孤独な蝶は、繰り返す縁を。
私たちは静まり返った船内で、ただただ下を向いていた。
聞きたいことは確かにある。しかし、ここまで静かだと言葉を発する勇気が湧いてこない。
「私も最近になって、というかほんの数日前に月夜から聞かされた話なんですけどね」
先に口を開いたのは燈火さんだった。私は静かに燈火さんの話に耳を傾ける。
「月夜は、唯一記憶を所持しています。記録担当なんだとか」
「記録?」
「ええ。日記やら石碑やらに残して守護する。それが彼女の役目」
私はその話を聞いて一つの物を思い出した。
勇さんの日記。
だが、あれは勇さんが書いたものだし、関係ないと首を横に振る。
「月夜は、この星の人間じゃありません」
「へ?」
私はとんでもないファンタジー発言に、思わず素っ頓狂な声を出す。
そもそもこの星の人間って、どういうこと?
「月夜は、月からやって来たのだそうです」
「は、はぁ……」
「私たちの魂は、生きては死に、死んでは生きてを繰り返しています。しかし、あの子だけは違う。月夜……月姫は、唯一死んでいない」
月姫。そのどこか聞いたことのある言葉に首を傾げる。そういえば、勇さんの日記に月の姫の内容があった気が。月夜様とはまた別の月の姫、とかだろうか。そんな何人も月の姫っているのだろうか。
というか、もうどこから突っ込めばいいのか分からない。私はいちいち反応しないようにした。
ここは異世界。ファンタジーの世界。異世界、異世界……。
「月姫は、ある目的のためにこの星へやって来た。それは、この世界の守護」
要は、月に住む人々はこの世界が壊されることを知った。それによって月姫を派遣したそうなのだ。月姫がやることは、破壊した者と、それを創り直す者を見つけること。そして、その世界を永遠に守ることだったのだ。
滞在する場所で生まれては年老いて、死んだことにしては生まれる場所を転々としていたという。しかし、国だけは変えなかったらしい。ずっと、長い時を桜華国で過ごしていたのだ。
私は自分とは全く無関係のような話に思えて、実感がほんの少しも湧かなかった。
神とかもよく分からないし、生まれ変わりをしていたなんて、もっとよく分からない。ファンタジーすぎる。いや、実際この世界自体ファンタジーなのだから、今更驚くこともないのだろうけど。いやいや、やっぱり自分が神とかおかしすぎるって。
それに、燈火さんはこちらの世界に産まれたのに対して、なぜ私だけ日本に産まれてしまったのだろうか。
急に降りかかってきた疑問が多すぎて、頭が痛くなってきた。
「昔、教育を受けていた時に教えてもらった神話が、まさか自分のことだったとは。夢にも思いませんでしたね」
そう燈火さんは笑って話す。
そりゃ、この世界に住む人のほとんどが神話が本当にあったのかすら分からないのに、自分のことだなんてもっと信じないだろう。
私なんて、神話は昔の人の書いたおとぎ話と思っていたのに。
もしかしたら、日本神話もギリシャ神話だって、本当のことかもしれない。そう思うと何だか少し身震いしてしまった。
この桜華国に伝わる神話って、一体どんな話なんだろう。
そんな私の思いを察したのか、燈火さんは優しく微笑んだ。そして何かを思い出すかのように目を閉じる。
「星蘭はあの国の神話を知らないでしょう。少し長いですが、桜華国まで少しありますし話しましょうか。……ずっと、遥か昔のこと──。」
◇◆◇◆◇◆◇◆
これは、まだ何もなかった頃の話。
世界を創り出す少女がいた。どんな色も持っていた少女は、まさに神様だった。
少女には特別な力があった。真っ白な空間を見間違えるほど、色鮮やかな世界に変えることができた。欲しいものを、何でも創り出すことができた。しかし、その代償に少女の色彩豊かな容姿が、全て黒に覆われてしまった。
少女は長い間生きていた。ずっと、姿も変わらずに。
その長い時を経て、少女の力は悪用されるようになった。権力の象徴として、地下に閉じ込めて私利私欲のために使わされた。
ずっと、ずっと。
いつの日か、少女は自分の姿を人間から蝶へと変えた。最後の願いは、世界を滅ぼすこと。
少女は自らの手で創った美しい世界を滅ぼした。
それが、“破壊神・黒蝶”の誕生だった。
黒蝶は、また何もなくなった世界をただ一人で飛び続けていた。
そんな黒蝶に、一人の青年が近づいた。世界を滅ぼしたことによって黒蝶以外の物が全て消え去ったはずだった。
しかし、その地面のない場所を一人の青年が歩いていた。その人は、橙色に揺らめく灯りを手にしていた。真っ白のローブを羽織り、フードを深く被っていた。顔は、見えない。
黒蝶と灯りを持つ青年は、言葉を交わすことなく共に旅をした。一切変化が訪れることのない世界を。
黒蝶は後悔していた。それは深く、深く。
あの美しい景色をもう一度目にしたかっただけだと、全てを消すつもりはなかったのだと、そう言った。
青年はその黒蝶の言葉に何も返さず、灯りを白い地に置いた。その瞬間、灯りが視界を奪う程に光った。灯りが世界全体を包むと、白い地が茶色の土になり、そこに緑の草が生えた。山ができて川が流れ、青空に白い雲が浮かぶ。色とりどりの花が咲き、そこはかつての美しき楽園だった。
遠くの方で子供たちの笑い声が聞こえる。
灯りを持つ青年は、かつて黒蝶が創り出した世界と瓜二つの世界を創ることができた。
それが、“創造神・橙灯”の誕生だった。
青年と黒蝶は、ずっと一緒に美しい世界を見て回った。
しかし、歴史とは繰り返すものだった。様々な物を創り出せる青年を捕らえようとする人間が出てきた。それを権力の象徴とするために。
滅ぼすことしかできなくなった黒蝶だけが取り残され、青年が地下へと閉じ込められた。
それに深い怒りを覚えた黒蝶は、青年を救うためにまた世界を滅ぼすことにした。青年といられるのは幸せだったが、二度も自分の人生を狂わされたことが許せなかった。こんな世界、いらない。こんな世界なら、ない方がマシだ。そう思ったのだ。
そうして二度目の世界破壊が終わると、また真っ白な世界に黒蝶と青年だけが残った。
黒蝶は自分のことも消そうとした。世界を創り直したくなかった。もう、ここでこの世界を終わりにしたかった。
だが、それを青年が許さなかった。何度だって世界を創るから一緒にいよう。そう説得したとしても、黒蝶の耳には届くことはない。
世界を壊す黒蝶が自分の存在を消す方法。それは“この世界”から魂を消すこと。
それができるのは世界を創る青年だけ。世界を創る時に黒蝶を世界から排除する。
黒蝶と青年は、ある一つの約束をした。そして、青年は世界を創る。美しい世界から、黒い蝶と青年が消え去り子供たちの無邪気な声が響いた。
月姫は、二人が消えたことを確認し、子供たちに接近した。子供たちに正しい教育をするために。自分の望むように世界の歴史が続くように。
そうして月姫は名前や容姿を変えて何千年にも渡って世界を見守ってきた。
それが“守護神・月姫”の誕生。
神話の最後にはこんな文がある。
孤独な黒い蝶を照らすのは、灯りを持ちし一人の青年。新しい世界を創りし時、月の姫それを守らんと。
しかし、歴史とは繰り返すものである。
◇◆◇◆◇◆◇◆
その話を終えたすぐ後に船は桜華国へ到着した。
何とも言えない空気が漂う船内を見た琴さんが何かを察すると、私たちに到着したとの声をかけて、先に船を出ていった。船に、私たち二人だけ残る。
燈火さんの話を聞いた私の心が、なぜか痛んだ。苦しい。悲しい。そう、訴えるように。
私はどこへ行っても孤独なのかもしれない。私は邪魔者でしかないのかもしれない。リュカ様が、私を消そうと言ったように。どこにも、居場所なんて。
そんなことを思って心が痛んでる反面、私の心はどこか安堵していた。
なぜだろう。理由は分からない。けど、どこかで安心している。
「長々とした話を聞いてくれて、ありがとうございます。この神話自体月姫が残したものなので、信憑性はある、というか本当の話ですからね。……展開の現実性がなさすぎて全然信じられないけれど、でも心の中で覚えがあると言うか、しっくり来るんです。こうも惹きつけられるのは、きっと自分が当事者だからなんでしょうね」
燈火さんはそう微笑んだ。
私もしっくり来るか来ないかと問われたら、来るというのが答え。だけれども、いざ自分が神話の中の話の人物と言われてもそうなんだと思うことなんてできない。
それに、心がこんなにも反応を示すのも、燈火さんと同じ理由なのだろう。
ずっと前にも、こうして燈火さんと共にいたと思うと、すごく不思議な気持ちに囚われられる。
「それに、こうして星蘭といて、今はすごく安心するんです」
そう燈火さんは私を見る。
私の心に宿るこの黒蝶も、きっとその旅をした青年の魂にまた出会えて安心しているのだろう。
燈火さんと私ではなく、過去の青年と黒蝶として。
当然のことなのに、私の心はまた痛む。この痛みは私自身の、星蘭としての痛み。なぜだろう。
「そろそろ外へ出ますか。月の間に着いたら、星蘭に吐いてもらわねばならないことが山程ありますから」
燈火さんはそう言って、立ち上がった。天井が低いから猫背気味に。私も燈火さんの後に続いて立ち上がり、船を出る。
先に船を出た燈火さんは、外から船の中にいる私に手を差し出した。
「ああ、そうだ。さっき私は星蘭といて安心する、と言いましたがあれは私が過去、星蘭の魂と私の魂が共にあったからという意味ではないですよ。今、こうしてあなたという存在に出会えたことを、幸せだと思っているんです」
燈火さんはそう少し頬を赤らめて、優しく微笑んだ。
そういえば、燈火さんと出会った時にもこうして手を差し伸べられた。あの時は燈火さんから冷たい何かを感じて、顔の見えない相手に警戒心を抱いていた。たたでさえ人を信じることをやめた私は、燈火さんの手を握ることを拒否した。
だが、今はどうだろう。この人は、燈火さんという人はこの世で一番私にとって、大切な人になった。私の人生を変えてくれた。
今だってフードを被って顔はよく見えない。けれど、今は前と違う。この人は、ちょっと不器用だけれど誰よりも優しい人。誰よりも努力する人。
それは、この手から十分伝わる。
私はその手をしっかりと握ると、不思議と自然に頬がほころんだ。
きっとこれを、人はこの感情のことを幸せと呼ぶのだろう。
私たちはすっかり日が暮れて、橙色の提灯が街を照らす中を歩いた。




