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3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
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第三章 9

 営業時間前だったが、店内には男のスタッフがいた。黒服(くろふく)と呼ばれる職種の者だろう。

「梓というコがこちらで働いてると思うのですが?」

「梓ちゃんは、ここ何日か休んでますよ」

 と答える黒服に、千尋は事情を話した。

「舞ちゃんなら何か知ってるかもしれないな。あのコも今日は休みだから、電話して聞いてみましょう」

 チャラそうな感じだったが、黒服は親切に対応してくれた。数分して、

「ちょうど新宿に出てるから、会って話したいそうです」

 と言って、駅ナカにあるタリーズで待っていると教えてくれた。二人は礼を言って新宿駅に戻った。

「どんな服装か聞いておけばよかったかな」

「舞さんなら、会ったことがあるよ」

「そうなの?」

「何度か梓と試合を観に来てくれたから」

 タリーズに着くと、舞が豊に向かって手を振った。

「この前は応援行けなくてごめんね」

「いえ。梓から連絡ありました?」

「それが全然なの。メールの返事もないし。一週間前くらいから、ちょっと様子が変だったんだけど」

「そんな前から!?」

 豊は驚いてしまった。彼の前では、普段と変わらぬ様子だったはずだ。

「何かあったんでしょうか?」

 千尋が聞いた。

「実は、店に梓の元カレが来たんです」

「えっ、あの男が!?」

「豊君知ってるの?」

 舞は、意外そうな顔をした。

「ちょっと前にアパートに来たんです。梓が追い返したけど」

「で、店には客として来たんですけど、それからだと思うんです。梓の様子が変わったのは」

 どんな会話をしたかまではわからないと舞は言う。

「その男とヨリが戻ったのかな?」

「それは絶対にない!」

 豊は、千尋の意見を強く否定した。

「じゃあ、何でいなくなったの?」

「それは…」

 彼にもわからない。しかし、拳都を置いてあの男のもとへ行くなどありえない。いや、そう信じたかった。

「私もそれはないと思います。竹内ってホントにどうしようもないヤツだし、梓も散々苦労したから…」

 舞も豊に同調した。

「彼女の実家はどこなの?」

「富山って言ってたけど、詳しくはわかりません。あのコ、上京前の話はしたがらなかったから。それに実家には戻ってないと思います」

「どうして?」

「親と仲悪いみたいで、もう何年も連絡も取ってないそうなんです」

「そうなんだ…」

 親と音信不通なのは、千尋も同じである。

「梓ちゃんから連絡あったら、ここに電話して」

 携帯番号を教え、豊と千尋は舞と別れた。


「何か食べていこうか」

「うん」

 あまり食欲はなかったが、豊は誘いに乗った。

 前に行った小料理屋に入ると、千尋は瓶ビールを注文しグラスを二つ頼んだ。ひとつは豊の分という意味だろう。

「ごめんね、仕事休ませちゃって」

「たまにはいいのよ」

 千尋は、朝方まで営業している居酒屋で働いていた。そして日中は、ほとんど荒川ジムにいる。

「いったい、いつ寝てるんだろうか…」

 と、いつも豊は心配していた。

「梓ちゃん、どうしたんだろう。本当にわからないの?」

「ええ…」

 この時、梓と出会った経緯を話すべきか、豊は迷っていた。だが、まだ梓が自分の意思でいなくなったという確証はない。

「そんなんじゃ彼氏失格だよ」

「えっ!?」

「何驚いてるのよ。彼氏だったら、しっかりつかまえておかないと」

「いや、俺と梓はそんな関係じゃ…」

「はあ?同棲してるのに?」

「同棲じゃなくて同居。ただ一緒に暮らしるだけで」

「じゃあ身体の関係もないの?」

 女将が会話に参加してきた。

「ありません」

 と言って、豊は顔を赤らめた。

「嘘だ。信じられない!」

 女子高生のような声を出して女将は驚いた。

「一緒に住んでどれくらい?」

「半年くらいです」

「そんなにいて一回もないの?そういう気にならない?」

「毎日練習でヘトヘトになって帰るし…」

「そのコはどう思ってるんだろうね?」

 女将は興味津々である。

「どうなんでしょう…」

 豊にもわからないが、そういった誘惑は一度もなかった。

「豊は梓ちゃんのこと、どういう風に考えてるわけ?将来的に結婚したいとかさ」

「それは…」

 千尋の問いに豊は窮した。梓や拳都との触れ合いの中で、彼は家族というものを意識するようになった。いつかは結婚して子供を欲しいとも思う。だが、梓をその対象として考えたことはなかった。それは好き嫌いの問題ではなく、今はボクシングがすべてであり、恋愛に心を向ける余裕がないからである。

「とりあえず、もう一日待ってみましょう。明日までに帰ってこなければ、考えなきゃならないこともあるし」

「何を?」

「拳都よ。ずっと会長に面倒見てもらうわけにもいかないのよ?」

「そうだね…」

 豊と違い、千尋は梓が戻ってこないものと想定しているようだ。しかし、いつまでも荒川に拳都を預けるのは彼も反対だった。荒川の妻が体調を崩しているので、負担をかけられないのだ。

「梓、帰ってこい…」

 豊は、グラスに残っていたビールを飲み干し、心の中で呟いた。


 翌朝になっても梓は帰らない。豊がジムに行くと、

「何か見つかった?」

 と、千尋が聞いた。手がかりになるような物を探してと頼まれ、夜通し部屋の中をかき回したが、徒労に終わっていた。

「私が警察に行って相談してくるから、豊はバイト行ってトレーニングしてちょうだい」

「でも、こんな時に…」

「あたふたしてもしょうがないの。もう一度梓ちゃんの学校にも行って、実家の連絡先を聞いてくるから」

「すみません、何もかも押しつけちゃって」

「いいの。ちゃんと練習するんだよ」

 千尋が出かけたあと、豊もアルバイトに行きトレーニングに励んだが、やはり集中力が持続せず、如月とのスパーリングでも、普段ではありえないほどパンチを受けてしまった。

「これじゃあ練習にもならない。今日はもうやめよう」

 そう言って、如月はグローブとヘッドギアを外しベンチに腰を下ろした。

「ごめん…」

 豊も、リングから降り如月の隣に座った。

「聞いてもいいか?豊と梓さんはどういう関係なんだ?俺は、普通に恋人同士だと思ってたんだけど」

「ただ一緒に住んでるって関係なのかな…」

「拳都は豊の子供じゃないんだろ?」

「うん」

「将来結婚の予定もなし?」

「うん…」

 昨夜の千尋と同じ質問に、豊は苦笑しながら答えた。

「けど、梓さんは豊を好きだぞ?」

「そうかな?」

「見てりゃわかるさ。ホントに気づいてないの?それとも照れ隠し?」

「たとえ向こうがそう思ってたとしても、今の俺にはそんな余裕なんてないよ」

「ボクシングと恋愛は別物だろ?俺だって、高校の時から付き合ってる彼女もいるんだし」

「君と俺じゃ境遇が違いすぎるよ。ボクシングをやめても、君には歩くべき道があるじゃないか。今の俺にはこれしかないんだ」

 豊は、外したばかりのグローブを撫でた。だが、ボクシングで生計が立つわけではないし、彼自身そんな気もない。引退後は家庭を持ちたいとも思うが、親も学歴もない身で養っていけるのかという不安もあった。


 夕方、千尋が戻ってきた。

「やっぱり個人情報だから、実家の連絡先は教えてくれなかった。けど、梓ちゃんの親には電話してくれるって」

 そして、その結果も知らせてくれるという。

 今夜も荒川が拳都を預かってくれることになったが、

「施設に相談した方がいいのかも…」

 と、厳しい顔で千尋は言った。だが、豊は反対だった。もし永遠に梓が戻ってこないなら、彼は自分の子として育てようとまで考えている。

「練習はどうするの?」

「ジムに連れてくるか、託児所に預けるか、そこまでは考えてないけど…」

「できると思う?今までは梓ちゃんがいたけど、それを全部一人でやらなきゃならないんだよ?ボクシングだって、これからが大事な時なのに」

「大変なのはわかってる。でも、施設には絶対に入れたくないんです。拳都には、親に捨てられた悲しみを背負ってほしくないから…」

 そう言われると、千尋に返す言葉はなかった。彼女は、豊がプロボクサーを志した真の理由を知っている。孤児(みなしご)でなければ、彼はこの世界に足を踏み入れていないことも。

「わかった。私も出来る限り協力する」

 千尋は妥協した。豊の考えが正しいとは思わないが、すぐに結論を出せる問題ではない。それに、豊は信念を貫き通す人間である。だからこそ目標のプロボクサーになり、今もこうして邁進しているのだ。

「捜索願も出したし、とにかく見つかることを祈りましょう」

 練習後、豊は荒川の家に寄り、一緒に泊めてもらうことになった。


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