表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3745チャンピオン  作者: 異邦人マリコ
14/55

第二章 2

 試合を明日に控えた夜、豊は夢を見た。それは子供の頃から、たまに見る夢だった。

 リビングに食卓テーブルがあり、幼い豊がご飯を食べている。正面では父親が新聞を広げていて、母親が豊におかわりのスープを運んでくる。いつも、このシーンが彼のスクリーンに映し出された。だが、両親の顔には影がかかっていた。どうにかして二人の顔を確かめようとするのだが、その前に目が覚めて現実に引き戻されるのだ。

 この日もそうだった。うなされて目覚めると、そこに心配そうな梓の顔があった。

「大丈夫?唸ってたけど?」

「うん… ちょっと夢を見てた…」

 豊は目を(しばたた)いた。

「夢?」

「うん…」

 身を起こした豊は、手の甲で額の汗を拭った。

「怖い夢とか?」

 梓の不安は、まだ消えていなかった。それだけ豊の唸り声がショッキングだったのだろう。

「本当に大丈夫。顔洗ってくるよ」

 もう窓から朝陽が射している。豊は冷たい水で顔を洗った。

「あの夢は俺の願望なのか…?」

 タオルで顔を拭いながら彼は思った。

 中学生の時、図書館で夢占いに関する本を読み漁ったことがあった。占いなどは信じない性分だが、夢を見る理由を解明したかったからだ。しかし、何もわからずじまいに終わった。毎晩見るわけでもなく、何日か経てば忘れてしまうのだが、この夢を見た朝は決まって目覚めが悪い。

「よりによって試合の日に…」

 そう呟き、豊はまた布団に潜った。


「先日はありがとうございました!」

 試合会場の廊下で、小倉は関東スポーツの渋谷に呼び止められた。

「彼の記事、反響が大きかったんですよ」

「そのようですね。ジムの見学者も増えました」

 豊の記事が出てから、来客のない日はないほどである。当初は、今のうちだけだろうと思っていたが、一ヶ月が過ぎても減らないどころか、むしろ増えている感じさえあった。

「チケットもさばけて助かってます」

 豊のファイトマネーは、現金ではなく興行のチケットで支払われている。つまり、そのチケットが売れないとジムの収入にならないのだ。

「米崎君は?」

「控室にいます。呼んできましょうか?」

「いえ、こちらから伺います。しかし、今日は少し厄介な相手じゃないですか?」

 渋谷の問いかけに、小倉はいやらしい笑みを浮かべた。

「連勝が止まるかもしれませんよ」

「作戦は?」

「ありません。それどころか、豊は今日の対戦相手の情報を一切知りません」

「小倉さん…」

 渋谷の顔が曇る。

「いえ、これも親心です。今まで楽をして勝ち続けてるので、ここらで一度つまずくのも薬かと思いまして」

「つまずきますか?」

「どうでしょうね。私も楽しみにしてるんですが…」

 小倉にもわからなかった。試練を与えながらも、あっさり勝ってほしいという思いもある。どちらも彼の本心だった。


 試合が始まった。

「やりにくい…」

 開始早々、対戦相手の水野に豊は困惑していた。スピードもパンチの威力も、特別目を見張るものはない。だが、フットワークをはじめとして、何もかもが少しずつ変則的なのだ。そして、好んで接近戦を仕掛けてくる。ジャブとボディを多用し、少しでも劣勢になるとクリンチにもつれ込む戦法を続けていた。ダメージはないが、豊は心理的に揺さぶられている。そして、まだ一発もパンチを撃っていなかった。

「クリンチも技術のうちだぞ…」

 リング下の小倉は、厳しい視線を送っていた。

 二分過ぎ、ようやく豊が仕掛けた。右フックだ。それを水野はかわしボディを狙う。クリンチは勘弁とばかりに、豊が退()いたその時だった。水野が右フックを放った。

「きた…!」

 豊は心の中で叫んだ。彼が得意とする左ストレートを見舞う絶好のチャンスだった。だが、水野の右フックをかわした瞬間、豊の鼻に肘が炸裂した。鼻血が噴き出しロープにもたれかかった。

「レフェリー!肘だ!反則だ!」

 小倉が叫ぶ。レフェリーが訴えを認め、豊に治療の時間が与えられた。

「大丈夫か?」

 荒川が、豊の鼻に脱脂綿を詰めた。

「はい」

 鼻腔いっぱいに不愉快な匂いが広がっているが、こんなことで棄権するわけにはいかない。

「よし、出血は止めたぞ」

 小倉は豊の肩を叩いた。その振動で鼻っ柱に痛みが走った。


 水野がファールの謝罪をし、試合が再開された。先程と似たような展開になり、水野は豊の懐に入り込む。傷めている鼻をジャブで攻める気だろうと推理した豊は、正面のガードを固める。ところが、意に反し水野はフックを放ってきた。多少慌てたものの、余裕を持って回避したが、その時またも水野の肘が豊を襲った。だが、今度は間一髪、左のグローブでその肘を受け止めた。

「故意なのか…?」

 豊の頭に疑惑が芽生えた。1ラウンドも残り三十秒、水野はまたも同じ戦法できた。

「そうはさせるか…」

 豊は上半身を沈めた。そして、左フックを狙った水野の腹に、強烈なボディを叩き込み、続けざまに右フック、左ストレートを決め、KOで勝利を収めた。

 勝ち名乗りを上げる豊に、小倉がタオルをかけた。

「ムエタイとの異種格闘技戦はどうだった?」

「ムエタイ?あの人、ムエタイの選手だったんですか?」

「元な。やりにくかっただろう?」

 と言って、小倉はニヤニヤしている。

「そういうことは、前もって教えてくださいよ」

 豊は呆れながらも、歓声に応えるべく四方に礼をした。勝者に手向けられる拍手の音量も、勝ち続ける度に大きくなっている気がする。それは、嬉しくもあり、くすぐったくもある、勝利者だけが浴びることが許される祝福のシャワーだった。

「ムエタイは肘も認められている。今日がデビュー戦だし、本能で思わず出てしまったのかもしれないな。痛むか?」

 控室に戻る途中、小倉が聞いた。

「はい、かなり痛いです」

 豊は、皮肉混じりに答えた。彼の鼻に詰められた脱脂綿は、血が滴るほど真っ赤に染まっていた。


 客席には、豊の試合に注目していた二人の男がいた。FSG会長の藤崎とトレーナーの北原である。試合後も、二人は豊の話題を続けていた。

「広瀬をKOしたのは、フロックじゃないということか」

「私の見立てでは、広瀬は8回戦クラスの実力はありましたよ」

「と言うことは…?」

「米崎も同等、あるいはそれ以上かと」

「うむ…」

 藤崎は、北原の眼力を信頼している。金本をスカウトしてきたのも彼なのだ。

「信じられん。あんなバラック小屋みたいなジムから…」

「うちのような大手に勝つボクサーが出たことでしょうか?」

 北原は藤崎の言葉を遮り、そして代弁した。

 藤崎は口をつぐんだ。北原はオーナーの彼に対し、いつも斜に構えた態度を取る。それが気に入らないが、北原ほど有能なトレーナーはいないため、たいていの場合は藤崎が折れざるを得なかった。

「人気もあるそうじゃないか」

「結構なことじゃないですか。ミーハーが増えると業界全体が活性化しますから」

「ふん…」

 藤崎はますます面白くない。本来なら、新聞で特集されるのはFSGの広瀬だったのだ。

「広瀬じゃここまで騒がれませんよ。彼の方がはながありますからね。何と言ってもルックスがいい」

 北原は、豊のスター性を高く買っている。だからこそ、よその選手ながらアドバイスをしているのだ。

「金本にも、もっとインタビューの練習をさせるんだな。マスコミへの愛想も教えてやらないと、銭の取れる選手にならん」

 藤崎は真顔で言った。FSGが売り出し中の金本は、マスコミ受けが良くなかった。


「はい、これ!」

 控室に来た梓が、豊に封筒を渡した。

「何?」

「えっ、どうしたの?その鼻?」

 鼻に絆創膏を貼った豊の顔に、梓は吹き出しそうになった。

「笑うなよ」

「いいから!早く、それ開けてよ!」

 豊が封を切る。中身はファンレターだった。

「凄いな。俺なんか一度ももらったことないぞ。女の子か?」

 小倉が冷やかし気味に聞いた。

「それが、高校生くらいの男の子なんです」

「男かよ」

 そう言って、小倉は大笑いした。

「何て書いてあるんだよ?」

「駄目です。家に帰ってから、こっそり読みます」

 豊は、大切そうに手紙をバッグにしまった。初めてもらったファンレターは、彼にとって想像以上に嬉しいものだった。

 今日の勝利で、豊は4回戦を卒業となった。それも全試合1ラウンド以内でのKO勝ちである。彼は、この日確信した。

「俺はこのまま目標に向かって突き進める…」

 と。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ