訪問者
最悪。最悪中の最悪だわ。
「よかったわね、蝶花」
「え、ええ…そうね…」
この、にこやかなお母様の『よかったわね』は、お父様の機嫌が直ってという意味である。なんとも言えない気持ちになった。
あの対面の日。私と会う前に、お父様と黒龍様、白蛇様がお話をしたそうだ。
私がこの縁談に懸念があったために、ああなったのではないか?という心配をして頂いたらしい。
そんな状態のお嬢様との婚約は互いの幸せを考えると非常に心苦しい。友である白蛇が気に入ったそうなので、蝶花がよければ…。と、最大限のありがたぁぁい配慮を提案してきた。
お父様は悩むそぶりを見せたあと、白蛇様が私を気に入ったという点に付け入ることにしたらしい。
つまり私の答えがなんであれ、決定していたということだ。
お父様!!彼は絶対腹黒よ!!!!最悪よ!!!!!
私との婚約の際に、結婚後に融通してほしい条件を数点与えることで落ち着いたらしい。詳しい話は綠家の現長である玄武を交えてお父様が詰めてくるそうだが、お互いにあまり干渉がなかった区域同士、特産品の流通を広げることは確定しているそうだ。
噂によると、上質で多種にわたる布の生産地なのよね。贅沢品の類な気がする。
華家の管理下にある区域の特産品は、灯油と蝋燭。オイルに強く、花からも抽出されたりする。アロマね。なかなか需要が高くて物により料理にも使えるから、一度浸透したら生活から切り離しにくいのよね。
綠家の明かりは、主に固形燃料を使用してランプを使っているみたいだけれど、少し扱いが大変じゃないかしら。あとは薪とかね。
私の二度目の婚約の儀は、綠家と、華家。それぞれの親族と、仲介者になった壟家の長と黒龍様。この少数で行われることとなった。
一回目と比べて少数というだけで、そこそこ多い。
今回は事前打ち合わせとして、親は親と話をする日である。私の叩かれた頬もすっかり艶やかである。
白蛇様はともかく、玄武様はなんというか、大変気が強そうで私は苦手だ。グレーの長い髪を編み込んで、ハーフアップにしている。顔の造形は白蛇様に似て美しいのに、強い意思を宿した赤い瞳が、ルビーのようにギラギラと光って見えた。
「このようにお話出来ることを嬉しく思います」
「ええ、私も同じ気持ちですわ。青龍から、いろいろと聞いていてよ」
にこやかに言葉を交わす父と玄武様を見比べて、視線を前方に移す。口元に笑みを浮かべたままの白蛇様がいる。
…何故居るのだろうか。会いたくなかった。
玄武様の前で無表情でいるわけにはいかない。一応私も微笑んでおくと、口元を袖でかくしてやや顔を背けられた。淑やかにすら見える所作は女性顔負けだ。
私の頬の筋肉が憎悪を抑えている気がするわ。ひくついて仕方がないもの。
絶対袖の下で笑ってるでしょ。
「蝶花」
「! はい、お母様っ」
救世主!私はもう部屋に戻って良いかしら!?と、期待を込めて母を見上げる。
「白蛇様のおもてなしを頼みますね」
「…はい、お母様…」
絶望した。子供同士、親睦を深めてはどうかと取り残されるようだ。そんな気遣いいらない…。
「…お庭にご案内いたします」
「ありがとう」
くすくすと笑いながらついてくる白蛇様を、視界に入れないように先を歩く。
ああ…どうしてこうなったの。案内はするが、妥協して庭だ。私の生活区にいれてたまるか!侍女の咲にお茶の準備を頼むと、待つ間に色とりどりの牡丹が咲き乱れる庭へ手引きする。
「よく手入れが行き届いてるね」
「…お母様が牡丹の花が好きで、力を入れてますの」
「そう。君の好きな花は?」
「特にありません」
「なのに、案内先が庭なんだ」
「外の空気は気持ちいいでしょう?」
「…まぁね」
そろそろいいだろう。お茶の準備が出来たようですから、とテラスのような席へと案内する。席について互いに茶に口をつけると、話すことも浮かばなくて黙る。
「……」
「黒龍がよかった?」
「え?」
意外な問いに聞き返せば、浮かない顔をしてるからと指摘された。
「そりゃあ、白蛇様よりは」
「私のどこが嫌?」
「そのように自信ありげなところですかね」
「自信がある訳じゃないよ」
本当かどうか、怪しいものだ。
「…目が見えないのですか?あとさっき笑いませんでしたか」
「あれは…作り笑いが少し面白くて」
「失礼ですよ」
「ふふ。目は見えない訳じゃないけど、閉じてても見えるからなぁ」
「意味がわからないのですが」
「父譲りだよ。色素と一緒」
遺伝的なものなのか。私の高い毒耐性と同じ類のものらしい。
「いつから黒龍様と親しくなったのですか」
「母上と黒龍のお母様が仲好しだったから、3歳頃からたまに会ってたんだ。会えば一緒に遊んだし、悪戯をして怒られたこともある」
「黒龍様でも悪戯をなさるのですか!?」
それは知らなかったわ…!!思わず前のめりになった体を戻す。うっ…気恥ずかしい。がっついてしまった。
いや、おかしい。私はそこまで彼に思い入れがあっただろうか。でもこの嬉しさは!?この身の内側から沸き立つような興奮は!?
ハッ…!
これが…恋!?
気持ちが舞い上がったのも一瞬で、瞬時に地の底に叩き落とされる。
「嘘でしょ…自覚した時にはもう粉々だなんて…」
「…驚いた。まさか本当に好意があったとは」
失意の中にいる私に対して、神妙な顔をする白蛇様が、慰めるような声色で告げる。
「早い内に婚約が立ち消えてよかったね。まだ傷は浅いよ」
むかつく。微妙にその通りともいえるが、白昼夢がなければ婚約が成立していた。成立したあとに情報のすり合わせをして、仲睦まじい夫婦を目指したら良かったのよ。今はもう叶わない。全てが手遅れだ。この白蛇のせいで。
「あれ?待ってください。次に黒龍様とお会いするとき、どんな顔をしたら良いのですか!?」
どうしよう!?と両手で頬を隠す私に、白蛇様は呆れた顔を向けていた。
淡い一目惚れ+夢の感情