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3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
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第三章 11


 二週間が過ぎた。ジムで千尋が新聞を読んでいると、富山県知事選の開票結果が載っていた。彼女が、梓の父親ではと想像している角田啓三が当選している。富山県知事選史上稀に見る接戦で、僅差での勝利だと報じているが、千尋にはどうでもいい情報である。この角田が本当に梓の父親で、拳都を引き取ってくれるかだけが重要だった。梓がデタラメを言っているかもしれないし、父親であっても引き取りを拒否する可能性もある。どちらにせよ、一度会いに行く必要があると彼女は考えていた。

 そんな中、舞が妙な話を持ってきた。梓の元カレである竹内が、近頃羽振りがよく毎晩のように豪遊をしているというのだ。

「あの男、女にたかるしか能のない、寄生虫みたいなヤツなんですけど」

「いい金蔓でも見つけたんじゃないの?」

 実家は金持ちかもしれないが、今の梓に貢ぐ余裕などないだろう。

「それならいいんですが…」

 竹内が梓をたらしこみ、風俗などで働かせているのではないかと、舞は懸念を抱いているのだ。

「そんなに馬鹿じゃないと思うし、いくら風俗の稼ぎがよくても、梓ちゃんがいなくなってまだ二週間だよ」

 夜な夜な大盤振る舞いできるほどの金は作れないはずだ。

「明日富山に行ってみるから、心配だろうけどもう少し待って」

 千尋はネットを開き、富山までのアクセスを調べた。


 翌日、豊がジムに来ると、千尋の姿がなかった。

「今日は来れないって連絡があったよ。疲れてるんじゃないかなあ」

 と、荒川が答えた。

「そうかもしれませんね」

 千尋は毎日ジムの手伝いをしている。そして、夜は夜で居酒屋で働いていた。疲れないはずがないのだ。それ以上深く考えずトレーニングを始めると、北原が昨日とは違うボクサーを連れて現れた。

「えっ!?」

 その男を見て、豊は腰を抜かしそうになった。

水谷(みずたに)圭太郎(けいたろう)だ。知ってるかな?」

 知ってるも何も、現役の世界チャンピオンである。階級は最軽量のミニマム級で、過去3度の防衛に成功しているバリバリのトップボクサーだった。

「出稽古の相手を探してたら、北原さんにいい選手がいると聞きまして」

 水谷は、笑顔で豊に握手を求めた。豊より年上だが丁寧な言葉遣いだった。

「防衛戦が近くなると、うちの選手はスパーリングをやりたがらないんだ。だから出稽古で相手を探してるんだよ」

 北原が、世界王者来訪の真意を解説してくれたが、イマイチ豊にはピンとこない。10キロのウエート差があるとは言え、自分のような格下とスパーリングをして、得るものがあるのだろうか。そして、北原の提案に豊はもう一度驚いた。

「君さえ良ければ、ガチンコのスパーをしてみないか?」

 ヘッドギアなし、試合用グローブ着用という意味である。

「それはさすがに…」

「おや?弱気になるなんて君らしくないじゃないか」

「いえ、怪我させちゃうとまずいかなと思いまして…」

 豊が遠慮がちに答えると、北原と水谷は大笑いした。

「面白い選手ですね。気に入りましたよ」

 と言って、水谷はスパーリングの準備を始めた。


 水谷の防衛戦は、金本が世界初挑戦の日に行われる。つまり、豊と世界ランカーの試合とも同じ日だ。

 リングに上がる前、北原が豊の耳許で囁いた。

「水谷はきつい減量をしている。今が一番キツい時だ」

 そして、こうけしかけた。

「一発入れてみろ」

 ニコッと微笑み、豊はリングに上がった。だが、予定の3ラウンドの間、彼のパンチは(くう)を切り続けた。一発どころか、かすりさえもしなかった。

「さすがチャンピオンです…」

 スパーリングを終えタオルで汗を拭う豊の顔には、落胆の色がにじみ出ていた。しかし、気落ちしていたのは彼だけではなかった。現役世界王者の水谷の方も、豊に一発も入れられなかったのだ。

「あれでまだ6回戦ですか?」

 水谷は呆れるように言った。マスコミに騒がれているので、存在自体は知っていたが、所詮は6回戦と高をくくっていたのだ。

「6回戦と言っても、日本ランカーに勝ってるからな」

「いやいや、そんなレベルじゃないです。もっともっと上でやれますね」

「ふむ…」

 水谷の評価に、北原は満足そうな笑みを浮かべた。正直な話、それくらいは言ってもらわないと困ると思っていたからだ。次の試合で、金本は間違いなくベルトを獲る。だが、いつまでもそのベルトを保持しているという保証はない。彼が口酸っぱく語る「商品価値」というフレーズは、当然金本にも当てはまるのだ。


「そんなに落ち込むなよ」

 帰り際、北原は豊に声をかけた。

「うちのトップクラスだって、水谷に撃たれないヤツはそうそういないんだぞ」

 これは慰めの言葉ではなかった。如月をパートナーにしているだけのことはあると、北原は感心している。だが、豊は悔しさを隠さずに反論した。

「確かに水谷さんの攻撃はどうにか防げました。けど、それだけじゃ駄目なんです。相手にパンチを入れないと、絶対にKO勝ちはできないんですから」

「そうだな…」

 北原は否定しない。いや、否定のしようがなかった。KOで豊を縛っているのは、他でもない北原自身なのだ。だが、彼は豊の表情を見て安心した。打ちひしがれ、絶望のどん底にいる顔ではなく、試合に向けての対策を練っている、そんな顔つきをしていたからだ。

「課題はスピードじゃない。インサイドワークだ」

「インサイドワーク?」

「そうだ。ここを駆使するんだ」

 北原は、人差し指で自分の頭を指した。

「脳で相手の一歩先の動きを読む。そうすれば、どうやったら的確にパンチを叩き込めるかが見えてくるはずだ」

「なるほど」

 今まで豊が軽視していた部分である。小倉がいた間は、ひたすら本能を磨けと教えられていたのだ。

「それにデータも重要だ。うちのジムには、対戦相手の動作を解析する機械があるから、明日にでも見に来るといい」

「そんなものがあるんですか?」

「ああ。そのうち君のデータも入力して、金本に見せなきゃならんな」

 北原は笑って言った。


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