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神々のためのエロ漫画

 僕の戦士叙任式は、ヴァラスキャールヴというとっても発音しにくい名前の宮殿で執り行われた。

 神々の国アースガルズにはたくさんの城や宮殿がうじゃうじゃ建っていて、ヴァルハラはその中の男神用の宮殿のそのまた一部、戦士たちの宿舎に過ぎず、重要な儀式をやるような場所ではないのだという。ヴァラスキャールヴはあのセクハラくそじじいオーディンの居城なのだそうだ。


 壮麗な内装の謁見の間には、大勢の神々がずらりと並んでいた。人間は僕だけのようで、ものすごい疎外感。

 正面奥の高御座にはオーディンが腰掛け、その隣のやや小さい席には金髪の妖艶なご婦人が脚を組んで座っていた。たぶんオーディンの奥方、神々の女王といったところか。オーディンに劣らぬ風格がある。


 うわ。目が合った。


 女神は微笑んで僕に言葉をかけてきた。


「これはまた、今回はなんと可愛らしいエインヘリャルか。まだ子供ではないか」


「……いや、ええと、あのう、これでも二十五歳なんです……」


 僕は恐縮しながら言う。


「それは済まぬ。日本人は幼く見えるのう」


 女神はそう言って口元を押さえ、艶然と笑う。


「妾はフリッグ。オーディンの妻にして、このアースガルズの女たちの主じゃ。女に関してなにか困りごとがあれば遠慮なく妾に言うがよい」


「あ、はい。ありがとうございます……」


 女王神フリッグ。威圧的な美貌とは裏腹に優しそうな人だな、と思っていたら、こんなことを言い出す。


「聞けば童貞なのにブリュンヒルデを抱かなかったとか」


「えっ、いやっ、あのっ」


 なんでそんな情報がすぐ届いてんだよ?


「そなたのFANZAの購入履歴からして人妻ものも嗜むようだし、妾が相手をいたそうか」


「なんでそんなことまで知ってるんですかッ?」


「妾が坐すこの玉座はフリズスキャールヴといって全世界を見通す魔力を持つのじゃ」


「そんなとんでもねえ力をひとの性癖覗くのに使わないでくれるっ?」


 死後立て続けに性的な口撃を受けていた僕はもう躊躇なくぶちぎれていた。


「だいたい隣で旦那さんが聞いてんのにそういう冗談はやめてください! ほらほらめっちゃ怒ってるじゃないですか!」


 オーディンは苦り切った顔で言った。


「我が妻と寝たければ勝手にするがよい。ちょうど儂らは倦怠期、よい離婚事由になるわ。ただし離婚が成立した後でそなたを八つ裂きにしてムスペルヘイムの業火に投げ込むがな」


 怒り方が複雑どろどろ過ぎて混ぜっ返す気も起きなかった。


「叙任式のはずが話がずいぶんそれてしまったな。フリッグ、邪魔するでない」


 オーディンは咳払いし、玉座から立った。

 僕はまわりの若い神々に促されて玉座の前に歩み出ると、ひざまずく。


 老主神の厳かな声が降ってくる。


「沖田総司よ。汝を名誉ある最前線使い捨て犬死に戦士に任ずる。ヴァルハラにて日夜励み、苦しみ、生まれたことを悔やみ、来たるべきラグナロクの日には先陣を切って敵軍へと突撃して全身串刺しにされ臓物を引きずり出され痛い痛いと泣き叫びながらのたうち回って死ぬことを期待する。祝福あれ!」


 私怨まみれだった。どこが祝福なんだ。なにもしてないのになんでこんなに恨みを買わなくちゃいけないんだ……。でも他の神々も「祝福あれ!」と唱和する。


 気の滅入ることしかない叙任式だったけれど、さっさと終わってくれたのだけはありがたかった。


 閉式後、オーディンとフリッグの夫妻が退出したのを見計らって、神々のうち何人かが僕のそばに興味津々の顔で寄ってきた。

 最初に声をかけてきたのは、さらさらのプラチナ・ブロンドを肩まで伸ばした、目もくらむような美青年だった。


「いきなり母上に粉をかけられるとは、やるじゃないか沖田君!」


「え、あ、はあ」


 だれ? 母上、って女神フリッグのこと?

 だとするとこの人もえらい神さま? オーラからしてすごいけど。


「僕はバルドル、アースガルズの王子だ。よろしく」


 手を差し出されたのでおずおずと握手する。

 バルドルの笑顔は真っ白な歯がぎらついていて正視できないくらいまぶしい。この人、絶対に光の神だ。


「母上に限らず、我々アース神族は性的に奔放だからね。不倫も近親相姦もなんでもござれだ。さっきのくらいで驚いていては身が保たないよ。僕なんか見ての通り神々の中でも最も美しいからモテまくりのやりまくり、なんなら母上ともやってるからね。君も遠慮するなよ」


 ええええええ……いきなりなに言ってくるのこの人。ありとあらゆる方面で遠慮したい。


 そこに横からもう一人が口を挟んでくる。


「親父は嫁も愛人もたくさんいるからな。俺とバルドルも腹違いだ」


 こちらは上半身裸で引き締まった筋肉美を見せつけている精悍な青年だった。額には稲光のような模様の刺青。背中には巨大なハンマーを背負っていて、殺意さえ感じる鋭い目つきで僕をにらんでくるので、無意識に後じさる。


「いいか沖田とやら、あの色呆けババアのフリッグとならいくらでも寝ればいいが、俺のお袋に手出ししたら頭かち割るからな」


 そう言ってその男は背中のハンマーの柄に手をやった。滅相もない、と僕は手をぶんぶん振ってバルドルの背中に隠れようとする。この凶暴そうな人もオーディンの息子なのか。


 バルドルがきらきらの笑顔で言う。


「トール、よさないか。人間相手に大人げないぞ。君の母御のヨルドさんには僕もそのうち手を出すつもりなんだから寛大な心で受け入れてくれ。お義父さんと呼んでもいいぞ」


「バルドル、てめえも不死身じゃなきゃ壁の染みにしてやるんだが……」


 トールと呼ばれたその男はバルドルに向かって歯を剥く。


 ……って、トール?


「……あの、雷神のトール、ですか」


 僕が思わず訊ねると不機嫌そうな一瞥が返ってくる。


「なんだ。知ってんのか。日本人のくせに」


「知ってます知ってます。いちばん有名だし。日本人でもっていうか、世界中みんな知ってるんじゃないですか、『マイティ・ソー』の主人公なんだし」


 アメコミ映画好きだった僕、早口になってしまう。

 トールは顔を歪めた。


「なんだそりゃ。知らねえよ」


「……あ、はい、そうですよね……」


 神さまがハリウッド映画とか観るわけがないか。恥ずかしい発言をしてしまった。


「ナタリー・ポートマンが可愛いのは『レオン』までだしな」


「知ってるんじゃん! ていうかロリコンじゃん!」


 我慢しきれずにつっこんだ僕はトールに殴り殺されそうになった。


       * * *


 それ以上神々にいじくりまわされないようにと早々にヴァラスキャールヴを辞した僕は、くっそ広い宮殿内で迷いながらもなんとかヴァルハラに戻った。鉄の門をくぐるときにはもうすっかり夜も更けていた。


 月明かりだけが照らす中庭に、人影があった。


 草の上に筵を敷いて、あぐらをかき、杯を傾けている。高く結った髷に、無精髭のはえた傷だらけの顔、着流しで傍らには大小の刀。酒のつまみは竹の皮の上に並べられた干し魚。城の光景にあまりにもそぐわない純和風の男だった。


 あ、この人がひょっとして僕より前に呼び寄せられたというエインヘリャルか。たしか、史上最高の剣豪だとか……?


 向こうも僕に気づいた。


「おお! 今日やってきたという日本人か?」


 野太い声が飛んでくる。


「あ、はい……」


 僕は小さく頭を下げた。


「一杯付き合え! 話ができる者がおらんので退屈しておった」


 本音を言えば部屋に帰ってさっさと寝たかったけれど、向こうとしても久しぶりに逢った同胞だろうし、僕としても日本人と話せるのは精神の安定に必要だろうと思って、遠慮がちに筵に歩み寄った。


 いやあ、同胞っていっても――どう見ても僕の時代の人じゃないよな。剣豪だし。


「沖田総次郎です。はじめまして」


 頭を下げて筵の隅に正座する。


「沖田殿か。聞いたことはないが、後の世ではさぞかし名のある武芸者なのだろうな」


「ああ、いえ……」


 人違いであることを説明すると面倒な話になるので僕は言葉を濁した。

 男は続ける。


「わしは新免武蔵と申す」


 しんめん。

 変な名字だ。

 そんな剣豪いたっけ? しんめん……


「二天一流を開いたが、どうだ、沖田殿の時代にまで残っておるかな? 五輪の書に詳しくわかりやすく書いておいたのだが」


「あーっ!」


 思い至った僕は思わず腰を浮かせていた。


「宮本武蔵っ?」


「そうとも呼ばれておった」


 めちゃくちゃ有名人だった。

 ああ、それで……童貞……うん、なんかそういう話を読んだことがある(山田風太郎の小説で)。武蔵は死ぬまで童貞だったって……。


 しかし、何百年も前の人だ。死んだ直後にヴァルキュリャに連れてこられたのだとしたら、ここアースガルズで何百年も過ごしてたってこと? とてもそういう感じには見えないな。神さまの国だから地上の時間の流れとはちがうのかな? たしかオーディンが『ついこないだ』連れてきたって言ってたっけ。


 武蔵さんは僕の杯に徳利からどぼどぼと日本酒を注いだ。


「そうか、知っていてくれて嬉しいぞ。わしの名も少しは後世に響いたか。死んだ後も戦わせてくれるというからここに連れられてきたが、どうにも……ううむ……ノリが合わぬ」


 そうぼやいて武蔵さんは頭をぼりぼり掻いた。


「なあ、沖田殿。……ここの連中、なにゆえああもイケイケでヤリヤリでウェイウェイなのだろうな? ヴァイキング文化かなんか知らぬが、すぐに下の話に走るし……わしが二刀流だと言ったら両刀なのか男とも女ともやれるのかウェーイとか言っておったし……童貞をすぐ馬鹿にするし。ついていけぬ……」


 涙が出そうなほど共感してしまった。


「まあその、戦闘民族なので……そういう文化なんじゃないですかね。日本はなんだかんだで平和だし。武蔵さんの時代ももう徳川が安泰な頃ですよね」


「そうだ。泰平の世に武芸者とか剣豪とかやっていても全然モテぬのだ! わしが生涯童貞だったのは自分のせいではなく時代のせいなのだ!」


 その言い分はさすがにどうかと思う。


「こちらは戦乱の世で活躍の機会も多いと聞いて来たのに……わしの担当の戦乙女は、うむ、優しくて気立てがいい娘なのだが、なんというかこう、慣れているというか、上に乗ってオゥオゥイエースとか言いそうな感じの娘で、わしの好みとしてはもっと清楚でご奉仕してくれるタイプが望ましいのだが」


「あんたが童貞こじらせてるだけだよ! 選り好みできる立場じゃないでしょ!」


 ……と言いたかったけれど全部自分に跳ね返ってくるので僕は言葉をぐっと呑み込んだ。


 武蔵さんは盛大なため息をつき、杯に残った酒を飲み干す。

 無精髭の下が赤らんでいる。


「早く戦にならんものか。なんでもいいから人を斬りたい」


 なんかやべーこと言い出した。武芸以外になんにもないんだな、この人。僕もひとのこと言えないけど。

 それから武蔵さんはふと眉根を寄せて声を落とした。


「しかし、ここの連中のことだから戦の理由も下ネタだったりするまいな。さすがのわしも、そういう下品な命令のもとに死合うのは気が乗らんな……」


 まさか、と僕は思った。

 でも武蔵さんの悪い予感は完璧に的中してしまうのである。


       * * *


 僕がヴァルハラにやってきてから七日目のことだった。


 朝食をとっていると、廊下から荒々しい足音が聞こえた。扉が勢いよく開く。


「沖田! 任務だ!」


 オーディンだった。びっくりした僕はゆで卵を噛まずに呑んでしまう。オーディンの背後から、ブリュンヒルデも申し訳なさそうな顔を出す。


「今アースガルズは危機的状況下にある。知っておるな?」


 テーブルを挟んで僕の向かい側の席にどっかりと座ったオーディンはそう切り出す。


「いや、知りませんけど」


「この七日間なにをやっておったのだッ」


「だいたい寝てました……」


 サラリーマン時代の最高の贅沢だった、アラームなしの睡眠がいくらでも貪れるのだ。

 最初の三日間くらいは満員電車の夢とかクライアントからの電話の夢とかでしょっちゅう飛び起きていたけれど、だんだん身体が慣れてきて(死んでるのに?)今ではもう何時間でも眠れるようになっていた。アースガルズの事情なんて知ったことではなかった。


 オーディンは青筋を立てて言った。


「今、うちにヴァン神族からの客人が来ておる。グルヴェイグという女なのだが、そやつがとんでもないことを始めて、我々アース神族を脅かしておる! このままではアースガルズが潰される! 沖田!」


 杖でどんと胸を突かれた。痛い。


「この件はそなたが適任だ、ついてこい! グルヴェイグの所業をやめさせろ!」


 オーディンはすさまじい剣幕で僕の首根っこをつかんで部屋から引きずり出した。


 後からついてきたブリュンヒルデが道々で説明してくれる。


「ヴァン神族というのは、隣国、ヴァナヘイムにお住まいの神々です。アース神族とは昔から交流が多くて、両神族間での結婚も珍しくないんです」


「じゃあ親戚みたいなものか」


 僕が言うとオーディンは苦い顔をし、ブリュンヒルデも気まずそうに目を伏せる。


「血縁ではあるのですが……関係は良好とは言えません。アースガルズは武力に長けた厳しい軍国、ヴァナヘイムは魔術や芸事がさかんな文化国、という感じで、お互いに敵視し合っているんです。ソウジさまにもわかりやすいように例えますと――大宮と浦和みたいな」


「いや都民だから全然わからんけどっ? どっちもさいたま市でしょ?」


 ブリュンヒルデは青ざめた。


「ソウジさま、そのせりふをさいたまダービーのスタジアムで口走ったらレッズとアルディージャの両サポーターから袋だたきに遭いますよ」


 なんで日本人の僕より埼玉ローカル事情に寄り添ってんだよ。


「あっ、でも大宮アルディージャはJ2に落ちてますからダービーマッチが開催される機会はまずないですね、安心です」


「だから知らないって! ていうかその発言の方が大宮民を怒らせるよ!」


 さっさと話を戻してほしかった。危機的状況なんでしょ?


「ええと、つまり敵同士なんだね? でも、ヴァン神族の人をお客として受け入れてるの? どうして?」


 ブリュンヒルデが説明に困った顔になったので、僕の三歩先を歩くオーディンが代わりに言った。


「敵対はしておるが、ヴァン神族の女は来たら受け入れることにしておる。なぜならヴァン神族の女は可愛くてエロいからだ! 儂も愛人にしたい!」


 おまえら……。

 ほんと、そういうとこだよ。


「女が一人で来てもなにもできぬし、もし我らの男のだれかと結婚すればもはやアース神族の一員になるのだから、受け入れても問題はない……はずだったのだが、あのグルヴェイグという女、おのれ……」


「なにをしたんですか」


「きゃつは《セイズ》という魔術を操るのだ。忌まわしく、おぞましく、恐ろしい術よ。アースガルズはその魔力に今まさに蝕まれておる」


「セイズ? どういう術なんですか。僕に言われても魔術のことなんてさっぱり」


「見ればわかる! ここだ!」


 僕らがたどり着いたのは宮殿の広い応接間だった。


 オーディンが大扉を開くと、むっとする熱気があふれ出てくる。


 部屋の真ん中に人垣ができている。みんなアース神族の男たちだ。

 彼らが囲んでいるのは、大机の向こうの椅子に腰掛けた一人の女性だった。フードを目深にかぶっているので顔はよく見えないけれど、金色の豊かな巻き毛がこぼれているのがわかる。どうやらあれがくだんのグルヴェイグという女神のようだ。


「グルヴェイグ殿、次を! もっと!」


「もっとないのか、いくらでも欲しい!」


「ああ、ヴァナヘイムにはこのような素晴らしい技術が……」


 男たちが熱っぽい声で懇願しているのが聞こえる。

 なんなんだ、一体なにをそんなに欲しがっているんだ?

 よく見ると、大机には書物らしきものがいくつもの山をつくって大量に積み上げられている。神々が奪い合うようにしてそれを読みふけっている。


 魔導書かなにかだろうか……?


「あれが《セイズ》だ」


 オーディンが憎々しげに言って、大股で机に歩み寄った。


 熱に浮かされていた連中も、主神がやってきたことに気づき、あわてふためいて退き、道を開ける。オーディンは山のてっぺんから一冊とって僕に投げてよこした。


「見よ。なんと忌まわしい術か!」


 僕はキャッチしたその一冊を開いた。ブリュンヒルデも隣からページをのぞき込む。


 絶句し、理解する。


《セイズ》とは――《性図》であった。


 見目麗しく若々しく魅力にあふれた女性が男と交合して時に魔性を時に獣性を剥き出しにし扇情的な体位を見せつけるその様を克明な筆致と躍動感あふれる連続的描画により劇的に活写し――っていうかこれエロ漫画じゃねえかあああああああッ!

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