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お隣の美少女と弱みを握り合えば仲良くなれるらしい件

 人間、誰にだって一つや二つくらいの秘密はある。

 それは、今年から高校生になったたちばな伊吹いぶきにも言えることだ。

 

 彼は学校でそれほど目立ちもしない普通の男子高校生。

 なんなら陰キャとカテゴライズされることの方が多いだろう。

 成績だって普通だし、スポーツもそれほど出来る訳じゃない。


 そんな彼にもいくつか秘密はあるし、他人の秘密を知っていたりする。

 例えば、一つ目。


「いやぁ、困った」

『お前しっかりしろよ? テストで赤点とか進級に響くぞ』


 赤点という親には絶対に言えない失態とか。


 彼はバイトのため玄関にて出かける準備をしつつ、友人と電話をしていた。

 先日返ってきた赤点のテスト用紙が伊吹の手に握られており、その表情には幾分かの焦りがあった。


「体調悪くて集中できなかったんだよ」

『オレ、来年お前から先輩なんて言われるの嫌なんだけど』

「俺も嫌だって。ま、死んでも言わないけどな」

『そーかい。なら、頑張ることだな」

「分かってる。じゃあな。これからバイトだから切るぞ」

『おいおい。バイトってなぁ。ま、オレがとやかく言う事じゃないな。んじゃ、また明日十二時にゲーセンで』

「了解」


 そこで、ぶつんと通話が切れた。

 彼は「はぁ」と一つため息を溢せばテストの答案用紙を靴箱の上に置いた。

 

 靴を履いた伊吹は、ポケットから十秒でチャージが謳い文句のゼリー飲料を取り出し、それを口に咥えながら外に出る。


「あ……」

「お。一色、おはよう」

「お、おはようございます」


 アパートの廊下に出ると、ちょうどそこには可愛らしいお隣さんがいた。

 少しばかり素っ気なく挨拶を返す彼女は、一色いっしき文乃ふみのという伊吹の同級生だ。

 

 金掛かった綺麗な亜麻色のロングストレートが特徴的で、すらりと細く白磁のように透明感のある手足は人形のよう。

 鼻梁が整っていて、鈴を張ったような瞳はどこか吸い寄せられるように魅惑的だ。

 彼女はとても端正な顔立ちをしていた。

 

 それでいて、学業優秀、品行方正と言うのだからどこに非を打てばいいのか分からない。

 容姿端麗な彼女は、当然のように学校で絶大な人気を誇る。


 そんな美少女がお隣さん。

 普通、男からすればこれ以上ないシチュエーションだろう。


 けれど、伊吹にとっては距離の遠いお隣さんでしかないのだ。

 理由は色々ある。

 自分とは釣り合うなどと思っていないこともそうだし、恋愛感情があるわけでもない。


 何より、彼女とは距離がある。


「今日は随分とお洒落だな。遊びにでも行くのか?」

「は、はい。ちょっと大事な用があるので! そ、それでは失礼しますね」


 彼女は、黒の膝丈スカートにストッキング、薄茶色のショートブーツを履いており、トップスはスカートと対比になるように真っ白なブラウスとカーキのチェスターコート姿。

 それはどこからどう見ても、お洒落な出で立ちだった。


 文乃は伊吹との会話を打ち切れば、いそいそと階段を降りて行く。

 このようにロクな会話もないまま、出会ってから半年以上が経っていた。


 ごみ捨ての時に出会っても、おはようと交わせばいい方。

 学校で会話があるわけもなく、こうして伊吹が話しかけるのも何か意図がある時以外にない。

 彼女が一人暮らしと言う事もあって、隣に住んでいる男である伊吹の事を警戒しているらしい。


 これでは仲良くなれるはずもないだろう。

 そもそもただのお隣さんに何か期待するつもりはないのだが。


「やっぱり気付いてないみたいだな」


 彼はそう呟くと、ちゅるちゅるとゼリーを吸いながらバイト先へ向かった。


         # # #


「おはようございます」

「はい。おはよう。今日もよろしくねー。早速、月一いつもの依頼が来てるから着替えちゃって」

「了解です」


 伊吹はバイト先に着くなり、上司に挨拶をしてロッカールームに向かう。


「おはようございます」

「おっす! おはー」

「おう。おはよう」

「おざます!」


 ロッカールームで彼が同じように挨拶をすれば、先にいた同僚たちが挨拶を返してくれる。

 彼らは大体大学生か同年代で、伊吹に良くしてくれるいい人たちだ。


 伊吹は彼らと一緒に、仕事の準備を始める。

 まずは、髪をワックスで軽く整え、野暮ったい無地のTシャツ姿の少年から、濃い藍色のデニムにグレーのテーラードジャケット、そのインナーには白の襟シャツを合わせた。


 ものの十分ほどで、先ほどの冴えない男子高校生から一見して、洒落た見た目の少年へと変貌した。


「おー! 今日も決まってんねー」

「まぁ仕事柄、見た目は大事なんで」

「いっつもそうやってりゃ、モテそうだぜい?」

「この仕事やってるのバレたくないから、ここまで変化をさせてるんですよ」


 金髪の男が伊吹の肩をばしっと叩いて来た。

 彼は大神おおがみ蒼弥そうやと言い、この職場で一番仲が良い四つ上の先輩だ。


 蒼弥はそう言うが、彼からすればとんでもないことだ。

 このバイトは、誰にもバレたくないのである。


 彼がしているバイト。それは、友人代行サービスのバイトだ。

 人と話したい、イベントを催すが急に人が来れなくなって見栄えが悪い、単純に嘘でも友人が欲しいなど、多様な社会になるにつれ増えたニーズに応える職種と言えよう。


 時給のいいバイトだし、待遇も悪くない。

 けれど、その分求められるものがある。


 まず、服装は適当ではまずい。愛想が悪かったり、テンションの低い人間では依頼主の期待に応えられないことが多いのだ。


 いつも、地味な高校生活を送っている伊吹とは真反対の人間性が求められる。

 だから、服装と見た目を俗に言うイケてる感じの男へと変えて、性格も明るく振る舞う。


 けれども、そんな姿を友人や家族に知られるのは恥ずかしいので秘密にしている。

 要するにこれが、伊吹の秘密の二つ目だ。


 そして、このバイトではもう一つだけ秘密があるし、他人の秘密を握っていたりもする。


         # # #

 

 今日の仕事は複数人でこなす内容だ。

 伊吹と蒼弥、他に男女一人の組み合わせで駅前の広場に着くと、依頼主が待ち受けていた。


「今回もまた、よろしくお願いします!」

「はい。()()さん。いつも当サービスをご贔屓にありがとうございます」


 蒼弥が代表して、爽やかな笑顔で依頼主に向かって挨拶を返した。

 一色と呼ばれた少女。それはチェスターコートに膝丈のスカートとカーキ色のブーツでおめかしした一色文乃である。

 先ほど、伊吹が部屋の前で出くわしたあの一色文乃だ。


「ミコパイセン、彼女って常連さんなんですよね? 僕、詳しく聞かされてないんすけど?」

「あ、お前は先月入ったばかりだったな。彼女はな月に一度、親御さんに合うらしいんだが、その時にちゃんと学生生活送ってるかどうか友達を呼んで報告しているんだ。親御さんを安心させるためにな」

「へぇ」

「けど、どうにも友人が少ないらしく、それでこのサービスを使ってるって話だ。お前は、新しい友達ってことでこのグループに新規加入の役だ。後で彼女に挨拶しとけよ?」


 伊吹の隣では背の低い少年、石沢いしざわ春太はるたはこの依頼の初バイトらしく、唯一の女子、曾根原そねばら美子みことそんな会話をしていた。


 と、この通り文乃は友人代行サービスを利用している。

 

 実はこのバイトを始めてすぐ、伊吹が受けた依頼の主が文乃だった。

 最初はどんな偶然だと思った。


 誰にもバレたくないから、上手く風貌を変えているというのになんという不幸かと嘆いたものだが、実は半年以上経つ今でさえ伊吹の正体はバレていない。

 変装にも近いイメージチェンジが功を奏した形だった。

 

 それからは、彼はお隣さんである文乃とこうして会っているのだが、これは彼女には当然秘密だ。

 加えて、彼女が友人代サービスを使って両親を欺いているという事も秘密である。

 以上が、彼の三つ目の秘密であり他人の秘密を握っていることの詳細だ。


「あ、あの、 八朔はっさくさん、今日新しく来ていただいた石沢さんとは親戚と言う関係でお願いしてもよろしいでしょうか」


 蒼弥や春太と挨拶やら、打ち合わせを済ませた文乃は伊吹に話しかけてくる。

 やはり彼女は伊吹に気付いていない。


 余談だが、伊吹の事を八朔と呼ぶのは、彼がこのバイトをしている時に名乗っている名だからだ。

 因みに下の名前は柚葉ゆずはとなっている。


「ああ、いいぜ。そう話を合わせるか」

「よろしくお願いしますね」


 彼はすでに仕事モードに切り替えた口調で、文乃の要望に応える。

 正体がバレていないとはいえ、知り合いにこんな姿を見せるのは恥ずかしい。

 絶対にバレる訳にはいかない。これは墓場まで持って行く秘密だ。


 それから、全員で話を合わせるために準備をして、十数分後に彼女の両親が現れ、カフェに移動した伊吹たちは文乃の友人を演じた。


「あ、そうなんすよ。それで、文乃さんがその時――――」

「ほう、なるほど」

「も、もうやめてください柚葉君!」


 と、彼女の父親と会話したり、


「文乃に彼氏はいないのねぇ?」

「あー、文乃ちゃんにはいないっぽいですね。こーんなに可愛いのに。わたしが貰っちゃいたいくらい」

「あらま。もしかしてそっち系なのかしら?」

「お、お母さん、そういうのは良いですから。もう」


 そんな風に、母親の方とも恋バナをしてみたりと、多彩で豊富な演技とは思えないやりとりを繰り返す。

 話を合わせることは勿論、演技などもある程度は必須技能でこの仕事は意外と大変なものであった。


「皆さん、今日はありがとうございました」

「気を付けて帰るんだよ」

「また、お話しましょうね!」


 二時間ほどで、一色家の親子とはカフェでお別れだ。

 この後、家族水入らずで食事に行くのがデフォルトである。

 これで今日の依頼は完了となり現地解散となった。


         # # #


「ふぅ。一仕事した後の炭酸はいいな。伊吹も飲むか?」

「いえ、遠慮しておきます」

「あ、蒼弥パイセン。僕に一口下さいっす!」

「ちょっとだけだぞ? てめぇ、この間ぜんぶ飲んだろ」


 仕事を終えて、事業所に戻ってきた伊吹たちは休憩をしていた。

 午前の仕事はあれだけで、夕方過ぎにあるもう一件の依頼まで伊吹は自由時間だ。


「あ、そうだ。私、今日この後から別の仕事でいないから、大神君最後の戸締りお願いね。なんかあったら電話して頂戴な」

「うっす! オーナー」


 オーナーと呼ばれた女性は伊吹たちの上司で、どうやらここでの仕事以外にもやることがあるらしく、一番バイト歴の長い蒼弥に任せて事業所から帰って行った。


(あれ? 俺、今日部屋の鍵閉めたっけ?)


 伊吹はなんとなく横から話を聞いていたのだが、戸締りと言う単語で部屋の戸締りをしていたかどうか気になった。


(閉めたよな? 確か、電話してそのあと部屋を出て、一色と会って……あ、もしかして閉めてない気がする!)


「大神さん、すみません。俺、一旦家に帰ります! 部屋の鍵を閉め忘れたかもしれなくて。仕事前には戻って来るのでいいですか?」

「おう。時間もあるしいいぞ。車には気を付けろよー」

「ありがとうございます!。じゃ、ちょっと行ってきます」


 伊吹は閉めてない可能性が高いことに気付くと、蒼弥にその旨を告げ急いで部屋に戻ることにした。


「やらかした! この短時間で空き巣とか来てないとは思うけど」


 伊吹は走りながら自宅を目指す。

 大して大事な物はないので、万が一何かを盗られたところでそれほど痛くはない。

 だが、印鑑や通帳は持って行かれるとどうにかなるとはいえ面倒くさい。


 大事になる前にと彼は急いでアパートまで戻った。


「やっぱり閉めてない。思い出して良かった。よし、一応中も確認しておくか」


 部屋まで戻てくると案の定、鍵は閉め忘れていた。

 彼は気付いたことにほっと一息を付けば、念のためにと室内の確認をするためドアノブに手を掛けるのだが、そこで思わぬ事態が発生した。


「あれ? 八朔さん?」

「え……? な、なんで帰って来て……?」


 背後から声がして振り返ればそこには文乃がいた。

 伊吹は想定外の出来事に戸惑い、元の姿に戻っていないのにも関わらず、自分が八朔柚葉であることを忘れてしまっていた。


「そこは橘さんが住んでいる……ッ⁉ も、も、もしかして橘さんなのですか!」


 気づかれてしまったらしい。

 いくら、かなり髪形や服装を変えているとはいえ、疑って注意深く見れば八朔柚葉の正体が橘伊吹だと気づくのは当然だ。


 鍵を閉め忘れた事よりも不覚だったと後悔するがもう遅い。

 バレてしまったのなら、どうしようもないだろう。

 伊吹は全て白状することにした。


「――――と言うわけでだな……」

「あ、あ、あぁぁっ! そんな! 八朔さんが橘さんだったなんて……! どうしましょう! 私が友人代行サービスを使って両親を騙していたことがずっとバレていたと……は、恥ずかしいッ!」

「まぁ、そう言う事になるかな」


 慌てふためく彼女は、真っ赤にした顔を両手で覆い悶えていた。

 勿論、その気持ちは伊吹も同じである。

 何せ、今まで秘密にしてきたことがバレてしまったのだから。


「こ、こ、」

「どうしたんだ?」


 しばらくして顔を上げた文乃は伊吹に迫り、


「殺して下さいッ! こんな恥ずかしいことが露見して生きていけるはずがありません! いっそのこと思いきりよく殺して下さい!」


 そんなことを言い出した。


「お、落ち着いて」

「私は至って冷静です!」

「そんなわけないだろ⁉」


 殺してほしいなど滅多に聞く言葉じゃない。

 というか、伊吹も人生で初めて生で聞いた。


 どう見ても冷静ではない彼女を伊吹は何とか宥めようとする。


「私に生き恥を晒せと言うのですか⁉ さ、早く一思いに……!」

「一色は女騎士か何かなのか? いや、そんなことより通行人とかご近所さんの事を考えてくれ!」


 まるで漫画やゲームに出て来る女騎士のようなセリフを堂々と言ってのける文乃。

 だが、あまりの発狂ぶりにアパートを通りかかった通行人はぎょっとしており、大変視線が痛い。


 おそらくご近所さんにも聞こえているのではないだろうか。

 このままでは、あらぬ誤解を受けるだろう。

 最悪、警察沙汰という結末もありえなくはない。

 

 冷静でない彼女と話し合うにはここでは駄目だと伊吹は判断して、少々強引な手段を取ることにした。


「ちょ、ちょっとこっちに来てくれ!」

「は? え、あ……?」


 彼は自分の部屋の中に文乃を連れ込んだ。


         # # #


 女子を部屋に連れ込むなど本当ならありえない。

 だが、外で騒がれるよりマシだろう。

 とりあえずは落ち着いてもらおうと考え、伊吹はお茶を飲ませたりしてどうにか彼女を宥めることに成功した。


「落ち着いた?」

「は、はい。騒いでしまってすみません」

「まぁ、落ち着いてくれたならそれで」


 冷静さを取り戻した文乃は、まだ若干赤い顔で申し訳なさそうに縮こまっている。

 異常な騒ぎようだったが、済んだことはどうでもいい。

 それよりも、彼にはいくつかの問題があってそちらの方が優先だ。


「あの、申し訳ないけど、俺が友人代行サービスのバイトをしていることは黙っていてもらえると助かる。お願い出来るだろうか?」

「え、ええ! 勿論です。その代わり私の事も黙っておいてください」

「分かった。口外しない」

「ありがとうございます!」


 二人はお互いの秘密を守ると約束をする。

 両者にとって、とんでもないハプニングだったがこれで一応は一件落着だ。


「なぁ、この際だ。一つ二つ聞いてもいいかな?」


 お茶に口を付けていた文乃がちらりとこちらを向く。


「はい。良いですよ。私もいくつかお聞きしたいことがあるので」

「じゃあどうして、こんな早くに帰って来たんだ? いつもは家族と一緒に食事に行ってただろ?」


 伊吹が初めにした質問は、家族と食事に行っているはずの彼女がなぜこうも早く、帰ってきているのかと言う事だった。


「お父さんに急に仕事が入ってしまってキャンセルになりました」

「そうか」


 鍵を閉め忘れて帰って来るなどこんな日に限って、こうもタイミング悪いことがあるだろうか。

 文乃の回答に彼はこめかみを押さえた。


「次だけど、なんで友人代行サービスを使ってたんだ?」

「友達がいないからです。嫌味ですか?」

「いや、そう言うわけじゃないんだ。気を悪くしたなら謝る。ただ、学校であれだけ人気があるのに友達とか彼氏がいないってのが疑問で」


 伊吹の質問に対して、眉間に皺を寄せる文乃。

 少々、地雷的な質問だったらしい。


 容姿端麗で文武両道を体現する彼女が一体どうして、友達がいないのだろうかと気になったのだ。

 気が良く、人当たりも良い彼女は男女共に人気がある。

 伊吹からしても、魅力的な女の子には違いない。


 実際、学校では誰々と付き合ってるだの、告白されていただのと彼女に気がある男子は数えきれない。

 

 そんな文乃が同性からのやっかみを受けて、たとえ友人がいなかったとして、彼氏の一人くらいはいるだろうと読んでいた。


「人気があることと、友人関係を上手く築けるかは別でしょう。それに彼氏がいるなんて、とてもとても」

「そ、そうか」


 そう怖い表情で文乃は答えた。

 あまり踏み込まない方がいい話題らしい。おそらくだが、今まで伊吹と距離があったのもそれが原因だろう。

 伊吹はそこで会話を断ち切っておいた。


「では、私からも。橘さんは、どうしてバイトの事を黙っていておいて欲しいのですか?」

「い、色々あるが、まぁ君と同じで恥ずかしいってところだな。バイトしてる時の俺は普段と違うだろ。なんというか陽キャ的なさ」

「言われてみれば、随分と雰囲気が違いますね」

「だろう?」

「私が半年も騙されるくらいですし」

「ははは……」

 

 騙されるだなんて、チクリと言われるが実際、彼は黙っていたのだから仕方がない。

 ついそんな言葉が出るくらいに、彼女からしても恥ずかしかったらしい。

 

「あと、おひとつ質問が。そ、その私のこと誰かに話していたりしますか?」

「いやそれはない。証明は出来ないが断言はするよ」

「よ、良かった」


 伊吹の言葉をどれほど信用したのかは分からないが、一応彼女は安心したよう。


「では、私はこれで。今日の事はお互いに秘密にしましょう」

「ああそうだな」


 全てを忘れる。そのつもりでこれからは過ごすしかない。

 バイトでの自分を知られてしまったのは最悪だが、互いに秘密を握り合ったことでこれ以上拡散することも無い。


 冷戦時代の相互確証破壊的なものに近いだろう。

 伊吹が彼女の秘密を洩らせば、彼女も同じことをする。

 待っているのはお互いの悲惨な結末だけだ。

 大袈裟かもしれないが割と二人共、悲壮感溢れる心境であった。


「お茶、ありがとうございました」

「そこの靴箱にでも置いといてくれたらいいよ」

「はい。では、ここに……え? これって?」

「あ、やば⁉」


 彼は今日いくつ目かの失態を犯した。

 コップを置こうとした文乃は、今朝伊吹が出て行く際に置いていった赤点の答案用紙を発見する。


「えっと、橘さん?」

「いや、そのだな、それは弟のだけど」

「そんなはずがないでしょう」


 追い詰められた伊吹はすぐにバレる嘘を付いた。

 もちろん、答案用紙にはしっかりと名前が記載されているので、誤魔化せるはずがない。

 文乃から冷めた目で言われた。


「橘さん学校の校則をご存じですよね?」

「バレなければ犯罪じゃないという言葉もある」

「思いっきり私にバレてますけど? というか赤点を取ったのにバイトをしてるなんて度胸がありますね」


 呆れた声で文乃はそう言った。


 伊吹たちが通う学校の校則に、赤点を取った場合バイトが禁止されるというものがある。

 バイトをしている伊吹は、当然そのことを担任から聞かされているわけで。


 つまり、彼は知った上で校則を破っていたのだ。

 勿論、これも伊吹が抱える秘密の一つだ。

 

 因みにだが、この校則を破ったことが発覚すると、謹慎が課され非常に重い罰を受ける。


「どうか。黙っていてくれないか! この通りだ!」


 伊吹は全力で頭を下げた。

 謹慎は流石に不味い。

 

 親にバレるのは当然の事、そうなれば実家に戻ることになるだろうし、進級にも影響する。

 百パーセント自分が悪いことだが、こればかりは秘密にせねばならない。

 土下座も辞さないつもりだ。


「…………はぁ。全く仕方がありませんね。別にいいですよ。私にメリットがありませんし。学校に報告して、あなたに死なばもろともと私の秘密をばらまかれても困りますから」

「ほ、本当か?」

「はい」

「助かる!」


 文乃もメリットの無い事はしたくないし、それで不利益を被りたくはないのだろう。

 彼女は黙っていると約束してくれた。


「そ、その変わり一つ私のお願いを聞いていただいても良いですか?」

「お願い?」

「ええ、私の方が多くあなたの秘密を握っているのですから。価値は同じにしておきませんか?」


 文乃はおずおずと、切り出して言った。

 彼女の言う事は正しい。


 伊吹が持つ秘密の数と文乃が持つ秘密の数に相違がある。

 ならば、伊吹が彼女に対して何か提供するのは自然な流れだろう。


「その通りだな。で、俺は何をすればいい? 靴でも舐めればいいのか?」

「余計に汚くなるでしょう。止めて下さい」

「いや、ネタだからマジレスしないでくれ」

「なら、ふざけないように」

「すみません」


 少しばかり、ふざけた彼に対して文乃は厳しくする。


「それでどうすれば? お前がご両親に誤魔化してるのをサポートでもすればいいのか?」

「ええ。そうですね。私と橘さんは共犯者になって頂きます」


 共犯者。

 あまりいい言葉ではない。

 だが、これほどしっくりくる言葉もないだろう。


 今までは仕事だったので彼女の両親を欺くことに加担していたとは言いづらい。

 けれども、今後は違う。


 全部を知っている上で、依頼を受けるのだ。

 共犯以外の何物でもない。


「その上で、私と、と、もだちに……なってくださいませんか? うぅ」

「そんなことで良いのか?」


 何を言い出すのかと思えば、友達になって欲しいらしい。

 共犯者とは正反対に近い言葉が出てきて彼は少し驚いた。 


 文乃はもじもじと言いづらそうに言葉を紡いだ。

 随分と突然だが、彼女の話を聞いている分には分からないことでもない。

 友達がいなかった文乃がそれを求めるのは自然だった。


「ええ」

「まぁ、一色がそれで良いなら」


 伊吹にとってはデメリットも断る理由ない。

 彼が快諾すれば、文乃は安堵の表情を浮かべた。


「てっきり断られると思っていました」

「なんでだ?」

「だって、私はあなたと距離を取っていたでしょう?」

「やっぱりか。まぁなんとなく分かってたけど」


 文乃が伊吹と距離を取っていたのは、事実だったらしい。

 伊吹としては深く関わるつもりがなかったので、それほどダメージは受けていない。


 それでも何かやらかしたか不安だったのは事実。

 真相が判明して彼は少しばかり心が安らいだ。


「学校では良く見られている私ですが、割と人間不信なんですよ。だから一人暮らしで色々と警戒してしまって」

「普通だろ。俺が逆の立場でもそうなる」

「そう言って頂けるとありがたいです」


 若い女性、いや少女が一人暮らしをしているのだ。

 警戒することに越した事はない。

 伊吹も十分に分かっているので彼女を責めることはしなかった。


「では、改めて私はこれでお暇させて頂きますね」

「手間をかけて申し訳ない」

「いえいえ。今後ともよろしくお願いしますね? 共犯者さん?」


 彼女は、悪戯っぽく言えば今日初めて、いや伊吹に対してお隣さんになってから初めて笑顔を見せたのだった。


         # # #


【余談】


 それからはお隣さんとして、互いに秘密を握り合う者として、共犯者として、友達として伊吹と文乃は仲良くなっていった。


「おはようございます。橘君」


 と、向こうから挨拶をしてくれるようになったり、


「ゼリー飲料だけでは死にますよ? あ、余り物で良ければ何かお持ちしますけど」


 そんな風に、気遣ってくれたり、


「赤点のままだとバイトが出来ないですから、補習のテスト勉強お手伝いしましょうか? なにせ、共犯者ですし」


 勉強までお世話になったりと今までの距離感が信じられないほど、彼女と交友を深めた。


 挙句の果てには、


「きょ、今日がお誕生日でしたよね? えっと、良ければこれを……」


 誕生日を祝ってくれたりもしたりと関係が一変した。


 弱みを握り合っただけなのに、どうしてか険悪にならず橘伊吹はお隣さんと仲良くなったのだった。

最後までお読みいただきありがとうございます。


初めての短編作品ということで手探りで書き上げ、投稿させて頂きました('ω')ツカレタ……

短いお話で拙くはありますが、もし楽しんで頂けたのなら幸いでございます。


現在、本作品を連載するかどうか迷っているのですが、よろしければ感想をお寄せください。

それではまたどこかでお会いしましょう。ノシ Presented by Nonaka Kanon(乃中カノン)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 同じく、連載で、ドキドキさせてほしい。
[一言] 個人的には連載して欲しいです!
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