つばめと運命
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
はいはい、お待たせしたわね、つぶつぶ。女子トイレ、ものすごく人が並んでいて時間がかかっちゃったわ。男子は使い道によって分けられるから、回転も早いんでしょう。ちょっとうらやましいわね。
誰でも利用が可能な公衆のトイレ。一日の間にどれだけの人が、一つの便座を利用しているのかしら? 個人宅だったら絶対に考えられない頻度よね。そして隠しものをするときに、大勢の中へ紛れ込ませるのは常套手段。数ある中から特殊な一回を見つけ出すのは、とても難しいこと。けれど、出会ってしまった時の影響は得ようと思って、得られるものじゃない。
私も、学校のトイレをめぐって気味の悪い体験をしたことがあるの。つぶつぶ、この手の話、好きだったでしょ? よかったら、聞いてみないかしら?
小学生の頃の私は、「運命」というものを深く考えること、しきりだったわ。路上で死んでいる動物を見た時からね。近所の家が飼っている猫はぴんぴんしているのに、しょっちゅう行きかう車に轢かれただけで、あっという間に彼らはものいわぬ躯となってしまう。大勢の猫たちの中で、この運命を背負ってしまうことには、何か理由があるのかしらってね。
一度、考え出してしまうと、私の中に「なぜ」が後から後から湧いてきてしまう。どうして多くの生き物は呼吸、食事、排泄などを必要としなくてはいけないのか。ひいては、私たちの命ってどこから来ているんだろうって、考え始めちゃったの。
どう生きて、どう死ぬのか。あまり普段の生活では考えたくない、タブーな要素を含む命題だと思う。でも一度は、これに関して真剣に考えないと、自分なりの哲学は見えてこないと、私は感じているわ。
動物たちも同じ。彼らは何を考えているんだろうって、私は人間以外の生き物を目にするたびに、ぼんやりと考えていたわ。
そんなある時、私は生き物についてある異状に気がついたの。
まず、ここ数日間で、やたらと学校の敷地内でツバメを見かけることが多い。彼らは東西南北を問わず、疾風のように敷地内の空を切り裂いていくけれども、巣があるようには思えなかった。私は休み時間や掃除の時間に、彼らが巣を作りそうな箇所を徹底的に洗ってみたけれど、それらしい姿は見当たらない。
不審に思い、警戒を強めた私の前で、彼らの行いは更に奇妙さを増していく。よく見ると彼らはいずれも、口に何かをくわえていた。すれ違う一瞬でしか確認できないことがほとんどだったけど、彼らは皮の切れ端や、ミミズのような細い管のように見えたわ。
餌とするのであれば、そこまでおかしいチョイスとは思わない。でも、この辺りに巣がないことは確認済み。まさか人間よろしく、食材をみんなで持ち寄って鍋パーティーを始めるわけでもないでしょう。それでも、どこか落ち着いて食事ができるお気に入り空間が、この学校のどこかにあるのかな、と私は想像しちゃったの。
やがて気を抜いているのか、昼休みに他のツバメよりもゆったりと飛び、やはり口には餌らしきものをくわえた一羽が目に留まる。そいつは校舎のそばをふらつきながら飛んでいて、何かしら探し物をしているように見受けられたわ。
「何をしているのかな?」と不思議そうに観察する私の前で、ツバメは出し抜けに開けっ放しになっていた小窓の中へ、ひゅっと入り込んだの。
あまりの速さに、姿を消してしまったかと思ったくらいだったけど、ほどなく同じ場所からツバメが飛び出してくる。先ほどまでのふらつき具合がウソだったように、一気に加速。ぐんぐん小さくなっていく。
――もしかしてツバメの巣って、外じゃなくて屋内にあるとか?
十分に気を払ったとはいえ、それは屋外の話。まさか校舎の中で巣を作るとは考えていなかった。でも考えてみれば、地下鉄駅の通路に設置された蛍光灯の「かさ」に巣がひっついていたこともあるし、あり得ないとは言い切れない。
つばめの出入りを確認できたのは、遠目かつほんのわずかな間だけ。私はすぐさま調べたかったけど、午後の授業が始まるチャイム。教室へ戻らざるを得なかったの。
残りの授業を受けている時も、油断はならなかった。私がふと廊下を見ると、明らかに先生ではない、私服姿の大人の姿を見かけるようになったの。
その日は工場に勤める人が着るような作業服に身を包む、中年の男性だった。東西に広がる教室の前を東から西へ通り過ぎていったわ。ちょうどつばめが飛び込んだ窓も、ここから西よりのどこかだったはず。
――考えすぎだって。
当初は思っていた。つばめの奇妙な行動と、普段は見かけない外来者につながりがあるんじゃないかって、推理を組み立てることが。
けれど日を追うごとに、私の想像を裏付けるかのごとく、ゆるく飛んで窓に入っていくつばめを、よく見かけるようになる。彼らが持ち寄るものもじょじょにサイズが大きくなっていき、ついには湿布ほどに大きいものを持ち込み始めた。
大人の姿はつばめより頻度は落ちるけど、三日に一度は見かけていたと思う。あの日に見た中年の男性は氷山の一角。年齢、性別ともにばらつきがあって、お兄さん、お姉さんと呼べる年頃から、おじいさん、おばあさんと思われる年頃の人まで。みんなみんな、色は違えども、最初に見たおじさんと同じような作業服を身に着けていたわ。
何度も見かけるうち、つばめの動きも観察していた私にとってみれば、これはなかなかの大事な気がしてきてならなかったの。同時に、何をしようとしているのか、はっきりさせたいとも。
半月以上の観察を経て、私はついに計画を実行に移す。
つばめたちが出入りする窓は、いずれもトイレに面するものだった。ほぼ毎日、一羽は訪れる校内のトイレは、場所も階層も関係なく選ばれていたわ。
私はというと、ごくシンプルな作戦に出た。いつも行く女子トイレの窓を開けて、すぐそばの個室へ立てこもったの。
つばめをおびき寄せてその動向を探る。まずはそれさえできれば、私は満足だった。
個室へ入った私は、持ち歩いているウェットティッシュで軽く便座部分を拭く。大勢が使うトイレを使う時、私が必ず行うこと。誰かが汚したところへ知らずに腰かけるなんて、神経が許さない。
念のため2回、じっくりと拭いてから、そのまま便器の中へポイ。思い切り流してしまう。詰まる、詰まらない以前に、こんな汚いものは一秒でも持っていたくないという、本能から出る行動。これもまた、私にとってはいつものこと。
自分なりの清純を得た便座の上に腰かけ、私はじっくりとその瞬間を待つ。ひょっとしたら何日もかかるかと思った調査だったけど、今回は首尾がよかったわ。
休み時間終了10分前。戸は閉め切っていたけれど、窓のふちからかすかに「かりっ」と金属音。おそらくはつばめの足が着地した音。ほどなく、「こつん」と私の個室へノックをしてきたの。廊下から人が入ってきた気配はない。おそらくはつばめがくちばしで突っついてきているんだと思ったわ。
後は戸を開いて、つばめの姿を認めればオッケー。そう思って鍵を外しかけたけど、はたと手を止める。もしも戸を開くタイミングと、つばめがくちばしでノックするタイミングが重なってしまったらどうしよう、と。
いつもは開いているはずのドアが閉まっていることにイラついているのか、ノックは頻繁に、激しくなっている。身体全体でぶつかってきているんじゃないかと思うほど。下手に開けて突っ込んできたつばめとぶつかったら、ただじゃ済まない……。
腰を下ろしたまま躊躇する私に、つばめは先手を打ってきた。
トイレのドアと床の間にある、わずかなすき間。そこから身体をすぼめ気味に飛び込んできたの。「あっ」と思う時には、すでに口にくわえているものを、私にぎりぎり当たらない位置の便座の中へ落とし、今度はドアの上をすり抜けて窓からも出ていってしまう気配。
しばしあっけに取られていた私だけど、やがて我に返って便座の中をのぞいてみる。溜まった水の奥深くに潜り込んでしまったと思しきそれは、もうはっきりと姿を見ることはできない。ただ、茶色い土の煙らしきものが、じょじょに奥から水面へ伸びてきているのが確認できるばかりだったの。
私はすぐにトイレから撤退。休み時間が終わるまで、自分の席でじっとしていたけど、心臓のバクバクは収まらない。何か、とんでもないことに立ち会ってしまったような、そんな気がする。
そしてその日の午後も、また外来客らしき人を見つけた。今度は30そこそこの女の人。他の人と同じように教室を横切るかと思った彼女は、ここから見える女子トイレへ消えていく。昼休み、私が使ったトイレの中に。
ややあって、トイレの中から甲高い悲鳴と、バタバタと駆け出す音。私たちが何だろうと教室外を見やり始めると「じっとしているように」と、先生が授業を中断して外へ飛び出しながら、戸を律義に閉めていったの。
けれど、目を凝らしていた私には見えた。先生が戸を閉める直前、トイレから先ほどの女の人が飛び出してきたのを。その顔がトイレに入る時とは似つかない、緑色に染まっているのを。
「誰が、トイレに変なものを流しやがったんだ!」
大人の女性とは思えない罵声に、ドア越しでも私たちは震えあがる。わめきちらしていた彼女だけど、先生たちが押さえながら誘導しているのか、声はどんどん遠ざかっていき、5分後には先生が戻ってくる。ほどなく授業が再開したの。
以降、学校で外来の人を見かけることは少なくなり、後れて、つばめがトイレに入ってくることも、少しずつ減っていったわ。
彼らがつばめと何かを取引していたか、あるいはつばめが彼らと何かを取引していたか。いずれにせよ、私のあの一回が運命を変えてしまったんだと、時々、どうしようもなく空しく感じるようになったのよ。