孤独な蝶は、愛を知らない。
愛されたい人生だった。
お前が必要だと言われたかった。お前しか、お前だけが。たったそれだけの言葉が欲しかった。
そんな言葉がかけられる人々は、私から見てどれだけ綺麗なものだったか。だから、そんな言葉がもらえない私は汚い。あんなキラキラと輝いてる人にはなれない。
そう帰り道の人気のない公園のブランコに座りながら、手を繋いで帰る仲睦まじい親子をただ見つめる。
ああ、神様。もしもまだあなたが私を見捨てていないのであれば、たった一つ。私の居場所をください。
そう、届きもしない祈りを、いるはずのない神へ捧げる。
澁谷黒孤。この名前を見て、どう思うだろうか。
私の名前なのだが、私はこの名前があまり好きではない。黒に孤独の孤だ。物心ついた時から既にこの名前が気に食わなかったことは鮮明に覚えている。
歳は十九。本来なら大学二年生のはずだが、家庭の事情で大学には通えていない。無料で本が読める図書館というありがたい場所で勉強をしている日々だ。
父、母、兄、姉、そして私の五人家族。この家族は仲が良かった。
母が私を身篭るまでは。
事件が起こったのは母のお腹が大きくなり、出産予定日も近づいた日。父の浮気が発覚した。相手は同じ会社に勤める自分より二十も歳が違う若い女。
母は子育てが忙しく若い頃の美しさを失ったせいだと酷く自分を責めた。そして自分をまた妻と認めてもらえるよう、美しさを磨きながら子を産むことを決意した。自分の子がまた新たに産まれたらまた家に帰ってくれることを信じて。
父は何年経っても家に帰らなかった。私は父が家に来るまでの五年間、静けさに包まれた家で過ごした。
ある時急に家を訪ねた父を見て、母は今まで見せたことのない表情を見せて喜んだ。きっと子供会いたさに戻ってきてくれたのだと。
だが、現実はそう甘くはなかった。父は家にある荷物を今更取りに帰ってきただけだった。家の玄関に立つ見知らぬ子の手を握る父は、自分の子であるはずの子供の手を持つ母に、ある言葉をかけて二度と家に帰ってこなかった。
「君に似て可愛げのない子供じゃないか。一体、誰との子供だい?」
母は壊れてしまった。働かなくなり、ご飯を作らなくなった。当然の如く、家は荒れ果てた。
歳の離れていた兄と姉はとても優秀だった。良い成績を残し、良い大学へ行き、自慢の我が子だと言って母は喜んでいた。
だが私は違った。特にそれといった特技もなく平凡以下だった私は母のストレス源だった。毎日私に罵声を浴びせ、義務教育である中学校までは通わせてくれたものの、高校へは通わせてくれなかった。私の進路は中学校で途絶えてしまったのだ。
兄と姉は私を酷く嫌っていた。二人が大好きだった母はお前のせいでおかしくなってしまった、と長い間責められた。
お前のせいだ。産まなければよかった。お前なんて。
そういった言葉を、一体この十九年間でどれだけ聞かされただろうか。いくら幼い頃から聞かされたとはいえ私も人間だ。心は傷ついていた。とても悲しかった。友達がいれば話せただろうが、私には友達と呼べる人もおらず、この傷を癒せる場所などどこにもなかった。
家を追い出されることもしばしばあった。そんな時私が通っていたのは市の図書館。ここは誰でも無料で本が読める。私は気づいた頃にはここに通うのが日課になっていた。休日は図書館が開く時間から閉まる時間までずっといた。中学校を卒業してからは普通、高校で学ぶ最低限のことを学ぼうと勉強をするようになった。
そんな数ある本の中でも一番好きだったのは小説だ。物語の登場人物だけが、私の心に寄り添ってくれた。
私は母や兄や姉、そして父を嫌ったことはない。嫌うというか、そもそもそういった感情がなかったに等しいだろう。幼い頃こそ怒鳴られて悲しかったりもした。
いつ頃からだろうか。怒鳴られても、何も感じなくなった。嫌がらせをされても片付けるものが増えてしまったと思うようになった。
何億人といる世界で、私はたったひとりぼっち。孤独だった。ああ、名前に孤という文字が入っているからだろうか。
星が綺麗な日はその星に向かって手を伸ばしてみたくなる。緑が綺麗な草原に触れてみたくなる。でも、私のその手は一向に動かない。行動する意味が、見つけられないから。
本当に、私は生きている意味があるのだろうか。
そう疑問に思う日々が続いた。
私は無意識に夕焼けと星の見える夜空が入り交じる、美しい空をよく眺められる場所に着いていた。その空を、私はただ見つめていた。