第一章 12
「スポーツ新聞の取材?結構じゃないか」
小倉ならそう言うだろうと、豊は予想していた。プロと名がつく以上、人気商売である。客がいなければ興行は成立しないと、いつも言っているからだ。
「元ボクサーがテレビで活躍してるだろ?賛否両論あるが、タレントとして成功しているボクサーは、現役時代から魅せることにこだわっていたよ。だから、視聴者に要求されているものがわかるんじゃないかな?プロボクサーが強いのは当たり前なんだよ。でも、それだけでは本物のプロとは言えないのさ」
もちろん、小倉の理論には強さという大前提がある。いくらスター性があろうと、実力がなければ論外だ。
翌日の夕方、関東スポーツの渋谷がカメラマンを携えてジムに現れた。断られるとは考えていなかったのだろう。練習中の豊に代わり小倉が対応する。そして、一通りメニューをこなした豊がインタビューを受けた。
「まずは、ボクサーになろうと思ったきっかけを」
「あるプロボクサーの自伝です。外国の選手ですが」
「それはいつ頃?」
「13歳の時です。それまでスポーツをしたことがなかったので、二年間独りで身体を鍛え、15歳になって荒川ジムに入門しました」
豊は、緊張の面持ちで丁寧に答える。しかし、元来話すのは得意ではなく、極度の人見知りも手伝って、盛り上がる内容にはならなかった。
「目標のボクサーは?」
「特には…」
「では、来年の抱負なんかは?」
「それも特に…」
渋谷は苦笑した。一番威勢のいい答えが欲しい質問なのだ。
「じゃあ将来の夢を」
この問いかけには、隣で聞いている小倉も注目した。
「そうですね… やっぱり世界チャンピオンに挑戦したいです。すみません、つまらない答えばっかりで」
「そんなことありませんよ」
と、渋谷は言うが、これじゃ記事にするのも一苦労だろうと小倉は同情した。
「大丈夫ですよ。期待のホープ特集ですから、初々しい方が読者受けすると思います」
その後、写真撮影を終え渋谷たちは帰った。
「初々しいか…」
小倉は、豊をそう見ていない。以前から感じていることだが、変に大人びていると思っていた。ボクシングへの姿勢、練習意欲などは申し分ない。しかし、何かが足りない気がしてならない。そして、その何かがわかれば、豊は更に飛躍するような気がしていた。
次の試合が来月に決まり、豊のトレーニングにも熱が入る。小倉が調べたところ、広瀬ほど警戒する選手ではなさそうだった。
「もう4回戦に敵はいない。これからは、もっと上で戦うためのトレーニングをする」
と、小倉は豊に告げた。初めて会った時から素質を見抜いていたつもりだったが、FSGの北原が警戒していることが、彼の確信をより深めていた。
「大晦日と三が日は休みにするが、身体は適度に動かしておけ」
そう言われて、豊は正月が近いことを思い出した。
練習後、豊は荒川に呼び止められた。
「正月はどうするんだ?」
「特に…」
何も考えていなかった。施設では、年越しそばと元日の雑煮くらいは出たが、他は普通の日と変わらなかった。新聞販売店に就職してからも、元日には新聞が発行されるので早朝から働いていた。
「うちで年越しをしないか?梓ちゃんも連れて」
「ありがとうございます。帰ったら聞いてみます」
家に帰り梓に話すと、豊が思っていた以上に喜んだ。
「ホントに!?私も行っていいの?」
「もちろん。拳都もね」
「楽しみだなあ」
梓は賑やかなことが好きな女だ。飲み屋で働くのも、そういう理由だと言う。豊も決して暗い性格ではないが、一人で静かにしているのが好きな方なので、彼女とは正反対である。
12月31日、二人は拳都を連れて荒川家に向かった。
「ホントに手ぶらでいいのかな?」
梓が心配する。
「うん。余計な気遣いはするなって」
「じゃあ、お孫さんに何か買っていこうかな」
「香織さんいないよ。旦那さんの実家に行くって」
「小倉さんたちは?」
「小倉さんもいないんだ。両方の実家のハシゴだって言ってた」
荒川夫妻は、豊たちを歓迎してくれた。特に拳都は、すぐに老夫婦の間で引っ張り凧になる。
「来て良かった…」
梓は、拳都を抱いて喜ぶ二人を見て、自分の実家に帰ってきたような錯覚に陥った。
のんびりとした時間の経過に、豊も心地好さを感じている。炬燵を囲み、紅白を見ながらご馳走を食べる。初めて体感する大晦日の団らんに、若干のむず痒さを覚えながら、家族というものへの憧憬をより深くしていた。
日付が変わり2010年を迎えると、豊は梓と近くの神社に出かけた。初詣も豊にとって初体験だった。午前1時、小さな神社の境内は多くの参拝客で賑わっていた。
賽銭を投げ、手を合わせる豊に梓が尋ねる。
「何をお願いしたの?」
「怪我と病気をしないようにって」
「なんだ…」
「なんだって何だよ?」
「もっと大きな願い事かと思って。例えば世界チャンピオンになれますようにとかさ」
「神様にお願いしてなれるなら苦労しないよ。それより梓は?」
「秘密!」
梓はむすっとして答えた。大人びた態度の豊が、時々彼女の癪に触る。
二人はおみくじを買い、荒川の家に戻った。その途中で、豊が改まって梓に言う。
「今は世話になりっぱなしだけど、いつか必ずこの恩は返すから」
「何よ、急に…?」
「すごく感謝してるんだよ。梓のおかげで、順調にやっていけてるから」
「それはお互い様って、いつも言ってんじゃん」
「俺も今年で18になる。今は、たまに荒川運送の助手をやる程度だけど、もっと稼げる仕事見つけて…」
「見つけてどうするの?」
梓は立ち止まった。
「梓だってやりたいことあるでしょ?学校に行き直したいって」
「そうだけど…」
「そうなったら、夜の仕事なんかできなくなるんだよ。俺も稼がないと」
梓は4月から、美容学校への再入学を考えていた。豊のひたむきな姿に、自分の生き方を変えようと思い立ったのだ。ただ、学校へ通うと当然学費が必要になるので、水商売は続けるつもりだった。
「無理だよ。朝まで酒飲んで、学校になんて行けっこないよ。せめて酒を飲まなくていい仕事にしなよ」
でも、そうすると収入が下がる。
「梓は贅沢が沁みついちゃってるから、俺みたいな考え方は無理なのかもね」
最低限の衣食住、それさえあればいいと思う豊には、彼女の生活がすこぶる贅沢に映る。住んでいる所こそ安アパートだが、着る物や化粧品には結構な金を注ぎ込んでいた。
「俺の考え方が変なのかもしれないけど…」
以前、物欲のなさを小倉に指摘されたことがあり、豊は思い出し笑いをしたが、
「何言ってんのよ。ボクシングの世界チャンピオンこそ究極の欲なんじゃないの?」
と、梓に突っ込まれ、何も言い返せなかった。まさにその通りだ。何と自分は欲深な人間なのだろう。そう思うと、豊は再度笑うしかなかった。




