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3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
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第三章 13

 アパートに帰った豊は、二時間ほど寝てバイトに行き、そしてジムへと向かった。如月が来るまでにロードワークを終わらせ、スパーリングの時間を多くしたかったのだが、思わぬ邪魔が入った。格闘技誌の取材である。〝ファイトスタイル〟という歴史の浅い雑誌で、他の専門誌と趣を異とするのは、読者層を女性に決め打ちしているところだ。そのカラーグラビアに豊を抜擢するという。

 取材には、佐山(さやま)という若い女性記者とカメラマン、それに関東スポーツの渋谷も同行していた。

「うちの社で出版している雑誌で、格闘技全般を扱っているんだけど、最近はプロレスや総合格闘技に押されっぱなしでね。ボクシング担当として肩身の狭い思いをしていたから、米崎君をプッシュしたというわけなんだ」

「はあ…」

 豊の表情が強張(こわば)っている。もともとが人見知りをするタイプで、初対面の人間と話すのが得意ではなかった。インタビューも苦手なのだが、今日は一段とやりにくい。

「休みの日は何をして過ごす?」

「好きな女性のタイプは?」

「ファッションへのこだわりは?」

 などなど、ボクシングとは関係のない質問が、延々と続いたからだ。と言うより、この佐山という女性記者は、ボクシングの知識がまったくないように思えた。

 何ひとつロクな返答ができない豊に、初々しいと好意的だった佐山も徐々に苛立ちを募らせ、質問をする声が大きくなっている。

「ほら、何かあるじゃない!好きな音楽とか映画とか!」

「いや、それが全然…」

 豊も申し訳ない気持ちでいっぱいだった。いい記事を書いてもらいたいとは思うものの、提供できるネタを持ち合わせていないのだ。

「苦労してるようだね?」

 渋谷が笑いながら、二人のもとに来た。

「でも、それが彼の魅力なんだよ。すべての欲をかなぐり捨て、一途なまでにボクシングに打ち込む好青年。面白い記事にしたいのはわかるが、豊君に余計な言葉は不要なんだ」

「そんなこと言われても…」

 佐山は困惑を浮かべる。

「大丈夫、ありきたりのインタビューなんか載せなくても、きっといい記事になるさ」

 渋谷は断言するように言った。


 5月5日、横浜アリーナ。豊が18歳になって初めての試合である。

 この日はトリプル世界タイトルマッチと銘打たれ、地上波の生中継もあるビッグイベントだ。後楽園ホールでの試合しか経験のない豊は、開場前のアリーナを見渡し、

「すごいな…」

 と、その広さに感嘆の声を漏らした。一万七千枚のチケットは完売に近いと聞いている。

 後楽園ホールとは違い、控室は個別に割り当てられた。

「不思議な感覚だね」

 千尋が控室を見回して言った。他のジムの選手や関係者の姿が見えないからだ。

「静かですよね」

 如月も妙に落ち着かない。いつもはやかましいほど賑やかなのに、誰かが話していないと静寂に怯えてしまいそうなほどだった。

「でも、精神統一にはいい環境か…」

 如月は一人で納得し、豊のマッサージを始めた。他のボクサーのことは知らないが、小倉は必ず試合前に豊の筋肉を揉みほぐしてくれたので、その習慣を如月に引き継いでもらっている。

「緊張してるだろ?」

 如月がからかうように聞いたが、実際に前の試合の時より腕の筋肉が硬い気がしていた。

「緊張って言うのかなあ… 今までにないくらいゾクゾクしてるんだ…」

 その言葉通り、声までが微かに震えている。それを如月は、初めて外国人ボクサーと相対(あいたい)する恐怖感から来るものと推測した。彼にも似たような経験があった。インターハイを制したあと、親善試合でアメリカに招待され、黒人のボクサーと対戦した時である。同じ高校三年生、同じフェザー級の選手なのに、相手が自分よりやたらと大きく見えて、彼は萎縮した。ゴングが鳴ってからも、しばらくは大男に見えていたが、2ラウンド目に突入すると、何故か相手が等身大に戻っていた。1ラウンドを無事やり過ごせたことで、恐怖が薄れ幻覚から解き放たれたのだろうと試合後に思った。今の豊は、その時と自分と同じ精神状態にあるのではないか。


 激励に訪れた北原も、いつもと違う豊の佇まいに気づく。ベンチに座って自分の拳を見つめながら、小刻みに身体を震わせている。

「体調が良くないのかね?」

 北原が、そっと千尋に聞いた。

「いえ、ここに来るまでは普通だったんですが、控室に入ってからずっとあんな調子で。如月君は、初めて外国人と対戦するから精神が高揚しているんじゃないかと」

「なるほどね」

 ありえない話ではない。これだけグローバル化した日本でも、未だ外国人アレルギーを持つ者は多い。だが、北原は豊を見てあることに気づいた。

「リズムだ…」

「何ですって?」

 千尋は、北原の声が小さくて聞き取れなかった。

「リズムだよ。震えているのではなく、リズムを刻んでいるようにも見えないかな?」

「そう言えば…」

 千尋も豊を凝視する。

「よく見ると、動いてるのは腕だけですね」

 身体全体が震えているのではなかった。

「もしかすると、試合のイメージを作り上げているのかもしれないな」

 だとしたら、豊はまた一歩進化していると北原は思った。未対戦の相手を思い描き、どのように試合を支配するべきかと運動(うんどう)()を働かせる。一流のボクサーには、そういったイメージトレーニングができるものだ。

「そして試合に入っても、自分が描いたイメージを壊さず有利な展開に持ち込むんだ。あとは、そこまでの技量を彼が持っているか…」

 北原が助言したインサイドワークを、豊は自分なりの思考で形にしようとしているのかもしれない。

「ひょっとすると…」

 北原の身体にも震えが走った。


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