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3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
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第四章 5

 家に帰った千尋は、すぐ布団に潜り込んだ。しかし、金本の顔がちらついて眠れない。何気なく携帯に目をやるとメールが届いている。居酒屋の同僚からだった。


ー 大丈夫ですか〜?突然帰っちゃうからビックリしました! ー


 別の同僚からのメールもあった。


ー 今日、ボクシングの世界チャンピオンが来てたんですって!私は知らなかったけど、アキラ君がファンらしく大騒ぎでした!でも、そのチャンピオンの人、千尋さんを捜してたみたいですよ? ー


 千尋の思った通りだった。やはり、金本は自分目当てで来店したのだ。豊と一緒にいるところを見られているので、ジムの関係者と考えても不思議ではない。そして、ジムから店まで尾行したのか。そんな想像をして、彼女は寒気さむけを催した。

 たった一度、それも金を仲介者として寝た女に、そこまでの執着を見せるとは。逆に、千尋にとっては顔も見たくない男だった。仕事だったとは言え、闇に葬り去りたいほどの黒歴史となっている。

「二度と現れないで…」

 と祈りながら、千尋は眠りについた。だが、その祈りは届かず、翌日も金本は彼女の前に現れた。


 午後7時。千尋がジムを出ると、金本が彼女の前に立ちはだかった。

 視線が合ったが、千尋は挨拶もせず彼の横をすり抜けた。

「待てよ」

 呼び止められたが、千尋は無視して逆に歩みを速める。しかし、

「待てって言ってんだろ!」

 と、腕をつかまれ仕方なく足を止めた。

「何の用だよ?」

 千尋は、金本をにらみ啖呵を切った。

「おい、何でそんなに喧嘩腰なんだ?あの時のことを怒ってるなら謝るよ」

 下手したてに出る金本に戸惑いを見せたが、

「別に怒ってないから」

 と言って、千尋は再び歩き出した。

「そんな態度を取っていいのか?俺はお前の素性を知ってるんだぞ?」

 その一言に、また彼女の足が止まる。

「お前、米崎豊と付き合ってるのか?」

 千尋は答えない。

「あいつは知ってるのかね、お前の過去を?」

 金本が言わんとする過去とは、千尋が風俗で働いていたことだろう。だが、豊には以前に打ち明けている。それに付き合っているわけでもない。

「勝手にすれば?」

「勝手にしていいのかな?米崎は気にしなかったとしても、人気急上昇中のボクサーの付き人が、元ソープ嬢なんて世間に知れ渡ったら、イメージダウンになるんじゃないのかな?」

 憔悴する千尋を見て、金本はニヤニヤと笑みを浮かべた。

「何が目的?」

「目的?そうだなあ… いろいろとあるが、まずは侮辱したことに対して謝罪をしてもらおうか」

「謝れば忘れてくれるの?」

「まずはって言ってんだろうよ」

 金本の顔から笑みが消える。その表情に一抹の恐怖を感じながらも、千尋は言われた通りに頭を下げ、仕事に遅れるからと駅に急いだ。その去り際に、

「また近いうちに店に行くから、今度は早退するなよ」

 と、金本が言ったが、彼女は振り向かなかった。


 混雑する電車の中で吊り革につかまり、千尋はため息をいた。金本の目的は何なのか。少なくとも金銭ではないだろうとは思う。だとすると身体セックスか。しかし、世界チャンピオンになったのだ。収入だって増えたに違いなく、遊ぼうと思えばいくらでも遊べるはずである。自分で言うのもなんだが、他にいい女は腐るほどいるのだ。

 千尋は、あまり男好きする気質ではなかった。容姿は人並み以上だが、男に媚びたり甘えたりできるタイプではなく、生意気な女と見られがちだった。だから、短期間しかいなかった風俗の世界でも、客受けはあまり良くなかった。

 それにしても、何という巡り合わせの悪さだろうか。金本でなければ、千尋は何も悩む必要はない。彼女が、豊と距離を置けばいい話なのだ。

 店に着いてからも千尋の苦悩は続く。しかし、取り立てて何かを要求されたわけでもないと気を取り直した。仕事が終わり店を出る時も、出待ちを警戒していたが、金本の姿はなくホッとする。

「このまま…」

 何もなければいいのに、そう思い始発の電車を待った。


 広瀬の逆KO予告を、マスコミは大きく取り上げた。更に広瀬は、豊に負けたら引退するとまで宣言し、盛り上がりに拍車をかけた。

「広瀬選手は引退をかけると言ってますが?」

 という記者の質問に、

「撤回してもらいたいです。引退するにはまだ早いと思いますから」

 と、豊は答えた。

「それは負けるはずがないという意味で?」

「はい。予告通り三分以内に、マットに沈んでもらいます」

 豊は当然と言わんばかりに微笑んで、強気の発言を連発する。

「広瀬選手のトレーナーは、荒川ジムにいた小倉さんですよね?米崎選手を知り尽くしていると思われますが?」

「それくらいのハンデがあってもいいのかなと思っています。ただ、僕も当時の僕ではないので、あまり参考にはならないかもしれませんが」

 憎たらしいほどの余裕に、隣で聞いていた千尋は、

「やりすぎだよ…」

 と、心の中で苦虫を噛み潰していた。

 普段の豊らしからぬコメントの数々は、広瀬の逆KO予告を受けて、北原が考案したパフォーマンスだった。豊自身あまり乗り気ではなかったが、いざ記者を前にすると、自分が思っていた以上のビッグマウスぶりで、インタビュアーを喜ばせた。

 記者が帰ったあと、豊はタオルで顔を拭いながら苦笑いをしていた。

「喋っているうちについ…」

 自分でもやりすぎたと感じていたようだ。


 それから一週間が経ち、豊に大きな決断に迫られる時が訪れた。一時的ではあるが、拳都を施設に預けることになったのだ。荒川の妻が胃の病気で、入院を余儀なくされたためだった。一時的というのは、豊が引き取るまでという意味である。彼は、ボクシングにおいての目標を達成したあと、拳都の親になる意思を固めていた。そして、その目標達成の時期が、そう遠くないとも思っている。だがらこその苦渋の選択だったが、可能な限り施設には顔を出すつもりだった。

 八ヶ月になる拳都も、自分を家族と認識している、そう彼は信じていた。

「俺だって同じだ…」

 最近こそ一緒にいる時間は少ないが、豊にとって、拳都は我が子以上に愛すべき存在となっていた。

 拳都が物心がつく頃には、ボクシングをやめて就職しているだろう。だが、どんな仕事をしているか想像もつかないし、いい暮らしはさせてあげられないとも思う。

「それでも…」

 施設で育つよりはいいと、豊は信じて疑わなかった。


 広瀬との試合まで一週間、この日から人生で初めての一人暮らしが始まった。とりあえず次の試合が終わるまでは、舞の家で拳都を預かってもらえることになった。

 梓と拳都がいないアパートが、やけに広く感じられる。豊は携帯電話を開いた。無理矢理千尋に持たされたが、ほとんど使ったことはない。操作に難儀しながらも、目的のボクシングを扱うサイトに辿り着いた。

 豊と広瀬の舌戦は、トップニュースで扱われていた。小倉の談話もある。


ー 相手は世界ランカーですからね。正直、総合力は向こうが上かもしれない。ただ、ひとつだけ確実に広瀬が勝っているものがある。この試合にかける執念、これだけは絶対に広瀬の方が上ですよ。だからこそ、引退を口にしたのだと思ってます ー


「執念か…」

 豊にだって執念はある。むしろ、誰にも負けないと思っている。ただ、遺恨対決とマスコミは煽るが、彼には小倉や広瀬に遺恨などなかった。つまり、一方通行の遺恨が執念の差になっているのだろうか。

 北原にけしかけられたKO予告。ここまで騒がれると、リップサービスでは済まなくなった。

「やるしかない…」

 そう心の中で呟き、豊は眠りについた。


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