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3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
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第五章 1

 快勝とは言い難い内容ではあったが、最後はレフェリーストップによるTKOで豊は勝利をモノにした。しかし、ゴングが打ち鳴らされたあと、マットに膝をつきしばらく動けなかった。

「立てるか?」

 荒川に声をかけられ、豊は満身創痍の顔をほころばせた。

「立ちます」

 如月の肩を借り豊が立ち上がると、場内から惜しみない拍手が起こり、それに応え彼は高々と左手を挙げた。そして、もうひとつ仕事が残っている。

 中継スタッフからマイクを手渡され、豊はリング上から実況席に向かって叫んだ。

「金本さん!僕の挑戦を受けてください!」

 一瞬会場が静まり、その後地鳴りのような歓声に包まれた。

「チャンピオンいかがですか!?」

 突然の挑戦表明に興奮気味のアナウンサーが言葉を求めた。だが、金本は無言のまま実況席を立った。豊にはシナリオ通りのパフォーマンスであったが、金本にとってはまったくのサプライズなのだ。

 控室に向かう金本にブーイングが浴びせられる。その光景を見て、北原は苦笑するしかなかった。

「やっぱりか…」

 アピールに応じて、何らかのリアクションを見せてくれれば面白いと思っていたが、そんなアドリブの利く男ではないことは百も承知だった。そして、無言で立ち去るのも想定の範囲内である。それはそれで、北原的にはありなのだ。

 人気者の挑戦をスルーしたチャンピオンと、マスコミは面白おかしく書き立てるだろう。そうなれば、嫌でも金本は挑戦を受けざるを得ない立場になる。それが、北原が練っていた本来の筋書きだった。


 控室に戻った金本は荒れに荒れた。椅子を蹴飛ばし、スチール製の机に拳を叩きつけ破壊したほどだ。そして、北原が顔を出すと、

「何なんですか、あの野郎は!」

 と、胸ぐらをつかみかからんほどの勢いで食ってかかった。しかし、北原は冷静に対応する。

「俺が言わせたんだよ。お前が米崎との試合に乗り気じゃなさそうなんでね」

「マジかよ?あんた、それでも俺のトレーナーなのか?」

「そのつもりだよ」

「何で他所(よそ)のジムのボクサーに肩入れするんだよ?」

「どでかいイベントを実現させるためだ。言ってなかったが、大晦日に東京ドームでの興行を計画している。メインはお前と米崎の試合だ。昨日までは計画予定だったが、今日の勝利で決定になった。次のチャレンジャーは米崎豊だ」

 反論は一切認めない、そんな口調で北原は告げた。だが、金本も強情だった。

「俺は降りるぜ。強制するなら、ベルトを返上してFSGから出る」

 とまで言ったのだ。

「一億でもか?」

「一億?」

 金本は耳を疑った。

「そうだ。お前が移籍して、再び世界タイトルを獲ったとしても、そこまでのファイトマネーを払えるジムは絶対にない」

「この前の十倍ですよ?」

 唖然としたまま、金本は北原に問い返した。以前、千尋に一億円用意しろと言ったことがあったが、現実にその額を突きつけられるとは想像もしていなかった。

「それくらいの値打ちがあるんだよ」

「その値打ちは俺じゃなくて、米崎にあるんじゃないんですか?」

「違う、お前と米崎の試合にだ。勘違いをしているようだが、全試合KO勝ちのキャリアは同じでも、ベルトを持っているのは米崎じゃない、お前なんだ。確かに米崎は人気選手かもしれない。けど、お前は挑戦を受けて立つ立場だってことを忘れるな。あくまでも主役はチャンピオンなんだよ」

「少し考えさせてもらってもいいですか?」

「ああ。ただ、そんなに時間はないぞ」

「わかってます」

 その後、金本は報道陣の問いかけに答えず、逃げるように武道館から去った。


 その頃、豊の控室にマスコミが大挙押しかけ、蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。豊も特別愛想がいい人間ではないが、質問には丁寧に答えるため記者の印象は悪くなかった。

「チャンピオンは明言を避けたようですが?」

「挑戦を受けてもらえると信じています」

「実現すれば、これ以上はないドリームカードになりますが?」

「僕にとっては、まさに夢そのものです」

「無敗同士の対決となりますね?」

「僕が一番ワクワクしているかもしれません」

「今日も激しい撃ち合いになりましたが、ダメージの心配はありませんか?」

「次の試合までには回復するでしょう。それより、金本さんが挑戦を受けてくれるか、そっちの方が心配です。今日の試合を見て、怖気づいたかもしれませんし」

 豊は挑発的な言葉を、テレビカメラに向けて放った。その模様は生中継で全国に流れ、翌日のスポーツ新聞の一面を飾った。しかし、金本はマスコミの前に姿を現さず、態度を明らかにしなかった。


「前に言ったこと覚えるか?お前が俺の女にならなければ、米崎の挑戦は受けないってな」

 麻布(あざぶ)の自宅マンションで、金本はスポーツ新聞を読みながら千尋に尋ねた。

「もう、あなたの好きなようにしてるじゃない。これ以上何を…」

「俺と結婚するんだ。そうすれば、お前は永遠に俺のものになる」

「冗談言わないでよ。私の気持ちはわかってるでしょ?こうして会っているのも、嫌々仕方なくだって。そんな女と一緒にいて何が楽しいの?」

「俺は本気だ。お前と結婚できないなら、米崎の挑戦は受けない。そこに一切の妥協はない。一億のギャラを提示されているが、一億より俺はお前が欲しい」

「そんな…」

 金本は本気なのだと、この時初めて千尋は知った。だが、彼と結婚するくらいなら死んだ方がマシだった。

「けど…」

 千尋は悩む。自分が断れば、金本は本当に豊の挑戦を受けず、年末の東京ドーム興行も御破算となるだろう。そうなれば、豊のこれまでの努力が無駄になる。それだけは何としても避けたかった。豊の夢は彼女の夢でもあるのだ。

「わかったわ。なら、私からも条件を出す。米崎の挑戦を受けてKOで勝ってみせて。そしたらあなたと結婚する。条件を飲めないなら、二度とあなたとは会わない」

 千尋は賭けに出た。豊と試合をしたくないために無理難題を突きつけているなら、千尋の提案を飲むことはないだろう。だが、本心で結婚を望んでいるとしたら。

 金本は後者だった。

「いいだろう。試合はしたくないが、勝つのは難しくないからな。よし、大晦日に米崎を完膚なきまでに叩きのめし、即結婚記者会見をしよう」

 金本は興奮気味に豊との対戦を承諾し、ついに千尋も後には引けなくなった。


 翌日、金本の記者会見があり、FSGのプレスルームに多くのマスコミが集まった。会見は北原の挨拶から始まる。

「何かとお騒がせしています次回の防衛戦ですが、挑戦を表明した米崎豊選手を迎え討つことが決定しました。12月31日、舞台は東京ドーム、地上波の生中継も同時に決まりました」

 との発表に、記者たちからどよめきが起こった。

「東京ドームでは、過去にマイク・タイソンが二度試合をしていますが、日本人がメインの興行は初めてになります。無敗の日本人同士、しかもすべてKOで勝ち進んできた両者に相応(ふさわ)しいロケーションではないかと思います」

 そして、金本に質問が飛んだ。

「米崎選手のアピールに無言を貫いていましたが、挑戦を受ける決め手は何だったのでしょう?」

「決め手?特にありません」

 相変わらずのぶっきらぼうな応対である。

「米崎選手の印象は?」

「一度も負けてないんだから、そこそこは強いんじゃないですか?」

「そこそこ程度の評価と捉えてよろしいのでしょうか?」

「そうですね、一昨日の試合を見る限り、それほど恐れる相手とは思えませんね」

 金本はふてぶてしく言ったが、これは強がりではなく正直な感想だった。彼は、自身のテクニックに絶対的な自信がある。破壊力こそ劣るかもしれないが、パンチをもらわなければいい、自分にはそういう戦い方ができるという確信もあった。


 東京ドーム開催の発表後、豊は積極的にメディア出演をした。ニュースやワイドショー、時にはバラエティー番組にまで顔を出した。北原に頼まれたからでもあったが、彼自身嫌がる様子もなく、むしろ率先している感さえあり、

「芸能人顔負けだな」

 と、如月が呆れるほどだった。

 写真集も初版分は完売し、増刷が決まっている。まさに旬のタレントだった。しかし、豊は浮かれているわけではない。メディアへの露出も、二ヶ月後に行われる試合の宣伝のためでしかない。だが、その告知活動のせいで、トレーニングに支障をきたしている。如月もその点を不安視するのだが、

「まだ二ヶ月前だよ」

 と、豊は意に介さなかった。

「あれほど練習好きだったヤツが…」

 本気でタレントへの転身を狙っているのではと、如月が本気で疑うほどだった。

 世界戦の調印式は、異例の二週間前に行われた。これも、プロモーションの一環として、北原が仕掛けたものだ。チケットの売れ行きは好調だったが、彼は物足りなく感じていたのだ。しかし、北原には勝算がある。

「まだまだ盛り上がるはずだ… この一戦を国民的行事と言えるほどにしたい…」

 この調印式で、嫌でも日本中が二人の試合に注目することを、北原は知っているのだ。


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