表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
21/55

第二章 9

 豊が意識を取り戻したのは、寝かされていた控室のベンチだった。小倉たちの心配そうな顔が映る。

「よくやったぞ」

 小倉の声に反応するように、豊は起き上がった。

「大丈夫か?まだ横になってた方が…」

 荒川が豊の身体を支える。

「大丈夫です。それより如月は?」

「病院に運ばれたらしい」

 小倉が短く答えた。

「そうですか…」

 どっちが勝ってもノーサイド。そう約束していた如月に対し、友情らしきものが豊の中に芽生えていた。

「梓ったら、試合中ずっと泣いてたんだよ。豊君死んじゃうって」

 そんな舞の言葉通り、梓の目は真っ赤に腫れていた。

「だって、あんなに殴られてたんだもん…」

「如月は、スパーリングの時よりも格段に強くなっていた。本当によく頑張った」

 と言い、小倉は豊の顔を引き寄せた。

「今日の勝利は威張っていいぞ」

 小倉の腕に抱かれた豊が照れる。これほど小倉に褒められるのは初めてだった。

「豊、記者さんが外で待ってるんだ」

 荒川が嬉しそうな顔で言った。如月に与えられていた〝ボクシング界期待の新星〟の称号は、今日の結果で豊にスライドすると予想される。

「凄いね」

 豊の存在が遠くなるような気がして、梓は複雑な心境だった。

「会長、明日ジムで話すから断ってくれ。豊、ゆっくり休むんだぞ」

「はい」

 小倉に言われるまでもなく、豊もそうしたかった。頭の中に霞みがかっているようだ。いったい、どれほどパンチをもらったのだろうか。とにかく、今はひたすら眠りたかった。

 荒川が奮発してタクシーを呼び、それに乗って豊は梓と帰宅した。


 午後7時40分。リングではメインイベントが始まっていた。FSG所属ミニマム級の高嶋(たかしま)と、東洋太平洋ランカーの外国人選手との10回戦。豊と如月の試合では満員だった客席も、今は七割に満たない入りだった。

「あんな試合をされてしまったあとでは、どうにも盛り上がりに欠けますね」

 そんな他人事(ひとごと)のような北原の口ぶりが、藤崎を不機嫌にさせた。

「君は気楽でいいよ。ただ選手のコーチをしていればいいんだからな。私はそういうわけにはいかない。経営者としての立場がある。プロモーターとしてもFSGはトップにいなきゃならんのだ」

「そうですね…」

 と、神妙な顔で頷いたが、心の中で北原は嘲笑っていた。彼は、如月は被害者だったと思っている。藤崎に仕組まれたマッチメイクの犠牲になったと言ってもいい。ある程度キャリアを積んだ上での対戦なら、どういう結末になっていただろうか。

「ともあれ、米崎のパンチ力は認めざるを得ないだろう。日本人には少ないタイプだ」

「また刺客を送りますか?」

 北原の皮肉たっぷりの言葉に、藤崎はほくそ笑んだ。

「私はプロモーターだよ。利益にならんことはしない主義だ」

 藤崎の魂胆は察しがつく。今度は豊の引き抜きを画策しているのだ。だが、北原は反対だった。彼は、FSGの利益追求より業界全体の底上げを望んでいる。金本を脅かす存在となってくれた方が、ボクシング界に活気が出て盛り上がりを見せてくれるに違いない。


 翌日の午後、関東スポーツの渋谷が荒川ジムを訪れ、ストレッチをしている豊に声をかけた。

「もう傷は大丈夫なのかい?」

「大丈夫じゃないですよ。いいように殴られましたからね」

 アザと絆創膏だらけの顔が、昨日の激戦を物語っている。

「でも、素晴らしい試合だったね」

「いえ…」

 結果こそ良かったが、負ったダメージを考えると、豊は素直に喜べなかった。

「初めて、ボクシングの神髄に触れたような気がします」

「今までは、傷ひとつ負うことなく勝ち上がってきたからね」

「それは、たまたま運が良かっただけだと、昨日の試合で思い知らされました」

 如月との試合を振り返りながら話す豊の顔は、会話をするだけでも激痛が走る。まさに満身創痍だった。

「自惚れていたわけじゃないけど、こんなに傷だらけになる自分を想像したことはなかったんです。如月君にもう少し重さがあったら、あっさりノックアウトされていたでしょう。俺は賭けに勝っただけで、試合に勝ったんじゃない。だから、もっと腕を磨いて、もう一度彼とグローブを交えたいと思っています」

 そう言って、豊は拳を強く握りしめた。

「まるで敗者のような口ぶりだね」

「如月君だって負けたとは思ってないはずです」

「その如月君なんだが…」

 渋谷の歯切れが悪い。

「どうしたんですか?」

「彼、引退したよ」

「えっ!?」

 まだ18歳にもならない豊だが、これまでの人生でこの時ほど驚いたことはなかった。

「どういうことですか?」

「正式発表はまだなんだけど、昨夜病院から出てくるところを、うちの記者がつかまえたんだ」

「それで?」

「もうリングには上がらないと、きっぱり言ったそうだよ」

 と言って、渋谷は新聞を渡した。その記事を、豊は食い入るように見る。「如月わずか一戦で引退」の見出しは、試合内容より大きく扱われていた。彼自身の談話と、それを否定する木下ジムのコメントも載っている。

「彼の担当じゃないから何とも言えないけど、感情に任せての発言でもないらしい」

「そんな…」

 豊は新聞を開いたまま目をつぶった。


「嘘だろ…」

 好敵手(ライバル)との出会いに、胸が躍るような喜びを感じていたのだ。それは束の間の喜びだったのか。

「渋谷さん、あいつ今どこにいるんですか?」

「ジムで話し合いをしてると思うけど」

「そんな簡単にやめられてたまるかよ!」

 豊は、怒鳴りながらジムを飛び出した。

「簡単じゃないよ」

 ジムの前に如月が立っていて、またも豊は驚かされる。

 続いてジムから出てきた渋谷に、如月は二人にしてほしいと頼んだ。

「米崎君、少し歩こうよ」

 包帯で大半は隠れてはいるが、如月の顔は意外なほど明るかった。

 二人は、豊のランニングコースである、河原を沿う遊歩道へ向かった。早春の陽射しがまばゆいアスファルトの上を、二人は黙ったまま歩き続ける。すれ違う母娘(おやこ)が、二人を見て後退(あとずさ)りした。喧嘩の直後とでも勘違いしたのだろう。それほど、二人の顔は腫れ上がっていた。

 沈黙を破ったのは如月だった。

「傷だらけの男二人が並んでると、気持ち悪がられるかな?でも、俺より君の顔の方がひどいよな」

 そう言って、如月は草むらに腰を下ろした。

「俺は一発しか入れてないからね」

 豊も横に座る。

「でも、その一発で頬骨にヒビが入ったんだよ」

 如月は、包帯が巻かれた顔を指差した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ