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3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
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第四章 6

 千尋はこの日の試合に、こう見出しをつけた。


ー 初のメインイベント ー


 そう、初めて豊がメインを張る大会だった。FSGが隔月で主催する定期興行で、通常だとFSGの選手がメインのリングに上がるのだが、今日は二人とも他ジムの選手という異例の組み合わせとなった。オーナーの藤崎は難色を示したが、

「メインの前にゾロゾロ客が帰ってしまうのも格好悪いでしょう」

 と、北原に諭され渋々了承した。

 チケットの売れ行きもすごかった。普段の定期興行は七割も売れれば御の字というところを、今日は前売りが完売し若干の当日券を残すだけとなっていた。タイトルマッチが組まれていない日としては、これまた異例の出来事だった。

「米崎豊を観たがっている…」

 北原は、客のニーズを改めて実感した。彼が裏で糸を引いたKO予告も、ファンやマスコミの反感はほとんどなく、イメージダウンを懸念していた千尋は、胸を撫で下ろしていた。

 ここまでチケットが売れたのは、広瀬が逆予告したことも大きな要因になった。その点で、北原は小倉に感心している。

「広瀬のアイデアではない…」

 FSGにいた頃の広瀬を知っているが、自己主張をするタイプではなかったので、小倉が尻を叩いたのだろう。そこには、マスコミを誘導しようとする小倉の思惑もあったはずだ。その結果、北原の想定以上に注目が集まったのだ。しかし、それは米崎豊というタレントに集客力があるからこそでもある。


 メインイベント直前、当日券も完売した後楽園ホールは、凄まじい熱気に包まれていた。入場曲〝太陽の破片〟に乗って、豊が颯爽とリングに上がると、四方から大歓声が飛んだ。そして、いつもながら北原が驚かされるのが、女性ファンの多さである。こればかりは、日本に複数いる世界チャンピオンがたばになっても歯が立たないだろう。男性アイドルのライヴ会場と錯覚しそうになるほどで、対戦相手の広瀬に同情を禁じえない。自分の意思に関係なく、悪役(ヒール)というレッテルを貼られているのだ。しかも、悪役に相応(ふさわ)しい顔つきをしているから尚更だった。

 広瀬は、入場からずっと豊をにらみつけている。対照的に、豊は一度も広瀬に視線を向けなかった。

 ゴングが鳴り、開始直後から激しい撃ち合いになった。一分以内のKO予告をしている広瀬は当然だが、それに豊が付き合ったのは意外だった。彼も予告をしているが、広瀬より二分の猶予があるからだ。下手(へた)に付き合うより、撃たせるだけ撃たせスタミナを消耗させる方が得策と思えるのだが、どういうわけか豊は応戦した。そして、試合開始一分が過ぎ広瀬の公約は破られた。しかし、撃ち合いは続く。今度は広瀬が退()いてもいい局面だが、むしろ今まで以上に踏み込んでいる。それが、負ければ引退という重い(かせ)をはめた男の生き様なのか。あまりの猛攻に手を出しあぐね、豊は1ラウンド終了のゴングを聞くことになった。


 客席は静まり返っていた。両者共に予告KOを実現できなかったからではない。三分間、息をもつかせぬ攻防を見せつけられたからだろう。

「結構もらったな」

 豊の頬にアイシングを施しながら、荒川が言った。

「なかなかのパンチです」

 甘く見ているつもりはなかったものの、心のどこかで一度倒した相手という先入観があったのかもしれない。この三分間で、あの時の広瀬とは別人だと思い知らされた。だが、自分もあの時の自分ではない。

「次のラウンドで倒します!」

 豊は勢いよく立ち上がった。

 第2ラウンドも壮絶な撃ち合いとなり、二人とも譲らなかった。

「あいつ、バケモノですかね…?」

 インターバル、息を切らしながら広瀬が呟く。

「俺は全力だけど、米崎には余裕があります…」

「そんなことはない。あいつは撃ち合いの経験が少ないから焦ってるはずだ」

 小倉が言うように、ほとんど顔も腫らすことなく豊は勝ち上がってきた。唯一滅多撃ちを食らったのが、現在彼をサポートしている如月との一戦だった。しかし、広瀬には豊が余力十分に思えてならなかった。これは、グローブを突き合わせた者にしかわからない感覚なのか。第3ラウンド、次の4ラウンドも白熱の攻防が続き、派手な撃ち合いを演じた。

「タフな野郎だぜ…」

 豊は、先程のラウンドで決めるつもりだった。だが、攻め切れなかった。KOするには、おあつらえ向きな試合展開にもかかわらず、ダウンすら奪えない。しかし、無駄に顔を腫らしたわけではない。彼の十八番(おはこ)、左ストレートを撃つ間合いを模索し続けている。しかも、多くのパンチをもらっていたが、見た目ほどダメージの蓄積はなかった。つまり、広瀬の感想が当たっているのだ。第5ラウンドから、豊は戦法を変えた。


 相も変わらず、広瀬は積極的に攻めるが、豊はディフェンスに重きを置いた。そんな姿を、セコンドの小倉はスタミナ切れと判断した。

「敦!チャンスだ!行け!」

 小倉の絶叫に呼応するように、広瀬のモーションが大きくなった。指示通り、勝負に出たのだろう。豊をロープ際に追い詰める。

「もらった…」

 小倉がそう思った瞬間だった。豊は身を屈め、広瀬の左サイドをすり抜けた。そして、虚を突かれた形になった広瀬がバランスを崩したのを見逃さなかった。右フックが見事に決まり、広瀬の身体がよろける。こうなると、左ストレートを撃ち込むのはたやすかった。

「完璧でした」

 と、自画自賛するほどの一撃で、広瀬を失神に追いやった。

 試合後、担架で運ばれる広瀬に、豊は深々と頭を下げた。その姿を見て、広瀬に付き添う小倉が言った。

「これからも勝ち続けろよ」

 その一言を残し、広瀬と共に小倉はリングを降りた。その時、豊の目から涙がこぼれた。

「ありがとうございました…」

 豊は、去り行く小倉に向かってもう一度頭を下げた。

「勝って泣くヤツがあるかよ」

 花道を歩く豊を如月が茶化す。

「うるせーな、嬉し泣きだよ」

 傷だらけの頬に涙がしみた。


「予告KOは達成できませんでしたね」

 控室に戻った豊に記者が群がった。

「大口を叩いたことを謝らせていただきます。広瀬選手は素晴らしいファイターでした」

 豊は広瀬を讃えた。

「広瀬選手は引退を示唆していましたが、それについては?」

「僕は、また熱い戦いができればと思っています」

 と答えたところで、

「治療しますので、皆さん退室お願いします!」

 と、千尋が記者たちを遮った。

「縫うほどではなさそうね」

 豊の顔を覗き込み千尋が安心する。いくつか裂傷があるが、それほど深くはなかった。

「いい男が台無しだわ」

 消毒液を傷口に流しながら千尋は笑った。そして、顔をしかめている豊に、

「やっぱり、拳都を施設に預けるのやめよう」

 と言った。

「えっ…?」

「今日の試合を見てて、いつもの豊じゃないって思ったの。もしかしたら、何かを吹っ切るために、あんな撃ち合いに挑んだんじゃないかって。確かに相手も強かったかもしれないけど、ここまでもらうとは…」

 豊のディフェンス技術なら、これほど被弾するはずがないと千尋は考えているのだ。

「わざともらってたわけじゃないけど、きっと冷静じゃなかったんですね」

「やっぱり…」

「すみません」

「謝らなくていい。でも、拳都のことは何とかしよう。施設に入れなくてもいい方法を考えてさ」

「はい…」

 豊は頷いたが、彼がボクシングを続ける限り、その方法を見つけ出すのは難しい。しかし、豊たちが荒川ジムに戻ると意外な展開が待ち構えていた。ジムの前に梓が立っていたのだ。


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