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ようこそ、蝶の舞う花園へ。  作者: 白鷺緋翠
第六章 あなたと、この先も。
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孤独な蝶は、旅立つ。

 私たちはそれからずっと、どこか懐かしい温室を何も言わずに眺めていた。そんな時、私はあることを思い出した。


「そういえば屋台、ずっと休んだままでした。もうすっかり季節も変わってしまいそうですよ」

「そうでしたね。せっかく作った化粧水もそのままですし、帰ったら早速働かねばいけませんね。はぁ」


 燈火さんはそう言って項垂れた。確かにこうも休みすぎると、いざ働く時の腰は重い。


「燈火さん、私やっぱりまだ怖いです」

「……」

「本当に、居場所があるのかなって。これも夢なんかじゃないかって。心のどこかでずっとそんなことを思ってるんです」


 私のそんな独り言のような言葉を燈火さんは真剣に聞いてくれている。

 この幸せが、夢の如く消えてしまったら。それが、今はとても怖い。


「では、もしここに居場所がないとしたら、どうするんですか?」

「どうするって……」

「元の世界へ帰りますか?他国へ行きますか?それとも……ふふ」


 燈火さんは何やら黒い顔をして笑う。これは、伏字が必要なことを言おうとしたんだろう。

 昔はそんなことも過ぎったのだろうが、今は違う。今は、どんな困難があっても生きていたい。そう思うようになった。

 そんなことを思っていると、私を見ていた燈火さんが急に笑いだした。何か、おかしなことでもあったのだろうか。


「そんな困らせるつもりはなかったのですけれど。けれど、もし星蘭が居場所がないと思っても、それは大きな間違いです。星蘭の居場所には、少なくとも私のいる所がありますから。なくなることはありませんよ」


 燈火さんはそう言って微笑んだ。

 私は胸が温かくなる。私の、余計な心配だった。居場所がないかもなんて、そんなの燈火さんに失礼だ。


「ありがとうございます。じゃあ、私はもう大丈夫です。今なら何だってできる気がします」


 私はそう言って胸元でガッツポーズを決める。

 不思議と、今はそんな気がしているのだ。初めて湧いてくる気持ち。自信とかそんな類、私には一生関係ないと思っていたのに。事実は小説よりも奇なりって、本当のことだったんだ。


「ふふ。今は星蘭が輝いて見えます。名残惜しいですが、そろそろ帰りますか。ここはいつでも来れますしね。早く帰って屋台の準備をしなければいけませんし」

「そうですね。あ、そうだ。また一段落したら作ってみたい物とかがたくさんあるんです。でも、その私じゃまだ、力不足で……その」

「良いですよ。手伝うくらい、師匠なんですからやらせてください。異世界の物を作り出せるのは、星蘭しかいないのですから」


 私はそんな燈火さんをとても心強く思うと、二人一緒に温かな花園を後にした。

 かつての過去に、楽園に別れを告げるように。


 研究所に帰ってくるのはそう昔のことじゃないのに、まるで何年も帰ってなかったかのように懐かしくなった。

 そういえばあの秋の日、私が勝手に傷ついてこの家を飛び出したのが最後だ。今はすっかり冷え込んで、木々を彩っていた葉はいつの間にか消え去ってしまっていた。


「そういえば萩葵がどこか寂しそうにしてましたよ。萩葵は皇国の精霊ですから、特に王子に関わったことを酷く心配してましてね」

「萩葵さんが……?」

「ええ。落ち着いたら会いに行ってやってください。また酷い言葉をかけるかもしれませんが、ただの照れ隠しですからお気になさらず」


 燈火さんはそう言って玄関の鍵を開けた。

 木の香りが全身を包み込む。皇国のあの屋敷にはこういう木の温かみがなかったから、すごく幸せな気持ちで満たされる。

 だが、すぐに違う香りが私の体を満たした。海の匂い。いや、どちらかというと魚の匂い。そして私が呆れる程に、嫌いになる程に嗅いできた匂い。


「……燈火さん。まさか、私がいない間ずっと」

「え? ああ、ご飯ですか? もちろん鮭に決まってるじゃないですか」


 私は盛大なため息をつく。

 いや、予想はしていたけれど。だろうなとは思っていたけれど。私の留守期間、多分一週間はあった。

 さすが、鮭狂人と言うべきか……。


「今日からしばらく鮭は禁止です」

「星蘭、私を殺したいのですか……」

「鮭がしばらく食べれないだけで死なないでください。というかそのくらいじゃ人は死にませんから」


 まるで叱られた子犬のように肩を落とす燈火さん。

 別に一生食べるなとは言ってないのだから、そこまで落ち込まなくても良いのに。

 二日にしてくれとか言ってきたが、そんなの知ったことじゃない。当分は、禁止。


「今日はもう遅いですし、しっかり食べてしっかり寝て。明日の朝から働きましょう」

「分かりました。では夕飯を作ってきますね」


 私は長い髪を一束にまとめ、手を洗って食材を取り出す。

 こんな寒い日に食べたいのは、やっぱりあれだ。食べたことはない私でも、冬といえばこれだという印象がある。


「お湯を沸かして、具材は豆腐にネギにきのこ。他にもたくさんありますね。一体何を作るんですか?」

「お鍋です。鶏肉で出汁をとって、塩胡椒で味つけしたらそれっぽくなるはずです。きっと」


 燈火さんは話を聞きながら、物珍しそうに具材を見ていた。この国には鍋はないのだろうか。

 いや、ただ単に燈火さんが知らないだけのはずだ。確か露海港に魚介鍋のお店があった気がした。

 全く。この人は焼き鮭にしか目がないから。


「燈火さんは机の中心に手ぬぐいを何枚か重ねて置いておいてください。そこに熱々の鍋を置きますから」


 私がそう指示をすると、燈火さんは頷いて手ぬぐいを四枚重ねておいてくれた。あとは具材が煮えるのを待つだけだ。


「わぁ、美味しい……! 鍋ってあったまるし、美味しいし最高の料理ね」


 私はなぜかあった鍋つかみを使って、鍋を食卓へ運ぶ。燈火さんは目を輝かせて鍋を見る。

 白いスープに浮かぶたくさんの具材たち。その染み込んだ具材は、見てるだけでもよだれが出てきてしまう程美味しそう。


 鍋はあっという間になくなった。熱い熱いと息で冷まして、笑いあって。そんなことをしていたらいつの間にか食べ終わってしまった。とっても、美味しかった。


「また作ってください。この料理は冬に食べるのが一番でしょうから、楽しみにしてます」


 燈火さんは火照った顔で微笑む。寒い時に温かいものを食べると顔が赤くなって熱を帯びる。自分の冷たい指先でさえ、温まってしまう。


「では、お風呂に入って早く寝ましょう。明日の朝は早いですよ」


 私たちはそうして、早くに寝床に入った。まだ月が一番高くに来る前。青白く光る大きな月は、私の行く末を照らしてくれている気がして、どこか安心した。

 そして、いつの間にか眠りについた。


 その晩見た夢に、七色、もっとあるだろうか。色鮮やかで美しい少女が出てきた。その少女は何も言わずにそっと私の背中を押した。どこか寂しそうな顔をしていたのは気のせいだろうか。長い髪で、顔がよく見えなかったのが残念だ。

 私は黒蝶の魂の持ち主。かつて、この世界で生きて死んだ。

 でも、それは昔の話。私は私。きっと、夢の少女は昔の私。過去と決別する。今を生きるのだ。


 眩しい朝日で目を覚ます。

 その日は私の、星蘭の物語の大事な一ページとなる日だった。

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