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3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
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第三章 7

 翌日の荒川ジムは、盆と正月が一緒に来たような騒ぎになった。日中は取材ラッシュ、夜は大里商店街の連中が集まり、祝勝会兼後援会発足パーティーが催された。

「いやあ、豊ちゃんは本当に強いな。昨日だって、ちょっとよそ見してる間にKOしちゃってるんだもの。せっかく応援に行ったんだから、もっと楽しませてくれないと」

 後援会長となった山本は、すこぶるご機嫌である。

「すみません、次はもうちょっと長くリングにいるようにします」

 苦笑しながら豊は答えた。

「今日はテレビの取材もあったんだって?」

「はい。CSの番組らしいんですが、緊張して何を喋ったんだか全然覚えてないんです」

「いやいや、たいしたもんだよ。後援会も、千尋ちゃんのおかげでこんなに盛り上がってるし」

「そうですね。本当にありがたいです」

 後援会云々より、ジムが賑やかになることが豊には嬉しい。荒川の楽しそうな顔を見るのも久しぶりだった。

 荒川は、妻と拳都の取り合いをしている。その光景を微笑ましく眺めている時、千尋に呼ばれた。

「FSGの北原さんって人から電話。知ってる?」

「知ってるけど何の用?」

「それはわからないけど、豊と会いたいんだって。どうする?」

「別に構わないけど…」

 試合のオファーだろうか。今までは、すべて小倉が交渉していたのだ。

「引き抜きじゃないかな?」

 と、千尋は警戒心をあらわにした。だが、当然豊には移籍する気はない。


 翌日、豊は北原と会った。一人では心許ないので、千尋にも同行してもらう。

 北原が指定した場所は、新宿にあるステーキショップだった。

「まずはおめでとう。完璧な試合運びだった」

 二人の警戒をよそに、北原は笑顔を見せる。

「好きな物を注文してくれ。試合が終わったばかりだし、ウエートの心配もないだろう。ここのステーキは美味うまいんだ」

 ご馳走してくれるようなので豊は安心した。高級そうな店だったからだ。

「それで、ご用件は何でしょうか?」

 メニューを開く前に千尋が切り出した。

「失礼ですがあなたは?」

「米崎の後見人のような者です」

 微妙な言い回しだったが、北原は気にする様子もなく本題に入る。

「なるほど、なら話は早い。米崎君の今後についてのことなんだが、先にオーダーを済ませてしまおう」

 北原は店員を呼び、三人分のシャトーブリアンを注文した。

「あの… 移籍という話でしたら、僕は荒川ジムを出るつもりはありません」

 と、豊が牽制した。しかし、北原は即座に否定する。

「違うんだ。君のプロモートのことなんだよ」

「プロモート?」

「昨日の圧勝で、君の商品価値は更に高まった。しかし、荒川ジムには興行権がない。それは、飛躍の時を迎えた君には大きなマイナスだ。そこで、君の試合に関するプロモートを、FSGに任せてもらえないかという相談なんだ。簡単に言うと、対戦相手やギャラの交渉などを我々が引き受ける。もちろんマージンはいただくが」

「そういう契約は、よくある話なんでしょうか?」

 千尋が尋ねる。

「外国では、エージェントがボクサーのマネージメントをするのが当たり前なんだが、日本のボクシング界は特殊な構造なので、ほとんど前例はない。うちも、基本的には所属選手のマネージメントしかやらないんだが」

「なのに、何故米崎を?」

「私には夢があってね。日本人同士の世界タイトルマッチで、東京ドームを超満員してみたいんだ」

「はあ…」

 突然話が飛び、豊と千尋は戸惑いを見せるが、北原は構わずに続けた。


「東京ドームを満員にするとなれば、相当インパクトのあるマッチメイクじゃないと無理だ。どうだろう、無敗同士、しかもすべてKOで勝ち上がってきた者同士の対決は?夢があると思わないか?」

 北原は、豊を見つめて聞いた。

 以前、関東スポーツの渋谷が、似たようなことを小倉に話しているが、北原にはよりスケールの大きな構想があるらしい。

「その候補に、僕が選ばれているってことですか?」

 豊が尋ねた。

「そうだ。KOで勝ち続けている君は、その資格を持っているからね。金本は近いうちに世界を獲る。ぜひ、君にも無傷のまま金本に挑戦してもらいたいんだよ」

「挑戦…」

 豊の背筋に電流が流れていた。北原が語った青写真は、まさに彼がデビュー前から思い描いていた未来予想図そのものだった。

「だから、もし君が一戦でもKO勝ちを逃したら、その時点でマネージメントは降りさせてもらう。商品価値がなくなるんでね」

「ずいぶん、ビジネスライクなんですね」

 千尋が眉をひそめた。商品という言葉に反発があるようだが豊は違った。プロである以上、ボクサーは商品でなければならないと考える。そして、客を呼べる商品に価値があるのは当然なのだ。

「もちろん、君がKO勝ちを続ける限り、最大限のバックアップもさせてもらうつもりだ。マージンが発生すると言ったが、この話は特に利益を追求するものではないんだ。ただ、うちも組織なんでボランティアというわけにはいかなくてね」

 豊は、運ばれたステーキに手をつけるのを忘れるほど、北原の話に聞き入った。

「返事は後日でも構いませんか?荒川とも相談しなきゃなりませんし」

 千尋は慎重な態度を見せたが、

「いえ、今すぐにでもお願いしたいです!」

 と、豊は前のめりになっている。そんな彼を北原は笑顔で諭す。

「いや、彼女が言うように、荒川さんともじっくり話し合うべきだよ。それに、契約書なんかも必要になるから、この場ですぐというわけにはいかないんだ」

 話し合いも一段落(いちだんらく)つき、豊は今まで見たこともない分厚いステーキにかじりついた。

「美味い…」

 すっかり冷めていたが、興奮状態の豊にはたまらなく美味しく感じられた。


 その夜、荒川を交え北原のオファーについて話し合った。

「悪い話ではないと思うが?」

 と、荒川は反対しなかった。だが、いくつか疑問もある。

「うまく事が運んで、豊が金本に挑戦するとなる。もし、その試合で豊が勝ったらどうするんだ?FSGはベルトを失って、大損害だと思うんだよ」

「私もそう思ったから、北原さんに聞いたんです。そしたら、目先の利益にこだわってるようでは、ビッグイベントの実現は不可能だと。もし本当に実現できたら、ボクシング界から身を退()いてもいいくらいだって言ってました」

「そこまで覚悟してるとは… そして、豊が目をつけられたのが凄い」

「強いだけじゃなく、豊にはスター性があると言うんです。多くのボクサーを見てきて、これほど輝きを秘めている選手は稀だって、すごい褒めようで」

「伸一もいつも言ってたんだよ。豊はダイヤの原石だってな。ワシと違って、二人には見る目があったってことだな」

 事実、荒川はプロボクサーを輩出したことだけで満足しており、ここまで騒がれる選手になるとは想像だにしなかった。

「会社を閉める時、ワシはもう人生おしまいだと思っていた。それがジムも続けられて… こんな死に損ないでも、夢を見ることができるんだな。本当にありがとう」

 荒川は泣きながら、豊に両手で握手を求めた。

「礼を言うのは俺の方です。荒川ジムがあったからこそ、俺はボクサーになれたんですから。ここは俺の故郷です、簡単に潰すわけにはいきません」

 二人のやり取りを見て、千尋も目頭を熱くさせた。彼女が書く豊の物語は、きっと感動エピソードに事欠かないものになるだろう。


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