第2話 一年目4月のこと
読んで下さってありがとうございます。
「クラウディア様、お早うございます」
「お早うございます。本日もよろしくお願い致します」
おっとりと微笑みかけてくる年嵩の女性神官に、私も微笑んで頭を下げる。朝一番に女神の像の飾られている聖堂の掃除に来ていた。
聖女候補として大神殿に来てから早一月、私は思いのほか快適に過ごしていた。
狭く必要最低限な家具しか置かれていないが、清潔な一人部屋を与えられ、食事も野菜中心の質素なものだけど十分な量があり、むしろ前世の記憶が戻った身としては胃に優しく体にも良いので好ましい。
周囲にいるのは女性神官ばかりで、皆気性が穏やかで物静か。女子校時代の先輩方を思い出して教授を受けたり相談事もしやすかった。
身の回りの世話をしてくれるのは神殿に神官見習いとして来ている、6歳から10歳までの少年少女だった。
少年達に対しては前世のクソガキを思い出して身構えたけど、どの子も働き者で真面目で礼儀正しく笑顔が可愛くて、愛らしい少女達と共にすっかり虜になっている。いやもう本当に皆健気で清らかで可愛い。天使かな。
まあ、元のクラウディアならこの環境が許せず、無茶な要求をしたり暴れたり圧力をかけたりしたのだろうけど、私にとっては天国のようだ。もう一生ここで暮らす。
聖騎士と関わるような行動もとっていないので、今のところどの騎士とも挨拶ぐらいしか交わしていない。実に伸び伸びとした毎日だ。
触れ難い静謐な聖女候補を目指してのパラメーターも順調に伸びている気がする。パラメーターは見えないけれど、時々神官や天使達が褒めてくれるので。
さて、今日も早朝から魔力の質と魅力と人徳を上げるために掃除を頑張るとしますか。
そうして大聖堂の窓を磨いていると、外から軽やかな話声が聞こえてきた。
そちらを見ると、もう一人の聖女候補のヒロインが、聖騎士の一人に話しかけながらどこかへ向かって歩いて行くところだった。
そういえば、今日は月に一回王都に市が立つ日だったか。大通りに数多くのテントが張られ、王都外の行商人や他国の商人が王都では買えないような珍しい物などを売っていたりする。
聖女が大神殿外に出るときには必ず聖騎士の護衛がつくので、市の立つ日に外出するとその聖騎士と好感度があがる。好感度によってはドキドキイベントが発生したりするのだ。
この聖騎士は今の時点で一番好感度が高い人が来てくれるし、後々パラメーターが上がれば、好感度が高い順に最大三人まで護衛についてくれるようになる。ゲームではその騎士同士の掛け合いも見どころだったっけ。
ちなみに、最初の一月でそこまで聖騎士と交流できなかったとしても、元々好感度の高いキャラや好感度が上がりやすいキャラがいるので、護衛の聖騎士が誰もついて来てくれないという悲しみは無い。
ヒロインには幼馴染のお兄さんである聖騎士がいるし、このクラウディアでも大聖女シルディア様の信者である数名の聖騎士からの好感度は高い。持つべきものは偉大なる先祖である。虚しくなんてない。
ヒロインを見かけたのはこの一月で数回しかないし、話をしたのなんて大神殿に来たときに挨拶をしたときしかない。
聖女候補や神官が暮らす奥殿は広いし、一応平民嫌いだった私に気を使ってか、過去に聖女候補同士で何かあったのか、もしくは特に理由はないのか、聖女候補同士の個室は別の離れの建物内にあるからだ。
食堂や風呂などは共同だけど、活動時間が違うのかまあ会わない。
ゲーム内では何かとクラウディアがヒロインにからむシーンがあったけど、あれはクラウディアが積極的に会いに行っていたからか。こう広い奥殿内をわざわざヒロインに会うために移動していたのかと思うと、素晴らしい体力と行動力だ。動機は褒められたものではないけど。
ヒロインは桃色がかった亜麻色の髪に、大きな若草色の瞳。ぱっちりとした目は小動物のようで愛らしく、ころころと変わる表情は見る者を明るい気持ちにさせる。体も小柄でまさにヒロインらしい可愛らしさだ。
対するクラウディアは長い白銀色の髪に深い紺青色の目。すっと通った涼しげな目もとは、全体的に整い過ぎた顔立ちをさらに冷たい印象にしている。
子ども達や女性神官、治癒院に来る患者さん達に会うときは意識して微笑みを浮かべるようにしているけど、それ以外には無表情なのでどうにも近寄りがたいと感じられている様子。よしよし。
特に男と会うときなどは表情が抜け落ちている上に、死んだ魚のような目をしている自覚がある。距離は最低でも3メートルは空け、言葉も最低限だ。それ以上近づかれると手が出ちゃうからね。仕方がないね。
ヒロインがどのくらいパラメーターを上げ、誰の好感度をどの程度上げているのか、気にはなるけど知りようがない。ゲームだったらステータス画面とかで確認できたけど、この世界ではそんなシステムはないのだ。
今出かけようとしているヒロインの護衛をしているのは、ヒロインの幼馴染で聖騎士のワーズ・タルク卿のようだし。
ワーズ・タルク卿は聖位10位の聖騎士で、茶色の髪とオレンジ色の目、体格は大きくやんちゃな笑顔が可愛い18歳だ。平民出身でヒロインのご近所さん。幼い頃はよく一緒に遊んでいた、最初から好感度が高いキャラである。
ちなみに、このゲームの攻略対象の聖騎士には1~10の聖位が付けられている。これは身分は関係なく強さの順であり、年に一度行われる聖騎士同士の試合によって決まるのだ。
ただやはり貴族の方が魔法に適性が高かったり、幼い頃からしっかりとした教師がついていたりして基本的な戦闘能力が高いので、上の順位にいることが多い。
まあヒロインが誰を攻略しようと、クラウディア自身が悪事を働かなければ断罪されることはないと思う。ヒロインの自作自演とか、誰かの策略で嵌められるようなことが無ければだけど。
「クラウディア様? どうかされましたか」
つい考え込んで手が止まっていたらしい。一緒に聖堂を掃除していた女性神官の方が、首を傾げながら声を掛けてくる。
「何でもございませんわ」
笑顔でそう返し、私は掃除を再開した。
すでにヒロインとタルク卿はその場にはいなかった。
「クラウディア様!」
「ディア様~!」
その日の夕方、午後から訪れていた図書館から自室に帰る廊下で、可愛らしい二つの声に足を止めた。
振り返ると、こちらに懸命に駆けてくる二人の神官見習いの子の姿が。一人は8歳の男の子のセルトで、もう一人は5歳の女の子のユッカだ。
ちなみに、“ディア”とはクラウディアの愛称の一つで、“クラウディア”が長くて言い辛い子達にはそう呼んでもらっている。舌が回らず一生懸命呼んでくれるのが本当に可愛い。
「どうしたの?」
話しやすいように背を屈めて声を掛けると、私の前で足を止めた二人は顔を俯かせ恥ずかしそうに体を揺らす。
ちらちらと顔を見合わせながらなかなか言葉が出ない二人に首を傾げていると、「こ……これを、クラウディア様に!」とセルトが合わせた両の手を差し出してきた。
その手を覗き込むと、小さなカフスのような髪飾りが。銀色の土台に小さくて淡いピンク色の花飾りが三輪飾られたものだった。
「まあ、これは?」
その小さな髪飾りを落とさないようにそっと両の掌で受け取る。花弁が五枚の小花の塊の周りに白いレースが葉のように添えられていて、その細やかさと可愛らしさについまじまじと見つめてしまう。
「今日の市で買って来たんです! ユッカの知り合いの細工師の人が店を出してて」
「ふたりのおこずかいで買いました!」
「宝石も使ってないし、高い物じゃないんです……! ……でもクラウディア様に似合うと思って……」
話しだしたときは興奮に赤く頬を染めていたセルトが、言葉を重ねながら徐々に声が小さくなって顔を下げていく。話しながらクラウディアのもとの身分を思い出して、躊躇いが生じたのかもしれない。
確かにクラウディアが実家から持ってきたアクセサリーの中には、もっと宝石がたくさん付いたものや、有名な細工師が作った豪奢なものもある。大神殿にきてからは荷物入れから出してもいないけど。
それでも私はセルトとユッカがくれた髪飾りが嬉しくて仕方がなかった。冷たい印象のクラウディアには、似合わないかもしれない可愛らしいピンク色の花飾り。実際手持ちのアクセサリーにはピンク色のものは一つもなかった。
けれどこの子達は、クラウディアに似合うものをと懸命に選んでくれたのだ。
しかも、神官見習いは神殿で衣食住などすべてが賄われるかわりに給料など出ない。神官達や神殿の職員、参拝者等の手伝いをしたときに小遣いをもらえることもあるけれど、そう大きな金額ではない。
そうしてこつこつ貯めたお小遣いで、せっかくの市に出かけたのにわざわざ私のものを買ってきてくれるなんて……!!
あ……感動のあまり目が熱い。鼻もつんとしてきたし、あまりの尊さに呼吸も苦しい。
花飾りを潰さないように片手で包み込み、両手をいっぱいに広げて目の前の子ども達をそっと抱き寄せた。
「ク……クラウディア様……!?」
「ディア様?」
戸惑う声を上げる二人を一度ぎゅっと抱き締めて開放する。
「ありがとう。本当に可愛らしい髪飾りね。大切にしますわ」
自分でも珍しいなと感じるような満面の笑みを浮かべて、二人と目を合わせて心からのお礼を述べた。
そのまま顔の横に垂らしていた髪を束ね、贈ってもらったばかりの髪飾りをつけて見せる。顎の下辺りの位置で愛らしく咲く小さな花。……二人から見て似合っているだろうか。
「とってもお似合いです!」
「ディア様かわいい~!!」
溢れんばかりの笑顔とはしゃいだ声で褒めてくれる二人からの賛辞は何よりも嬉しかった。他の誰に何を言われようとも、私はこの髪飾りを付け続けるわ!
しかし幼子に大事なお金を使わせたことに、やはり少し胸が痛む。かといってお礼にお金を渡すのもなんだか違うし。
今度何か用事を頼んでお礼にお小遣いを渡すか、子ども達と市へ買い物に行って、好きなものをたくさん買ってあげるのもありだろうか。聖騎士の護衛はいらないのだけど、どうにかならないかなあ。
もう一度お礼を言って、一緒に夕食を食べに行こうと二人を誘って歩き出した。市の賑わいがどうだったか、どんなものが売られていたが、かわるがわる教えてくれる声に癒しを感じながら。
やっぱり一生ここに住むわ。