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3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
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第一章 2


 駅を出た豊と梓は、秋風が吹き抜ける通りを北へ歩いていた。会話らしい会話がないのは、互いに気まずさを感じているせいだろう。そんな中、梓が尋ねる。

「家に帰るの?」

「住み込みの仕事を辞めちゃったから、今日から職探しと住むトコ探し」

「どうして辞めたの?」

「トレーニングの時間が取れなくて。待遇は悪くなかったし、いい人ばっかりだったんだけどね」

「あてはあるの?」

 いざ話し始めると、梓の質問が止まらない。

「寝る所はどこでもいいんだよね。ネットカフェでもいいし、最悪野宿でも。けど、仕事がね。17歳で保証人もいないから。それに、働ければ何だっていいわけでもなくて。トレーニングを優先するために辞めたからさ」

 と言って、豊はシャドウボクシングをした。それからもしばらく一緒に歩いていたが、いくつめかの交差点に差しかかった所で梓が立ち止まった。

「私の家はあっちなの」

「そっか。じゃあ、ここでお別れだね」

 豊は微笑んだ。

「豊君は?」

「この先の公園に、日雇労働者の手配師がいるらしいんだ。そこで話を聞いてみようと思って」

「そういうのって良くないんじゃない?やめた方がいいと思うな」

「けど、選んでもいられないから」

「でも…」

 梓は名残惜しそうな顔で、豊を見つめる。

「俺なら大丈夫。それより、子供が風邪ひいちゃうから早く家に帰らないと」

 豊は笑顔を絶やさなかった。その笑顔に彼女の心は揺さぶられる。

「ねえ、うちに来ない?」

「えっ?」

「とりあえず、うちに来て!」

 そう言うやいなや、梓は豊の腕をつかみ強引に歩き出した。


「ここよ。ここの二階」

 お世話にも綺麗とは言えない集合住宅を梓は指差した。

「うん…」

 言われるがままについてきたが、決して豊は乗り気ではなかった。梓が断る隙を与えなかったのだ。彼女を追うように階段を上る。錆びた鉄骨のきしむ音が、建物の築年数を感じさせた。

「そんなに広くはないけど、野宿よりはいいと思うんだよね」

「いや、やっぱりまずいよ」

「何が?」

「俺、女の人と付き合ったことがないんだ。それなのに、いきなり同棲なんて…」

「バカね」

 梓は笑い出した。

「同棲じゃなくて同居!ルームシェアだと思えばいいのよ」

「なるほど、同居か…」

 豊は、妙に納得した。

「ちゃんとした就職先が見つかるまでいなよ。もうすぐ冬なんだし、野宿なんて無理なんだから。さあ、どうぞ」

 梓に促され、豊は部屋に入った。外見は古かったが、室内は意外と綺麗に見えた。カーテンやじゅうたんがオレンジ色で統一されていて、彼の目に眩しく映る。

「女子の部屋は初めて?」

「うん…」

 生返事をしながら、豊は興味深く部屋中を見回す。梓は、赤ん坊を寝かせオムツを取り替えていた。ふと、干されているパンティが豊の視界に飛び込んだ。思春期の少年に、色とりどりのパンティは刺激が強すぎ、彼は息苦しさを感じた。

「ごめん、忘れてた…」

 梓は、慌てて洗濯物を片づけた。豊は赤面しながら大きく深呼吸をする。

「とりあえず適当に座っててよ。飲み物持ってくるね」

 豊は、赤ん坊が寝かされているベッドに腰かけた。


「この子のお父さんは?」

 いないという前提で豊は尋ねた。もしいるのなら、捨てようと考えたりはしないだろう。

「聞きたい?」

「いや、言いたくないなら…」

 と、豊は答えたが、梓は喋り始めた。

「この子が生まれる二ヶ月前に、突然いなくなったの。理由も言わずにね。子供が生まれたら籍入れようなんて話もしてたんだけど… そいつが消えた時には、もう中絶もできない時期だったし… その日からずっと悩んでたんだ。一人で育てる自信もないし、何で私だけがこんな辛い思いしなきゃって…」

 目に涙をため、梓は更に続ける。

家出いえでしてるから、親にも頼れなくて… 貯金も底を尽きたし、赤ちゃんいたら仕事もできないし…」

 聞いている豊も、もらい泣きをしそうになっていた。聞かなければよかったと後悔もしている。そんな彼を見て、梓は涙を拭い笑顔を作った。

「でも、もう大丈夫!君のおかげで立ち直れそうだし!たがら、そんな顔しないでよね」

 豊は恥ずかしくなった。慰めなきゃいけないのは自分の方ではないか。


「そうだ!」

 突然、梓が大きな声を出し手を叩いた。

「私、夜の仕事してるんだ。ずっと休んでたんだけど、豊君が夜家にいてくれて、この子の面倒見てくれたら働きに出れるよね?」

「い、いや…」

 豊は戸惑う。

「困るよ。赤ちゃんの世話なんかしたこともないし」

「大丈夫!私だって初めてだけど、どうにかなってるもん」

「いや、そういう問題じゃなく…」

 豊は必死に抵抗した。だが、梓もしぶとい。

「その代わり、君の世話は私がしてあげるからさ!ご飯とか洗濯とか。ねっ、悪くない提案でしょ?」

「うーん…」

 豊は腕組みをして考えた。と言うのも、彼はデビュー戦に向けて、自分を極限まで追い込もうとしていたからだ。

 新聞販売店を辞めた理由もそこにある。主人の家族からも可愛がられ、居心地も悪くなかった。だが、その居心地の良さが、ボクサーにはマイナスになると豊は考えていた。そして、意志を貫いた。プロボクサーになろうと決意した13歳の時から、彼は徹底して自分への甘えを排除している。

 中学卒業時、奨学金などを利用して高校に進学する選択肢もあったし、働きながら定時制に通うという方法もあった。だが、豊はすべての退路を断ち、独りで生きる道を選んだのだ。孤児みなしごの彼にはコンプレックスもあった。だからこそ、他人の庇護下で生きている現実が嫌で施設を出たのだ。だが、ここで彼は新たな選択を迫られている。梓の提案は、孤独の中で精神を研ぎ澄ましたい、そんな環境とは正反対の生活になるだろう。

「ダメかな?」

 梓が悲しそうな顔で豊を見た。

「いや、そんなことないよ」

 豊は断れなかった。ここで断るくらいなら、駅で放っておけばよかったし、この部屋に来なければよかったのだ。

「トレーニングに行ってもいい?」

「うん、晩御飯作って待ってるね」

 梓に見送られ、豊は走り出した。彼が描く十七歳の地図に、これからどんな道が刻まれるのだろうか。


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