帰った女
「兄上!」「殿下!」
勢いよく転がり込んだ緑華と側近達に面食らった。
「呆けている場合ではありません!」
「紫蘭嬢が辺境に帰ってしまいますよ!」
「どういうことだ?」
「辺境伯が紫蘭嬢をお迎えに来られています」
「何だって!?」
「紫蘭嬢がお手紙をお出しになっていたようで」
急いで陛下の執務室に向かう。
「辺境伯!」
「これは蒼亜殿下。お元気そうでなによりです」
「そんなことはいい! 辺境伯は事情を知っているだろう! 紫蘭嬢を連れて帰るとはどういうことだ? 俺は認めないぞ!」
「お言葉ですが殿下。娘は、殿下に疎まれてまで皇城にいたくないと申しております」
「疎んでなどいない!」
「紫蘭は事情を知らないのです。つらいだけでしょう。娘は愛する妻の忘れ形見、泣かせてまで無理強いするつもりはございません。辺境に連れて戻り、私が娘の相手を探します」
「待ってくれ! 紫蘭嬢を連れて行くな!」
「ご容赦を」
「頼む、辺境伯!」
「では、蒼亜殿下。娘を愛しておいでですか?」
「ああ」
「さようですか。ならば猶予を差し上げましょう。娘は連れて帰ります。ですが、すぐには新しい婚約者を探さないでおきます。殿下が、次の妻の命日までにこの状況を覆せたら、あの娘を差し上げましょう」
「そんな!」
「殿下、妻の命日は冬の初めでございます」
そう言い残して、辺境伯は帰って行った。
目も合わさない紫蘭を連れて。
◇
「どうするのですか?」
緑華に翠鈴、側近達と、俺の執務室は満員だった。
「どう、と言われても会えぬのではな」
「かぁー、この朴念仁が。会えぬなら、手紙をお書きになれば宜しいでしょう?」
「兄上、手紙と一緒に贈り物をするのです」
「だが、何と書けばいい?」
「正直に紫蘭様をお好きだと、側にいて欲しいとお書きなさい!」
緑華と翠鈴が俺を叱る側で、側近達が、便箋と羽ペンを用意した。俺を運ぶせいで、筋肉のついた逞しい身体を寄せあって、贈り物の話し合いを始めている。
俺の為に必死な彼等に涙腺が弛んだ。
「わかった」
ひとりになって、手紙を書いた。
疎んでなどいないこと
最初は自分の結婚を諦めていたこと
紫蘭にも好かれるはずがないと諦めていたこと
あの女のことは誤解だということ
あの女との婚約には事情があること
愛しているのは紫蘭だということ
紫蘭に側にいて欲しいと思っていること
最後に、信じて待っていて欲しい、と。
だが、紫蘭からの返事は「お情けは要りません」ただそれだけだった。
諦めずに、3日と空けず、手紙を送った。
終いには、短い返事すら届かなくなったが、
それでも書いて送った。
秋が深まり、いよいよ時間がなくなった俺は、陛下の許可を得て、辺境に向かった。
国外視察だとあの女を欺いて。
「辺境伯、紫蘭に会わせて欲しい」
「おいでいただき恐縮ですが、娘は会わぬと申しておりまして」
「では部屋の前でいい、部屋はどこだ?」
「紫蘭、俺だ。開けてくれないか?」
「お帰りください」
「顔を見せてくれ」
「お会いしたくありません」
「………では、頼みがある」
「…………」
「今晩、お前が迷ったという森に来てくれ。お前が可愛がっていた、あの大蛇を連れて来た。会ってやって欲しい」
「お約束出来ません」
「頼む、最後の頼みだ」
それだけ伝えて、部屋を離れた。
「よろしいので? 蛇のお姿をお見せになるおつもりでしょう?」
「仕方ない。蛇の姿を明かさずに、私の心を信じて貰うことは不可能だ」
「承知しました。では、誰も森に近づかぬよう手配致します」
「ありがとう」
「……殿下、娘をお願いします」
頭を下げた辺境伯と別れて、俺は森へ入った。
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