れなかったから勝ちなんでしょ?」

「倒れなければいいの?相撲と同じ?」

 噛み合わない会話に痺れを切らしたのか、二人の前に座る老人が振り返った。

「ボクシングは、相手を殴り倒して10数えたら勝ちなんだよ」

 わかりやすい説明に二人は納得し、ついでに梓はもうひとつ質問をする。

「今の試合が4回戦なのに、どうして次の試合も4回戦なんですか?5回戦じゃないんですか?」

 と言って、プログラムを老人に見せ解説を求めた。

「この4とか6という数字は、試合の順番じゃないんだよ。その試合が何ラウンドまで行われるかの数だ。さすがにラウンドくらいはわかるよね?」

「何となく…」

 梓は申し訳なさそうに答えた。

「何となくか…」

 と、老人が苦笑した時、次の試合を告げるアナウンスが響いた。


 花道に現れた豊には、客席を見渡す余裕があった。三割程度の入りだろうか。

「あっ…」

 梓の顔が見えた。どことなく不安げな顔をしている。

 リングに上がってからも、豊は落ち着き払っていた。

「あれほど待ち焦がれた瞬間なのに…」

 と、自分で呆れる始末だ。対戦相手の中村(なかむら)は、すでにリングインしていた。

「いいか、相手はこの試合に負けると出場停止になる。死に物狂いでくるはずだ」

 小倉が耳打ちした。中村の戦績は3戦3敗。四連敗すると、四ヶ月の出場停止処分となる。

「それに、お前がデビュー戦ということで、精神的優位に立っているかもしれん。出鼻をくじいて速攻で決めてしまえ」

 豊は頷き、生唾を飲んだ。リングアナの妙に甲高いコールが終わり、ゴングが鳴った。


 ゴングと同時に中村が仕掛けた。左右のフックにボディと、矢のようにパンチを繰り出す。豊はガードに徹した。

「これがプロのパンチか… 」

 ゴング早々のラッシュに戸惑いながらも、

「スピードはそうでもないし、精度も高くなさそうだ…」

 と、冷静に相手を分析していた。

 豊が萎縮しているように見えたのか、中村は調子づいてリズムよくパンチを撃ちまくる。一分が経過しても、豊は亀のように身を守り続けていた。

「何故撃たん…?」

 リング下で小倉が呟いた。

「向こうは大振りだ、隙だらけじゃないか…」

 そう思っているのは彼だけではなかった。客席から見ている北原も、同じ感想を持っていた。

「何故撃たないんですかね?」

「撃たないんではない、撃てないんだ。経験不足で縮み上がっているのさ。弱小ジムだから、ロクにスパーリングパートナーもいないんだろう」

 得意そうに藤崎は解説したが、北原の見方は異なった。

「違う、撃たないんだ…」

 確かに、豊は防戦一方に見える。

「だが、一発ももらってない…」

 デビュー戦とは思えないほど、見事なディフェンスを見せているのだ。北原は、更に豊の動きを凝視した。


 一方的に攻め込まれる豊を見て、梓は気絶しそうになっている。舞も気が気ではなかった。

「ねえ、殴られっぱなしだけど、豊君大丈夫なの?」

 返事をしようとしたが、梓の声は声にならなかった。まるで無抵抗の豊を見て、絶対に勝てるはずがないと思った。だが、北原の分析通り、豊は一発もパンチをもらっていない。

 試合開始から二分が経ち、初めて豊が仕掛けた。左のジャブがヒットし、中村がのけ反る。すかさず右フック、そして左ストレートが決まり呆気なくダウンを奪った。

 小倉がニヤリと笑う。

「あの野郎…」

 そのまま中村は立ち上がれず、豊の勝利が決まった。

 勝ち名乗りを受け、豊は小倉と拳を合わせた。

「お前、遊んでただろ?」

 リングを下りる豊の背中を、小倉は平手で強く叩いた。

「痛っ、そんなことありません。必死でした」

 と笑う豊に、小倉は真顔で言った。

「こんなことできるのも4回戦までだ。そのうち嫌でもボクシングの怖さをわかってくるさ」

「はい…」

 返事をした豊の顔からも笑みは消えていた。

 リングサイドで梓が待っていた。

「もう、心配したんだから… 怪我はないの?」

 今にも泣き出しそうな顔をしている。

「俺は勝ったんだよ。この通り怪我もしてないし」

「でも…」

「ごめん、次の試合が始まるから。またあとでね」

 豊は駆け足で控室に戻った。

「ミナシゴ君、かっこいいじゃない!」

 梓の横で、舞が豊の背中を追っていた。


 控室に戻ると、小倉が開口一番豊に聞く。

「あの()が例の彼女か?」

「はい」

「なかなか美人じゃないか。どこで見つけてきたんだ?」

 グローブの紐を解く荒川が茶化した。そんな和やかな雰囲気の中、

「今日はこれで終わりと言いたいが、せっかくだからメインを見ていくぞ」

 と、小倉が豊に告げた。すると、すかさず荒川が文句を言う。

「試合が終わったばかりなんだから、少しは休ませてやれよ。夜は祝勝会もあるんだぞ」

「祝勝会までには帰りますから。豊にとって重要なことなんで」

「まあ、伸一がそう言うなら仕方ないが… そうだ、彼女にも祝勝会に来てもらえ。祝い事は賑やかな方がいい」

 そう言うと、荒川は年甲斐もなく、軽やかな足取りで控室を出ていった。

「はしゃぐ気持ちもわかるけどな…」

 小倉は苦笑いをした。豊の勝利は、荒川ジムにとって久しぶりの勝利なのだ。しかし、あえて小倉は厳しい言葉を豊にぶつける。

「お前だけは浮かれるなよ。今日は単なる始まりにすぎないんだからな」

 勝って兜の緒を締めよ、そういうことを言いたいのだろう。


 荒川と入れ違うように北原が現れた。

「どうもお久しぶりです」

 小倉が立ち上がって礼をする。北原は彼より三歳年上だった。

「いい試合だったな」

「とんでもない、ちょうど説教していたところで」

「そうか…」

 北原は豊を見た。

「デビュー戦だったそうだね?」

「はい」

 豊は、バンテージを外す手を止めて答えた。

「今日の作戦はトレーナーの指示かな?」

「えっ?」

「君の実力なら、もっと早くKOできたはずだ。何故、無駄に撃たせ続けたんだ?」

 北原は笑顔だったが、目だけは笑っていなかった。豊は、その鋭い視線を逸らして、

「作戦じゃありません。一秒でも長くリングにいたかったというか…」

 と答えた。

「小倉君」

 北原は小倉をにらんだ。

「駄目だ。この子を大きく育てたいなら、二度とあんな真似をさせるな」

「はい」

 北原は再度豊を見て、

「ボクシングをナメるなよ」

 と言い残して、足早に去っていった。唖然としている豊に、

「今の最後の言葉、肝に銘じておけ」

 と、小倉は苦笑しながら言った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ