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3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
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第三章 2

 如月戦の勝利で一躍名を馳せた豊は、連日の取材に追われていた。中には、シンデレラボーイと表現する媒体もあった。彼の生い立ちを考えれば、まさにピッタリのフレーズだが、豊は自分の過去や境遇を一切語らなかった。マスコミ受け間違いないネタなのだが、小倉や荒川にも口外しないでと頼むほど徹底していた。

 そして二週間後、早くも次の対戦相手が決定した。フェザー級日本ランキング4位の森田(もりた)という格上の選手である。このマッチメイクには裏があった。

 如月が引退会見の席で、

「米崎選手は、すでに日本王者並みの実力を備えてます。そう遠くない未来に、ボクシング界の頂点に立つでしょう。疑うなら上位ランカーあたりが対戦してみればいい」

 などと、豊を絶賛するコメントをまくし立て、それに各ジムの日本ランカー陣が反応した結果、荒川ジムに対戦依頼が多数舞い込んだのだ。

 如月が広げた大風呂敷のおかげで、豊は興行面でも潤いの見込める選手になったというわけだ。

 数ある候補の中から、小倉はランキングが一番上の森田を選んだ。一見無謀とも思える選択だが、彼は楽観視していた。

「如月戦後、豊は見違えるようにスケールアップした…」

 日本ランカーでさえ、それほど高いハードルではないとまで思っている。その期待に応えるように、豊は如月との試合で露見した課題を、ひとつひとつ克服しつつあった。そして、自分が目指すべきボクシングスタイルを、鮮明にイメージするようになっていた。

 如月との対戦では、判定負け覚悟で一発逆転を狙ったが、そんなギャンブルが度々成功するはずがない。確実に勝利をものにするためには、ダメージを受けずに相手にダメージを与える、そんな当たり前のことが何よりも大切だと再確認していた。殴られずに殴る、至極シンプルな戦闘の理論こそが、もっとも重要だと悟ったのだ。

 不思議なもので、日本ランカーとの対戦にも、豊は臆することがなかった。むしろ、試合が待ち遠しくさえ感じている。

「自惚れてるのかな…?」

 シャドウボクシングをしながら、鏡に映る自分に問いかけ自嘲する。だが、ボクサーという人種は、基本的に自信過剰なのだろう。そうでなければ、生死がかかるリングに上がれはしない。ただし、豊の自信には大きな裏付けがあった。それは豊富な練習量である。周囲に比較できる相手がいないので彼自身気づいていないが、日本中を見渡しても彼ほど練習する選手はそういない。

 時々ジムに顔を出す如月も、豊のハードトレーニングに唖然とする。

「勝てないわけだよ…」

 早朝から夜の8時まで、濃密なメニューを消化する豊を見て、試合で実感したスタミナに納得するしかなかった。

「早々と引退して大正解だった…」

 と、如月は苦笑まじりのため息を()いた。


 金本のスパーリングを、北原がじっと見つめていた。罰金ありの、三人を同時に相手するスタイルである。現在対戦交渉中の相手は、世界ランク5位の元世界王者で、その試合に勝利すれば世界タイトル挑戦が現実味を帯びてくる。しかし、北原は不安だった。ここ数日、金本の動きに冴えが見えないからだ。今日のスパーリングでも、格下の選手たちから連打を浴びていた。

「ストップ!」

 北原が止めた。

「ちょっと来い!」

 ふて腐れ気味にリングから降りてくる金本を、ミーティングルームへ連れて行く。そして、

「座れ」

 と、北原は怒りを押し殺すように言った。

「何だ、あのザマは?」

 金本はうつむいたまま、返事をしなかった。

「毎晩のように出歩いてるらしいが、ウエートは大丈夫なのか?その腹回りだと10キロ近くオーバーしているだろう」

「試合も決まってないのに調整なんてできませんよ」

「甘えたことをほざくんじゃない。次の試合がどれだけ重要か、お前だってわかってるだろう?うつつを抜かしてる時じゃないんだ」

「はい」

 金本は力なく頷いた。

「お前らしくない」

「えっ…?」

「らしくないと言ったんだ。お前は、今の時代には珍しいほどの、ハングリースピリットの持ち主だ。そりゃそうだよな。あれだけ極貧の幼少期を過ごしてきたんだから。その反骨心がお前を支えてきたはずなのに、今じゃ欲に目のくらんだ醜いだけの豚だよ。俺がやっても勝てるだろう」

 挑発するように北原が言うと、金本は鼻で笑った。

「それは言いすぎですよ」

「試してみるか?」

「よしてください。練習に戻ります」

 金本は立ち上がった。

「早く試合を決めてください。そうすりゃ気合も入るってもんです」

 そう言って歩き出した彼の肩に、北原は手を置いた。そして、

「まだ何かあるんですか?」

 と、振り向いた金本の頬に、北原の拳がのめり込んだ。

 金本はもんどりうって、その場にうずくまった。

「不意打ちはないでしょう…」

 唇が切れ血が噴き出すが、金本はにやけている。

「俺のパンチがかわせないとはな。スパーで滅多撃ちになるわけだ。俺は降りるぜ。他のトレーナーに見てもらえ」

 と言い残し、北原はミーティングルームを出て行った。

「ふん…」

 北原の言葉を、金本は()に受けなかった。

「世界目前のボクサーを手放すはずがないさ…」

 と、高をくくっているのだ。


「たいした人気だねえ」

 溢れ返る見学者を見渡して、関東スポーツの渋谷が感嘆の声を上げた。特に若い女性が多い。

「入会してくれる人が増えるといいのですが」

 それは豊の切実な思いである。ジム生が増えれば、荒川の負担も軽減すると考えるのだ。小倉も、最近は本業のことが気になるらしく、トレーニングの最中に考え事が多くなっていた。

「移籍は考えてないのかい?」

「移籍?」

 豊は、渋谷の質問の意味がわからなかった。

「そういった話も、いずれ出てくるんじゃないのかな?」

「何故移籍しなきゃならないんですか?」

「君がこのまま勝ち進んで、いざ世界に挑戦できるとなった時に、必要なものは何だと思う?」

 渋谷は真剣な顔で豊に聞いた。

「お金ですか?」

「そう。でも他にもある。政治的な力とでも言おうか」

 如月との会話を思い出し、豊は暗澹たる気持ちになった。業界に蔓延(はびこ)るパワーバランスは、たかが選手の力ではどうにもならないのか。

「荒川ジムに居続けたいと、僕が考えるとどうなります?世界に挑戦できませんか?」

「どうかな?チャンスはないとは言えないけど。結局はボクシングもビジネスだから。ましてや世界戦ともなると、莫大なお金が動くからね」

「厳しいですね…」

 豊は悲しくなった。そして、今にも潰れてしまいそうなこのジムが、無性に愛おしく思えた。

 その日の帰り道、豊は沈んだ気持ちで夜の街を歩いていた。練習後に、

「オヤジの会社も長くない」

 と、小倉に教えられたのだ。荒川運送の主要取引先であるホームセンターが、同業他社と合併することが決定した。それを見越して、荒川は娘婿の社長と対策を練っていたが、それも焼け石に水だと小倉は言う。

「俺たちも去就を考えないとな…」

 小倉は寂しそうに呟いた。荒川運送がなくなれば、当然ジムも潰れてしまうだろう。そんな状況の中、無力な自分がたまらなく悔しかった。そして、ジムがなくなることを想定している小倉の態度も気に入らなかった。

 中学二年で入会して以来、荒川は豊から月謝を一度も受け取っていない。出世払いでいいと言うが、間違いなく孤児(みなしご)の彼に気を遣ってくれたのだ。プロボクサーになれたのも、荒川がいてこそだ。なんとか、その恩に報いることはできないものか。

「オオー!」

 豊は夜空に向かって叫んだ。やり場のない怒りをぶつけるように。そして、彼は決心した。

「俺が会長を助ける…」

 荒川ジム所属のまま世界を目指すのだ。

「何が政治的な力だ…」

 大人の都合に振り回されてたまるか。

「俺は生涯、荒川ジムのボクサーだ!」

 もう一度豊は叫んだ。だが、その叫びもむなしく、翌日荒川から会社をたたむと宣告された。


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