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「猫に生まれ変わった?」
そんな言葉をすぐに呑みこめる訳がない。アメリーは混乱している僕に静かに語りかける。
『わたくしは、思いがけない死に際して、許されぬ思いを抱きました。命を終えても天の国には参らず、あなたの傍にいたいと……』
「なんでそんなことを。僕はあんなに酷い事をきみにしたのに!」
死んだ魂の救いは、天の国に行って安らぎ、時が満ちれば御神の尊い光に溶けることだ。小さな子どもでも知っているこの国の教えだ。この世に留まりたいという願いは神の摂理に反したもので、その者は獣に成り果てるという。ああ、まさか、アメリーは……。
『わたくしは悔いてはいません。御神の罰とも思っていません。再びあなたのお役に立てるよう、計らって頂いたのですわ』
「なんで、って聞いてる……」
『なんで、ですって? だって、シャルルさまはあの時、泣いてらっしゃったから。シャルルさまがわたくしをお見捨てでなかったと知って、わたくしは何がどうなっても、シャルルさまといたい、と思ったのですわ』
「アメリー。ごめん」
『わたくしこそ、今日までずっと、折角シャルルさまのお傍にいられるというのに、なんにも思い出さずに猫の心のままで過ごしてしまって申し訳ないと思っております。シャルルさま、死して獣に生まれ変わった者は皆、前世のことはわからないまま、獣としてその生を終えるものなのです』
寝台の上にちょこんと座った猫に、人間のような表情はない。でも、この猫は人の心を持ったアメリーなのだとはっきりとわかる。
『わたくしがアメリー・ベルトワーズとしての心を取り戻す事が出来たのは、主には、シャルルさまがずっとわたくしの名前をずっと呼んで下さっていたからです』
そうだ。僕がアメリーの猫の子を貰い受けてアメリーと名付けたのは、決められていた事じゃない。アメリーが自分の猫の子に生まれ変わった事も加えて、偶然が重なった奇跡かも知れない。
『ですが』
とアメリーは続けた。
『ただそのままでは、アメリーの心は、猫の身体のままでうとうとと微睡んでいたままだったかも知れません。生まれ変わった獣が前の生を思い出すなんて、聞いた事もありませんものね』
「じゃあ、何故? 何故思い出したんだ?」
『それは、今日、アナベルの名前を聞いたからですわ。わたくしを……アメリー・ベルトワーズを殺した者の名を』
アメリーの声は陰鬱な響きを帯びた。
「殺した……?」
アメリーは毒殺されたのかも知れない、とは思っていた。でも、伯爵令嬢のアナベルが殺し屋のような真似をするとは思っていなかった。アナベルは立場や身分を理解せずに僕に近付いて災厄をもたらした娘、それ以上でもそれ以下でもない……と僕は思っていた。
『アナベルは、わたくしが倒れた日の午前に、密かに訪ねて来たのです。彼女は、殿下は自分を愛していてわたくしとの婚約は破棄すると誓われた、とわたくしに告げました。わたくしは、殿下から直々にお言葉がない限りは貴女の言葉は信じない、と答えました。でも、わたくしはそう言い切る事は出来ても、やはり動揺していたのです。だってそれが嘘ならすぐにばれる嘘。なのにわざわざ言いにやって来るなんて、ほんとうなのかも知れない……と心の底で思ったのですわ。それで、他のことに警戒するのを怠り、彼女が持参した茶葉で淹れたお茶を口にしてしまいました。口に入れた途端におかしな味がして、そのままわたくしは倒れました。彼女は慌てたふりをして人を呼んでいましたが、人が来る前にわたくしに囁きかけました。『これでもう殿下に確かめる事は出来ないわね』と。殿下が来て下さるより先に、わたくしが死んでしまうと思ったのでしょう』
僕は衝撃を受けて、一瞬声が出なかった。でもすぐに言った。
「なんてことだ。すぐにアナベルを捕らえよう。裁判にかけて極刑にしなければ!」
『駄目です、シャルルさま』
「何故だ? きみにそんな事をした報いを受けさせなければ。ああ、聞かなければ知らないままだった……僕はなんて愚かなんだ」
『シャルルさま、調べてもわからない事だったのですからシャルルさまは何も悪くないですわ。アナベルはわたくしの侍女も買収か脅迫して、訪れた事を黙らせていたに違いありません。わたくしの事はもういいのです……二年以上も経って、なんの証拠もありません』
「きみの証言があるじゃないか!」
『猫に聞いたのだ、と仰るの? シャルルさまのお立場がなくなるだけです』
「……」
その通りだと認めない訳にはいかない。アメリーが猫に転生したのだとも、他人には言えない。前世の記憶を持って獣に転生するというのは、罪を犯した魂が彷徨った挙句の事だと一般的には解釈されるのだ。
『過ぎた事より、これからの事ですわ。アナベルを娶って良い事がある筈がないですわ』
「それはそうだが……」
『わたくし、シャルルさまに災いが降りかかるのを防ぐ為に、記憶を取り戻したのですわ、きっと』
「それはありがたいけど、こうしてまたきみと話が出来る方が僕は嬉しいよ」
アメリーはふわっと髭を震わせた。
『ありがとうございます……わたくしがシャルルさまを残していなくなったせいで、シャルルさまは未だおひとりとか。わたくしは本当に愚かでした。あんな者の言葉を真に受けてシャルルさまのお心を僅かでも疑うなんて』
「僕の態度がいけなかったんだよ」
『いいえ。でも、過ぎた事は返らないですわ。それよりも、アナベルとの婚約を阻止しなければ。わたくしに、考えがありますの』
そう言うと、アメリーは何故かすとんと床に降りて、まったく普通の猫のように、にゃあんと鳴いた。
「アメリー?」
『うまくいくかはわかりませんが、やってみて失うものは特にありませんわ』