第4話 一年目8月のこと
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あの爆発事故の治療行為があってから、数日は夜眠るとあの喧騒や血の匂い、熟れた傷に苦しむ人の顔が浮かんで夜中に目が覚めることが続いた。自分で思っていたよりも精神的にキていたらしい。
そんな時は、女性神官の方が寝つきの良くなるハーブティーを淹れてくれたり、心が落ち着く香を焚いてくれたり、また神官見習いの女の子達が添い寝をしてくれたりと、こそばゆくも暖かな幸せを噛み締めることができた。
幸いにもあの事故で亡くなられた方や、重い後遺症や傷跡が残った方がいなかったという報せにも、ほっと胸を撫で下ろした。
それからしばらくはイベントはなく、またパラメーターを上げる日々が続くのだけど、日常行動の選択によってたまに聖騎士達と出会ったりする。
“掃除”や“散歩”の時に出会う聖騎士はランダムだけど、“治癒院の手伝い”では聖位8位ヤエル・カルサイト卿や聖位9位のラシュディ・ジプサム卿に会える。
また“孤児院の手伝い”では、聖位3位のサティヤ・トパーズ卿や聖位4位のタクシス・クォーツ卿に。
“図書室”では聖位2位カーライル・コランダム卿と聖位6位ハイム・アパタイト卿、“鍛練”では聖位3位のサティヤ・トパーズ卿や聖位10位のワーズ・タルク卿に会うことができるのだ。
残りの聖位1位・5位・7位は特定の条件を満たさないと出てこない隠しキャラというやつである。
パラメーターを上げるための行動で時々聖騎士達に会うけれど、目が合えば目礼するくらいで話しかけることはない。
それよりも大聖堂での生活にすっかり慣れた現在、パラ上げが楽しくて仕方がない。
もちろん数値自体は見えないけれど、ゲームをしていた時の記憶を思い出して、適当に数値を自分で紙に記録してみている。といっても一回の行動で上がる数値を1として、それを目標に合わせて割り振れるように日々の行動を決めているだけなのだけれど。
自分の評判などは分からないが、魔力量や魔力の質は確実に上がっているのが実感できるのでせっせとパラ上げに励んでしまうのだ。
ぽっかりと大きな月が浮かぶ穏やかな夜。遠くから小さく喧騒や音楽が聞こえてくる。
夏真っ盛りである8月の今日は王都で大きな祭りが行なわれる日だ。大通りを煌々と飾り付け、たくさんの出店が連なり、広場では様々な出し物が行なわれている。
ゲーム内では、この日はヒロインが気になる聖騎士を誘ってお祭りに出かけ、仲を深めることができるイベントの日だ。好感度が低ければ断られることもあるけど、この日は大体の聖騎士が祭りに付き合ってくれる。
王都全体を使っていると言っても過言ではないほどあちこちに店が並び、演劇や演奏会などの催しものも行われる年に一回の盛大なお祭りは、王都民全員が楽しみにしている。
大神殿内でも、神殿の警備はいつも通り厳重になされているが、職員や神官は必要最小限を残して皆祭りに出かけていった。
騒がしいわけではないけれどやはり人が多く詰めているので、普段の大神殿内は何だかんだと賑やかだ。それに比べて今は木々のざわめきや虫の音が大きく聞こえるほど静まり返っている。
自分以外は誰もいないのではと思うほどに、人に会うことなく私は中庭の東屋にやって来ていた。手には実家から送ってもらった高級なワインや、こっそり厨房で作ってきたおつまみが入った籠。
お祭りは楽しそうだけど、男も多い人混みに行く気にはならず、気をつかってくれた女性神官さん達や神官見習い達の誘いを断って私は神殿に残った。
私を気にして出かけるのを渋る神官見習いの子達には多めのおこずかいを渡し、何か美味しいお菓子があったらお土産に買ってきてほしいと頼んである。皆伸び伸びと楽しんでいてくれたらいいと思う。
月夜に浮かび上がる白く繊細な柱に囲まれた、十人は集まれそうな大きな東屋。その石造りのテーブルに籠を置き、中身を並べていく。椅子も石で硬いけれど、ひんやりとした冷たさが心地よい。
祭りの雰囲気をゆったりと味わっていたかったので、つまみはナッツや生ハムに加え、お腹に溜まる二種類のカナッペや瓶に詰めたきのこのマリネ、カボチャとクリームチーズのサラダ、甘いものが欲しくなった時にはドライフルーツと多めに用意してある。
ふふふ美味しいワインを味わいながら、まったりとした一人きりの時間を楽しむのだ。
ワイングラスを出して赤いワインをなみなみと注ぐ。それを夜空に向かって掲げ、ゆっくりと揺らして口に近づける。ああ贅沢なひと時。
「クラウディア様」
突然かけられた男の声に含んだワインを吐き出しそうになって、慌てて飲み込む。噴き出すとか盛大に咽るといった醜態をさらさなくて良かった。
いや別に神殿内での飲酒が禁止されているわけではないのだけど、何となく人前でぱかぱか酒を飲むのは私のイメージ戦略とは違う気がして、飲みたくなった時は部屋で密かに飲むようにしていた。
平静を装いながらゆっくりワイングラスをテーブルに置いて、声の方に顔を向ける。
そこに立っていた人物に、思わず「は?」と間の抜けた声を上げそうになった。
月明かりに淡く光るような白金の長い髪を緩い三つ編みにして肩に垂らし、足首までの長さがある真っ白な聖騎士の制服を身に纏う。その精巧な人形のように整った容姿は女性めいて繊細で、光の加減で金色にも見える琥珀色の瞳は神秘的で目を奪われずにはいられない。
その圧倒的な美貌はともすれば女性にも見えるのに、高い身長と理想的な筋肉のついた体、隙のない物腰はしっかりとした成人男性なのだと分かる。
それは隠しキャラも含めて九人の攻略対象とラブラブハッピーエンディング☆(公式)を迎えないと登場しないはずのキャラ、不動の聖位1位アウロラ・ダイヤモンド卿だった。
え、いやいや嘘でしょ、何でダイヤモンド卿がここに!!? というか大神殿内にいたの!? いつから!?
確かにゲームではないのだから一人ずつ攻略対象を攻略しながら何週もするなんて出来ないし、ダイヤモンド卿も聖騎士なのだから大神殿内で生活していてもおかしくはない。
けれど、今までその姿を見たこともなかったし、最初の聖騎士達との顔合わせにもいなかったから、隠しキャラなので最後まで出てこないものだと思い込んでいた。
あれ、これは他の隠しキャラ二人も大神殿内にいるのでは。
ダイヤモンド卿が隠しキャラなのは、実は彼が人ではなくこの国の守護精霊だからである。
この国ができる前、彼には気に入った聖女がいた。その女性が建国王と恋に落ち結婚して王妃になったため、彼女の愛する国を守ろうと守護者になったのが始まりだ。
その聖女が存命中は傍で護衛をしていたけど、彼女が亡くなってからは神殿に属し、以来聖位1位の聖騎士としてずっと歴代聖女を見守っているらしい。
その事実を知っているのは代々の国王と、大神殿トップの神殿長だけとか。
ちなみに、一人の人がずっと同じ姿でいれば不審に思う人も出てきそうだけど、そこを不思議に思わせないように人々の意識を操っているあたり、彼の持つ力の大きさを感じて震える。
乙女ゲームでは、ヒロインとラブラブハッピーエンディング☆(公式)を迎えると、その正体を明かしてくれるのだ。
驚きとパニックで固まっていると、デフォルト通り淡い笑みを口元に浮かべたダイヤモンド卿が東屋へと近づいてくる。
「こんばんは。よい月夜ですね」
多くの女性が聞き惚れるような低く柔らかく響く声。さすがファン人気も上位の男、隙がない。
「こんばんは。初めてお会い致しますね」
ゲーム上ではよく知っているけど、顔を合わせるのはこれが初めてだ。すっと立ち上がってダイヤモンド卿の方へと体を向ける。
「これは失礼いたしました。私は聖位1位を与っているアウロラ・ダイヤモンドと申します」
腕を胸に当て優雅に頭を下げるダイヤモンド卿に、私も腰を落とし淑女の礼をする。
「聖女候補として滞在させて頂いております。クラウディアですわ」
さっき名前を呼ばれたし、知ってるだろうけどね。
「少しお話をさせて頂いてもよろしいでしょうか」
そう言って東屋に近づいてくるダイヤモンド卿に、ちらりとテーブルの上に視線を向けて。
「構いませんわ。けれど申し訳ありません。グラスを一つしか持って来ておりませんの」
つまり早く用件だけを告げて去ってくれないかと、そういう気持ちを込めたのだけれど。
アルカイックスマイルを浮かべたままのダイヤモンド卿は、軽やかに椅子に腰かけるとすっと手を差し出した。
僅かに冷気を感じたと思えば、パキパキと音をたててその手に小さな氷の粒が集まっていく。
次の瞬間には、ダイヤモンド卿の手には透明な氷のグラスが握られていた。
「ご相伴に与っても?」
抜け目のない男だ。あと図々しい。ついでにチートが過ぎる。
引き攣りそうになる顔をどうにかいつもの無表情に保ち、ダイヤモンド卿のグラスにもワインを注ぐ。
おつまみも傍に寄せてから、さり気なくダイヤモンド卿から遠く、でも対面するような真正面にはあたらない椅子に腰かける。
僅かに顔を向け、少しグラスを持ち上げてから口を付けた。乾杯なんてしないわよ。
「それで、どういったお話でしょう」
しばらく黙ってワインを飲んでいたけれど、いっこうに話を始めずに、ワイン片手におつまみを食べているダイヤモンド卿に痺れを切らす。
「これは美味しいですね。どちらかでお買いになられたのですか?」
言いながらも手を止めず、新たにオイルサーディンとクリームチーズを混ぜ、ブラックオリーブを乗せただけの簡単カナッペを抓んで口に運んでいる。
いやだから用件は?
「食材は実家から送ってもらいました。あとは簡単に作れるものですので」
「クラウディア様自ら作られたのですか?」
「……ええ、まあ。厨房の隅をお借りして」
どのおつまみも切って混ぜたり焼いたりしているだけなので簡単に出来る。
のんびりとした世間話のようだけど、何を聞かれていて、どう答えればいいのかひどく緊張する。
というかいくら見目が麗しくても男と長く話すのはしんどい。早く帰ってくれないだろうか。
内心うんざりしていても私は孤高の高嶺の花、隙を見せないように無表情を保ち、ダイヤモンド卿の顔――の向こうの庭木を眺める。はぁ、焦点をずらしても眩しいお顔ですこと。
そんな私にようやく顔を向けたダイヤモンド卿がグラスを静かにテーブルに置いた。
「クラウディア様は変わられましたね」
急な本題に心臓がどくりと跳ねる。
「王城や神殿などで何度かあなたをお見かけしたことがありますが、まるで別人のようだ」
視線の先のダイヤモンド卿は、ゲームと同じようにほんのりと笑みを浮かべている。その柔らかさにはそぐわない鋭い質問。
大神殿に来た当初、私の態度に動揺をみせたり訝しげにする神官達が何人もいた。それはおそらく事前にクラウディアの情報を知っていたからなのだと思う。
けれど今まで直接その疑問をぶつけに来る人はいなかった。
さり気なく顔をテーブルの方へと移す。まあいつか誰かに聞かれると思っていたので、それに対する言い訳は用意してある。
「確かに以前の私は、我が儘で傲慢、人を見下し貶して悦を得る、どうしようもない人間でしたわ」
ちらりとダイヤモンド卿の反応を窺う。口先だけでいいから否定とかフォローとかしてくれてもいいのでは。
一応以前のクラウディアの記憶もあるんだけど、前世を思い出した今の感覚では、過去のやらかしが恥ずかしくて仕方がない。どうして人様に対してあんな無茶苦茶な態度が取れたのか。
「けれどあの日。聖女候補として大神殿へ足を踏み入れた瞬間に、ぱっと視界が弾けた気がしたのですわ。そして聖女とはどうあるべきか、私の態度がいかに聖女の高潔さに反するものであるのか、頭の中に流れ込んできたのです」
ゆっくりと顔を再びダイヤモンド卿の方に向ける。かつてないほど真剣な顔で。
「きっと大聖女シルディア様のお導きだったのでしょう」
持つべきものは偉大なる先祖である。大聖女シルディア様は功績が偉大すぎて、様々な伝説をお持ちの方だ。
なのでどうしようもない子孫の更生すらやってのけてしまうかもしれない、そう思わせることの出来る存在なのだ。
私はこの言い訳をごり押ししていくつもりである。
「これまでの行いをなかったことにはできませんが、私はこれからシルディア様に叱られぬよう力を尽くしていきたいと思います」
そう言ってふっと息を吐き、顔を俯かせる。ダイヤモンド卿は顔だけを見れば淑やかな女性に見えなくもないけど、やはり男に相対して長く話すのは大変に疲れる。
これ以上は何を聞かれても、「シルディア様のおかげです」としか言わないぞ。
「なるほどそうでしたか。立ち入ったことを聞いてしまい、申し訳ありませんでした」
すっと立ち上がったダイヤモンド卿が、そつのない動きで頭を下げる。
この言い訳で納得してくれたのか、それとも本当の理由――転生云々――を話す気のない私に諦めたのか、これ以上突っ込んで聞く気はないようだ。
「大神殿に入られてからのクラウディア様の態度を、訝しむ者もいるようでしたので」
少し力を抜いたように苦笑いを浮かべる。
まあ、聖女に選ばれるために猫を被っていると疑われるのも仕方がないとは思う。急に行いが変わり過ぎているので。
「一度聖女に選ばれたとしても、その後の態度が相応しくなければ、聖女の地位をはく奪された例もいくつもあります。これから一生猫を被り続けることは難しいですわ」
顔を上げ、ほのかに困ったように笑ってみせる。
「それに、以前の私なら聖女になるためとはいえ、自分の気に食わないことは絶対にいたしませんもの」
平民に優しくするとか、他人に頭を下げるとか、清貧生活とか、以前のクラウディアだったら絶対にしないだろう。決して自分を曲げないある意味突き抜けた性格だったのだ。
そんな私の言葉にようやく腑に落ちたのか、ダイヤモンド卿はもう一度ゆっくりと頭を下げた。
「おくつろぎのところをお邪魔して申し訳ありません。どうぞ穏やかな夜を」
そう言って踵を返し、奥殿の方へと戻って行く。
真っ白な上着の裾が廊下の向こうに消えたのを見届けて、ほうと全身から力を抜いた。
ああ、一人でのんびりとお酒を楽しもうと思っていたのに、どうしてこうなった。
渇いた喉を潤すようにワインを呷る。やけくそな気持ちでおつまみに手を伸ばしてからふと気づいた。
手元に寄せていたナッツやドライフルーツ以外、多めに用意していたおつまみが全てなくなっている。
え、いつの間に全部食べたの!? というか遠慮が無さすぎでは!!?
あのひともう二度と会いたくない……! そう思ってテーブルに突っ伏した。
誤字報告ありがとうございました<(__)>