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『隣人』

それはそれ、これはこれ

作者: 鈴木

「殿下をお助けしたのは私ではありません」


 執務の合間の休憩時を狙ってやってきた婚約者は、開口一番、毅然と顔を上げてそう宣った。

 その美しい顔の何処にも皺を寄せてはいなかったが、きつすぎるほどの眼差しが、ありありと不本意を主張していた。


「……知っている」


 執務机の椅子の背凭れに意識的に寄り掛かり、肘掛けに両手を置いた第一皇子は苦笑を浮かべて静かに肯定した。



 暗殺者の手を逃れ、川に流された皇子を救ったとして、婚約者候補の中で次点に甘んじていた侯爵令嬢は一気にその座を獲得した。

 ただ、それは暗殺未遂に絡むいざこざで政敵が失脚したからというのが大きく、ロマンス的なきっかけは建前に過ぎない。


 侯爵家に生まれた以上、当然の義務として政略結婚に否やはない。

 しかし、皇子に対し恋愛感情はなくとも、自身のものではない手柄を押しつけられた現状を真実として認識されているのであれば、この先、常に後ろめたさを抱いて接していくことになるだろう程度には敬愛の念があり、誤解の上に成り立つ関係に甘んじることをよしとしないプライドもあった。

 つまり、せめて皇子当人には真実を知っていて欲しくて、監視でもある実家の手の者が一時(いっとき)離れた隙にこうして執務室を訪れたのだ。



 今まで山中での救出劇に疑問を差し挟むことをしてこなかった皇子があっさり肯定したことで、婚約者の令嬢は軽く目を見張って喫驚を示した。


「ご存じだったのですか……」


 ならば何故、と続く言葉は流石に飲み込んだ。

 当時はまだ暗殺未遂に関わる何一つとして解決してはおらず、信じた振りをした方が都合が良かったのだろう。

 令嬢の実家も潔白とは言い難く、黒幕の候補とまではいかなくとも、無条件に信じられる立ち位置にはなかった。


「まあね。顔までは見られなかったが、声と後ろ姿は認められた」

「殿下をお救いした者がいたのですか?」


 それは初耳だった。

 毒は飲んだ振りで、実際には捨てていたから助かったのだということになってはいなかったか。


「いたんだよ。魔術師だろう。私が飲んだ毒をそのまま抽出するなどということが出来る者が、只人である筈がないからね」


 毒の件は確実に味方だと言える者にしか明かしていない為、知らない者は令嬢に限らない。その味方と目していた者に裏切られた結果なのだから、尚更、明かす相手は慎重に吟味した。今、婚約者に明らかにしたのは、現在に至るまでの遣り取りで信用に足ると判断したからだ。


「毒を抽出……ですか」


 ぴんとこないのだろう、少々幼げな表情(かお)で令嬢は首を傾げた。


「そう。見ていたわけではないが、体から何かが抜けていく感覚と、その後の魔術師の言動、胸元に入れられた瓶入りの件の毒、といった手掛かりから、そうだろうと、まあ推測したに過ぎないが」


 何処か己を軽んじる口調で語りながらも、それまでの苦笑とは異なる笑みを浮かべる皇子は他の可能性を考慮しているようには見えない。


「ですが、その魔術師はあの時、何処に……」


 令嬢の乗っていた馬車が道を誤って皇子の元へ辿り着いた時には、他に人影はなかった。

 皇子を助けたのであれば、手柄を誇示せずに立ち去るなどということがあり得るだろうか。

 その者にこそ、後ろ暗い思惑があったのではないのか?


 ―――この辺りの思考は、価値観の違いによる想像力の限界とも言える。

 皇家を(たっと)ぶ価値観を当たり前に持つ令嬢には想像もつかないのだろう。関わり合うのが御免だからと、自己主張もせず、自らが助けた、明らかに身分ないし財があると思われる相手の意識が戻らないうちに立ち去る者のいることに。


「私の意識が戻っていることには気づいていなかったようでね。君達が来る前に消え去ったよ。そもそも、あの者の独り言からすると、君達を私の許まで誘導した可能性もある」

「なっ……まさか」

「それだけの力がある、と思わせる魔力だった」


 真正の魔術師ほどではないが、皇子には人の魔力規模をある程度把握出来る能力(ちから)があり、意識が戻ってから間近に感じていた魔力の膨大さに、恐れと興奮で震えそうになる体を抑えるのにあの時は必死だった。――そこまでをこの場で口にするつもりはないが。


「……それほどの魔術師が何故、殿下をお救いしながら何も望まずに立ち去ったりしたのでしょう」


 魔術師は総じて自己顕示欲と自尊心が強く、かつ多くが金銭的に逼迫していたり、潤沢であっても研究の為に更なる金品を渇望していたりするものだ、という先入観が令嬢にはあり、皇子の語る魔術師の不可解な行動に、益々不審が尽きないようだ。


「それは私には分からない。ただ、惜しいことをしたとは思うよ。あの時、体が思うように動いていれば、稀少で強大な力を持つ魔術師と(えにし)が結べただろうに、とね」


 魔術師は諸刃の剣ではあるものの、上手く立ち回れば、その尋常ならざる力を利用し、様々な局面を有利に運ぶ為の格好の道具に出来る。


 命の恩人に対する感謝は、皇子にとって一面的なものでしかない。

 それはそれ、これはこれ、である。

 立場上、使えるものは何でも使う。


 令嬢に吐露した「惜しい」は諦めとはほど遠く、未だ己を助けた魔術師に未練があって秘密裏に捜索させてはいるのだ。今のところ、全く手掛かりを掴めていないが。


 魔術師が若い女であったことは、その声と、実は一瞬だけ垣間見えた横顔とから知ってはいる。

 しかし、探し求める理由に、甘酸っぱい感情は一欠片もない。


 万一、万万が一、多少なりの恋情が湧き起こっていたとしても、求めるものは愛人関係でしかなかっただろう。

 それが身分社会の、支配階級に属する者の当たり前の価値観だ。







覚書

第一皇子 リハルギット・ベルユード・オルナシル・セイディシドウィ

侯爵令嬢 ロルツェンカ・グレムレウダル

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