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 彼女が死に憑かれた時、僕は彼女と仲違いしていた。

 原因は、僕の愚かさだった。


 僕はシャルル・オーレーズ、その時18歳。この国の王太子として、いずれは父の跡を継ぎ、国に一層の繁栄と幸福をもたらす者になりたい、という幼い頃からの理想を叶えるために、自分なりに研鑽してきたつもりだった。

 そんな僕を子どもの頃から傍で支えてきてくれたのが、彼女――僕の婚約者だった、公爵令嬢アメリー・ベルトワーズだ。

 同じ歳の彼女は、幼少の頃は幼友達として、10歳で婚約を決められてからは僕の将来の妃として、いつも傍らにあって、自らに課せられた教育は完璧にこなした上で、僕の相談相手、僕の癒し手であろうと努めてくれていた。僕たちの心は通い合い、愛し合っている――つもりだった。なのに、僕は他人の甘言に惑わされて彼女を傷つけてしまった。


 父が病床に伏して数か月。僕の執務の負担はそれまでの数倍に膨れ上がり、おまけに精神はひどく疲弊していた。父が倒れたのは毒による暗殺未遂の為で、僕も命を狙われる危険があったからだ。臣下は、アメリーの父親で宰相であるベルトワーズ公が束ねる国王派と、僕の叔父である王弟派に分かれて水面下で争っていた。父と僕を狙っているのは、王弟自身かその派閥の者と思われた。

 実の叔父から僕は憎まれていた。幼い頃は一緒に遊んでくれた事もあった朗らかな叔父だったのに、派手好きで怠惰な生活を父に諫められる事がしばしば起こり始めてから、兄弟の関係は悪くなった。清い水のような政を理想とする父を厭う貴族たちの派閥が叔父に取り入り、国は一枚岩でなくなってしまったのだ。


 倒れてしまった父の後継として、父のようにあらねばならないというプレッシャーは僕を追い詰めた。そんな時、アメリーはいつだって傍にいて僕を手伝い、欲しい言葉をくれた。


「シャルルさまは立派ですわ。陛下も心強く思っておられる筈ですわ」


 僕はただ、父のようにありたかった。小さなミスをしても、アメリーは本当は勝ち気で時には手厳しい事も言っていたのに、この時ばかりは優しく、その温かい手に癒された。


 でも……僕は、未熟だった。疲れ果てた心は、優しさに貪欲だった。

 伯爵令嬢のアナベルは、王弟派の家の娘だったが、僕を慕っていると言って、差し入れの手作りの菓子を持って来た。

 誰が考えても怪しい。父は王弟派に毒を盛られたのだ。アメリーも他の周りの誰もが、そんなものを口にしてはいけない、と言った。


「お疑いになるのも当然です。申し訳ありませんでした……どうかお捨て下さい」


 疑われ、涙して、それでも健気に弁明もせずに詫びて去ろうとする彼女の姿に、もしもこれが彼女の誠実であれば、それを疑った自分に王の資格はない、とまで思い込んでしまった。


 僕は皆の前でその菓子を食べ、結果的に、それはただの手作り菓子で、毒など入っていなかった。それで、僕はアナベルを信じ込んでしまったのだった。


「アナベルには良い噂は聞きません。父親がどうとかではなく、友人の令嬢から婚約者を奪って、その者とも別れ、また別の令嬢の婚約者を誑かしているとか」


 そんなアメリーの言葉が僕の癇に障った。


「噂だろう、そんなの? 婚約破棄された令嬢が腹いせにそんな事を言いふらしているのかも知れない」

「そうかも知れませんわ。でも、婚約破棄された令嬢はわたくしの友人ですし、そんな仕返しを考える性格でもありません。それに、真偽はともかく、そうした噂のある令嬢と親しくなさるのは、シャルルさまの益になりませんわ」


 至極真っ当な言葉なのに、僕はなんだか自由を奪われている気がした。


「まだ僕たちは結婚した訳じゃない。誰と友人付き合いをするかくらい自由にさせてくれ!」


 友人、と強調したのは本心だ。僕はアメリー以外の女性に浮気など考えた事もなかった。ただ……気心の知れ尽くした彼女以外の優しい娘とたまにでも、憂い事を頭から離して語らう時間を得られたら、と……本当にただそれだけだった。


 僕の言い方に彼女は悲しそうな顔をした。そんな表情は長い付き合いの中でも見た記憶がなかったので、僕は内心しまったと思った。別に大きな声を出す必要なんてなかった。謝ろうか、いやそれも大袈裟かも……そんな考えに迷っているうちに、アメリーは、差し出がましい事を申し上げてすみません、と小声で詫びて退室してしまったのだった。


 どうしてこの時、彼女を追いかけて詫びなかったのだろう、とどれだけ後悔してもし足りない。けれど僕は、こんなのはすぐに仲直りできる、と思った。何故なら翌週にはアメリーの誕生日が来るからだった。

 僕は密かに、彼女が以前から気に入っていた、花の形の宝石の首飾りを用意していた。以前に宝石商が持参した時、彼女は興味のないふりをしていたけれど、後から、あの花は子どもの頃に僕が花園で摘んで贈った花だと侍女に話しているのを聞いた。彼女は贈り物に関してはいつも遠慮がちだったけれど、誕生日に贈る品なら問題ない。来年には僕の妃になる彼女に、大輪の首飾りは良く似合う筈だ。きっと喜んで、小さな諍いの事なんて忘れてしまうだろう、と思った。

 ――後から思えば、僕は無意識にこう考えていたんだ。彼女が伯爵令嬢の事に文句を言ったのは、可愛い嫉妬なのだと。誰が僕にとって何よりも大切なのかを示せば、それで僕たちは更に信じあえるようになるだろうと……そんな愚かな事を思っていたんだ。アメリーは純粋に、僕の益を考えて、付き合う相手を選べと助言してくれただけだったのに。


 でも、誕生日が来る前に、ほんの数日の間におかしな事になった。アメリーがアナベルを苛めていると噂が立ったのだ。僕が密かにアナベルを想っている事に立腹したアメリーが、身分と立場を振りかざして、か弱いアナベルに嫌がらせをしていると。

 馬鹿馬鹿しい、としか思わなかった。曲がった事を厭うアメリーが陰湿な嫌がらせなどする訳がない。本当にアナベルに怒っているならば、皆の前、僕の前で論理的に諭す筈。

 けれど、アナベルの菓子を受け取って以来、何かと僕に近付いて来るアナベルの兄は図々しく僕に言った。


「妹はアメリーさまの仕打ちで可哀相に寝込んでしまいました。失礼は承知で申し上げますが、あのような酷い仕打ちをなさる方がシャルルさまのお妃になられるとは、国の先行きが不安です」


 僕は怒り、僕の婚約者を侮辱するとは何事か、謝罪せぬと罰するぞと叫んだ。けれど彼は引き下がらなかった。


「私は、妹の為でなく、殿下の御為に申し上げているのです! お気に召さなければ、どうぞ首を刎ねてください!」


 何故そんな事を言うのか、理解出来なかった僕は馬鹿だった。全ては王弟派の陰謀だった。彼の言う通りに刑を与えようとすれば、私情で忠臣を殺めようとする愚君の評判が立ち、そうしなければ、やはり噂は本当で、アメリーとの婚約を破棄してアナベルを娶る心なのだと思われる。そうしてアメリーに圧力をかけて、ベルトワーズ公爵の悪評も流して、破談にもちこむ。そういう意図だったのだ。

 僕はただ、厭わしいと思い、アナベルの兄に、謝罪しない限り蟄居だと言い渡しただけだった。それで、相手の目論見通りに、僕がアメリーとの婚約を破棄する気持ちなのだと言う噂が流された。


 僕は王弟派から暗殺される危険に晒されているが、歩み寄ればその危険は回避されるかも知れない。病床の父王が最も信を置くアメリーの父ベルトワーズ公との縁を切り、王弟派の娘を妃にする。そうして、王弟の傀儡の王として生きる――そんな策を僕が採る事があるなど、思われただけでも僕の不徳というものだが、とにかくそんな噂がまことしやかに囁かれ、僕が知らないうちに、それはアメリーの耳にも入っていたらしい。

 気丈な彼女と言えども僕との諍いの後だっただけにふさいでいた……とは全ての後に彼女の侍女から聞いた。彼女は体調不良と言って二日ほど登城しなかった。僕は見舞うべきだったけれど、ややこしい案件が積もって殆ど寝る間もなかったし、誕生日パーティは予定通りに行われるという話だったので、そこで労わろうと思ってしまった。

 実際、この時まで彼女の不調は気鬱だったのだけれど、誕生日の前夜、急変した。


 知らせを受けてベルトワーズ邸に飛んでゆくと、アメリーは危篤だった。


「……シャルルさま……」


 僕が寝台の傍で膝をついて力のない手を握ると、アメリーは弱々しく目を開けた。美しい顔には驚くほど血の気がなかった。


「来て下さったの……でも、いけませんわ……もしも、うつる病だったら……」

「関係ない! うつったって、一緒に治れば問題ない。元気を出せ、アメリー。僕にはきみが必要なんだ」


 僕に必要? そうじゃない、それだけじゃない。違う言葉はなんだ?


「僕がきみを幸せにしたい。だからこんな病に負けちゃ駄目だ!」

「シャルルさま……」


 彼女の瞳から涙が流れた。


「わたくしを、憐れんでくださるのね……でも、嬉しい……」

「憐れむってなんだよ?! きみが必要なんだって、言ってるだろ! さあ、元気を出してくれよ!」

「……。シャルルさま……わたくし、もう、苦しくて、生きていられるとは思えません……。ほんとうは、このまま、シャルルさまのお優しいお顔を見ながら、逝きたい。でも……言わせてください」

「なに? なんでも言えばいい。いつでも、いつまでもさ!」

「アナベルは、駄目です……殿下のお命を……縮めます」

「アナベル? 何言ってるんだ、そんな奴はどうでもいいよ!」


 僕の言葉に、アメリーは少し目を見開いた。


「でも……わたくしと婚約を破棄して、アナベルを娶られるのでは……?」

「そんな下らない噂を気にしていたのか。ごめん、ごめんよ……」


 急に涙がこみ上げて、言葉が途切れる。アナベルを悪く言えば僕が怒って帰ってしまうと思ったのか。それでもなお、苦しみながらも僕の為に忠告しようとしてくれたのか。


「あした。誕生日パーティで、きみの好きな花の首飾りを贈って、皆の前で言うつもりだったんだよ! 僕の妃は、僕の愛するひとは、きみだけだよって! なあアメリー、こんな病に負けちゃ駄目だ。パーティは延期かも知れないけど、元気になったら、天気の良い日にやり直すんだ。僕が首飾りをつけてあげるから」

「シャルルさま」


 アメリーは、震える手を持ち上げて僕の頬に触れた。


「ほんとうに……? お心変わりではないの?」

「当たり前だろ!」


 でも、僕の言葉が聞こえたのかはわからない。アメリーは小さく痙攣した。


「しゃ、シャルルさま」

「うん?」

「来て下さって、う、うれしい。わた、わたしも、ほんとうに、シャルルさまを」

「アメリー」

「泣いてるのですか。いけません、王となられるかたが……」


 僕の顔は涙でくしゃくしゃだったと思う。この時にはもう、アメリーは、愛しい人は、助からないのだと感じていたから。


「アメリー!!」

「シャルルさま……わたくし……」


 ふうっとアメリーは最期の息をついて。


「あなたの妻になりたかった」

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