草斑1
まだ神々と人が同じ言葉を話していた頃。四海で最も巨きな大陸に、一人の少女と、一人の男がいた。
蒼穹に舞う飛ぶ鳥の姿が映える晴天の下、二人は馬車で旅をしている。
馬を駆る少女は名をサララ・ナルガザン・エルフィリアといい、クセのある長い金髪が美しい家出中の姫君である。
男は名をジャレッドといい、興奮して爆走する馬の手綱を命綱代わりに握りしめ地面を引きずられていた。
「があああああああ!」
「ごめんジャレッド! こら止まれ、止まれって!」
馬の背に乗るサララが焦り混乱して鞭を入れるたび、ますます馬は加速していく。荒れた交易路を馬車が激しく跳ね、固定されていない荷物がいくつか転げ落ちた。
「殺す気かああああ! やめろ! 手綱引け!」
「手綱!? えっ、ジャレッドが握ってるの以外にあんの!?」
「……無かった! とりあえず、鞭は、やめろ! 死んじゃう! 摩り下ろされる!」
サララが鞭を抱きかかえおろおろしている内に、馬は少しずつ速度を落として並足になった。ただでさえボロボロのマントと手袋を更にボロボロにして馬車の上に戻ったジャレッドは、萎びた海藻のような黒髪についた土を払い落とし、全身の打ち身と擦過傷を触り小さく呻いた。
サララは怒られるものとびくびくして身を縮めた。
「あの、ごめんなさい……」
「誰にでも間違いはある。サララは馬に乗った事なかったんだろ? 仕方ない。俺の指導も悪かった」
「そ、そうか? 良かっ」
「ただそれはそれとして俺を殺しかけた罰は受けてもらうからなぁ……!」
ジャレッドは目に怒りを燃やし凄んだ。痩せた頬に無精ひげ、傷だらけの顔。追い詰められて凶行に走ろうとしている乞食のような、何を言い出すか分からない恐ろしさがある。サララは泣きそうになった。
「泣いて謝っても遅いぞ。いいか。おやつの、チーズは、一かけらも、やらん! 水でも飲んでろ!」
「あ、はい」
涙は引っ込んだ。ジャレッドは報復が甘過ぎた。
ジャレッドはぶつぶつ文句を言いながら魔力を傷に集中させる。すると痣や擦り傷が目に見える速さで癒えていった。魔力は魔法の源になるだけでなく、生物の持つ抵抗力や回復力を高める効果がある。従って魔力が減れば怪我や病に弱くなり、逆に集中させれば爆発的に回復力を高める事もできる。
回復に魔力を使ったジャレッドは腰に下げた袋から奇石を出して齧った。当然だが、魔力は使えば減る。魔力を回復させるためには魔法的栄養である結晶体、奇石を摂取する必要がある。肉を食べて腹を満たす事で体力を回復させるようなものだ。
「私にもくれ」
「少しだけな」
「……まずっ」
サララは貰った奇石をひと齧りして吐き出した。いつも食べていた奇石よりもざらついていて、砂利のようで、エグ味が際立っていた。荷台に寝転び編隊を組んで飛んでいく鳥の群れを眺めていたジャレッドは足の先でサララの背中をつつく。
「おい、吐くなよ」
「だって味が変だったぜ。こんなの食べたら腹壊すわ」
「あー、サララは良いモン食ってたんだな。平民が食べてる奇石はこんなもんだ」
「えー。体に悪そう」
率直な感想にジャレッドは嫌な顔をした。
「そういう偏見が善良な医者を牢屋にぶち込む原因になるんだ。この際がっちり教えてやる」
「がっちり。それ面白い?」
「死神も笑うぐらいには」
サララが聞く姿勢をとったのを見て、ジャレッドはうむ、と頷いて講義を始めた。
「そうだな、まずは基本的なところからいこう。人は体に三つの魔力器官を持つ。
魔力を消化吸収する臓器「石溶」。
魔力を視認する瞳の色彩「月瞳」。
魔力を消費する第二の骨「影骨」。
この三つだ。このどれかが不具合を起こす事によって人は病む。
俺達が普段食べてる奇石は魔力が含有されている。食べた奇石は石溶で消化され、魔力が吸収される。魔力以外の不純物は普通なら分解排出されるんだが、石溶が不具合を起こすと分解されそこなった不純物が体に引っかかって、その不純物を核にした魔力の結晶ができる。これが晶腫だな」
「知ってる。もう聞いた」
早くも退屈さを滲ませたサララに豆知識を披露する。
「じゃあ晶腫は食べられるって知ってたか? 成分は奇石と同じだぞ」
「えっ……何それこわい」
「ま、確かに病巣を食べようなんて普通は思わない。だが出処不明の極大奇石の半数は晶腫らしい。天然の極大奇石なんてなかなか見つからないからな。見た目じゃ区別難しいし。医者が患者から切除した晶腫を奇石だって言って市場に流すなんてよくある事だ。俺もやった事ある」
「お、おもしろーい……」
王城で供され何の疑問も持たず食べていた奇石のうち、一体どれが晶腫だったのか。怪談扱いされていた姫をして、ちょっとした怪談だった。
「話を戻すぞ。晶腫だろうが天然だろうが、不純物が無いほど奇石は旨い。旨かろうが不味かろうが奇石は石溶で消化され、凝縮された魔力として影骨になって蓄えられる。影骨は分かるな? 実体の骨に重なって存在する魔力の骨だ。この骨を溶かして魔力に還元して、魔道具に注いだり、励起させたりする事で魔法を使える。が、医者は魔法はあんま使わない。影骨を溶かさず影骨のまま使うのが重要だ」
そう言って腕を振ると、残像のように半透明の骨の腕が現れる。本物の骨から色が抜け落ちてできた精巧なガラス細工のようで、輪郭がはっきりしている。サララも影骨を出したが、輪郭がぼやけて宙に溶けているようだった。骨の関節も霞んでわからない。固まれ、固まれ、と念じてみるが影骨はもやもやしたままだ。サララは唸った。
「どうやって固めるんだ」
「練習あるのみだ。影骨がはっきりしてるほど霊精刀とか呪楔を掴みやすく動かしやすい。だから医者は影骨を見れば手術の腕が大体分かる。『霞の影骨、魔法の骨』って言うだろ? 魔法は影骨を素早くなめらかに溶かして魔力に還元するのが基礎だから、医者はちょうどその反対だな」
「ならジャレッドは魔法ド下手くそなんだな?」
サララが振り返ってニヤニヤすると、ジャレッドは舌打ちした。
「霊精刀と呪楔の扱いは上手いぞ。次! 月瞳! 魔法感知器官だ。
月瞳は別名瞳孔ともいう。『月』瞳っていうぐらいだからな、人によって新月みたいに月瞳が見えないほど細い奴もいれば、満月みたいに丸い奴もいる。月瞳は丸ければ丸いほど性能がいい。線並に細ければ魔力はほとんど見えない。奇石を見るのも難しいぐらいだ。逆に真円なら肉体を透かして魔力、魔力器官だけ見るのも自由自在だ」
「……ああ、だから最初に会った時すぐ私が晶腫だって分かったんだ」
「良い目だろ?」
そう言って笑うジャレッドの黒い瞳は真円を描いていた。最高位の月瞳、円瞳である。最高の目に、最高の腕骨。紛れもない名医であった。
続くジャレッドの教えをサララは笑い、茶化し、驚き、楽しんで聞いた。遍歴の医者の知識は深く、説明も実体験や実演を交え分かりやすい。話がひと段落した時にはサララは自分が医者の端くれになったような気すらした。
「今の話覚えとけよ」
「えー。面白かったけどそのうち忘れそう」
「いや覚えろ。ああそうだ、サララには全部覚えて俺の助手になってもらうか」
「ふぁっ!?」
サララは驚いて飛び上がり、飛び上がったサララに馬も驚いて嘶き、嘶いた馬にジャレッドも驚いた。
「助手? ジャレッドの? 医者の勉強なんてした事ないぜ?」
「だから今勉強させてるんだろ。勉強して、俺の助手やってくれ。それをサララの手術の報酬にする。一昨日の馬鹿みたいな超長時間耐久手術で助手の必要性を痛感したからな。サララを助手にする。決めた。今決めた」
「ええ……本気か?」
「文句あるか?」
「いや、ないけど……」
助手が必要というのは、確かにそうだ。今でこそ一晩爆睡して奇石も食べてかなり回復しているが、王城を出たばかりのジャレッドは睡眠というより昏睡状態で、相当な無理をしていた事が一目瞭然だった。助手がいれば負担は軽減できたし、あるいは途中でほんの数分、一息入れる時間ぐらいは作れたかも知れない。
しかしその助手にサララを抜擢する必要があるかといえばそんな事はない。
ジャレッドは一国の王族の治療を一手に担う、国家最高峰たる典医を凌駕する名医だ。評判が最悪だとは言っても、実態を知れば跪いて弟子入りを乞う者は必ずいる。そういった既に医学の心得がある者を差し置いて、全くの素人であり曰くつきのサララを助手として育成するのは全く非効率だった。
助手にするという事は報酬要求であるが、専門知識を無料で教えるという事でもあり、全てを失い出奔したサララが身を立てる術を学ばせて貰うという事でもある。これでは報酬の体を取った情けだ。
なのだが……
「おっ、また鳥さんだ。今日は多いな、もう渡りの季節か?」
亡者か乞食かというみすぼらしいやせこけた髭面でのほほんと空を見上げているジャレッドを見ていると、サララは真意が分からなくなった。単に助手が欲しいと思い、たまたま近くにいたサララに何も考えず思いつきで言ってみただけなのかも知れない。
何にせよ、ジャレッドは命の恩人である。その頼みなら喜んで応えるまで。
しかしその前に、荒野を貫く交易路の先に関所が見えてきたため、サララは馬車の速度を落とそうとしたが手綱を強く引きすぎて急停止させた。もんどりうって馬車から落ちたジャレッドが口から土を吐き出した。
「サララァ! お前っ、この下手くそ! もう許さんぞ、バターも抜きだからな!」
「ほんとごめん、でも関所が見えたからさ」
「ああ? なんで関所で止まるんだ。行けよ」
「なんでって、さっきから伝声の鳥がバンバン飛んでるじゃんか。関所に私達の事知らされてない訳ないぜ。あそこ越えれば隣のキオ共和国だけど、まあ越えさせてもらえないよな」
「……あー、道理で鳥が多いと思った。いや知ってたぞ?」
サララは曖昧に笑い、渡りの季節かな、などと言っていた事には触れないでおいた。
キオ共和国はエルフィリア王国の北方に位置する山岳国だが、両国は仲が悪い。建国の頃から数百年もの間、数年から数十年おきに領土を奪ったり奪われたりを繰り返している。
一度国境を越えキオ共和国に入ってしまえば、敵国たるエルフィリア王国に親切に指名手配者を引き渡す事はない。当然、エルフィリア王国もそれは分かっている。国境を越えるまでが勝負だった。国境を越えた後の計画は無かったが。
「どうする?」
「事情を説明して通してって言ってみたらどうだ?」
「三文字喋る前に捕まるな。そういう王令出てるだろうし」
「なぜだ。王令があってもクソ親父から逃げてきた娘を何も聞かずにとっ捕まえる奴なんているか? 他人の空似かも知れんし話聞いて確認ぐらいするだろ」
老け顔にアンバランスな純粋な目で、心底不思議そうに首を傾げる。権力による道理を無視したゴリ押しは想像の埒外らしい。
世の人間が皆ジャレッドのようであれば、戦争も不幸もないだろう。旅慣れているはずのジャレッドより、王城から出たばかりのサララの方が世渡りのなんたるかを知っているのはどういう事なのか。
サララはジャレッドの痩せた体を改めて見て、もしかしたら食べるものにも困るような旅暮らしをしてきたのではないか、と不安になった。
自分がしっかりしなければと気合を入れ、考えながら言う。
「とにかく説明して通してもらうのは無理だ。んー、賄賂、は、難しいな。私達を捕まえたらかなり高い褒賞が出るだろうし、国の褒賞より高いモノなんて出せない」
「シララ姫にナシつけてくれるように頼んだらどうだ。姉貴だろ」
「姉様は優しいけど、正面から王の意向に逆らう人じゃない。ジャレッドに自分を治してって頼むのも相当迷ってたし。まあ推薦したのは私なんだけど」
「やな家族だな。親父に文句も言えないのか」
「王族なんてそんなもんだよ。あと姫の命令より王の命令の方が強いからそもそも姉様に頼むのは無理。関所を避ける……夜を選んで……いや……んー……ジャレッド、旅暮らし長いんだろ。今まで同じような事なかったか? 関所を通らないといけないのに通れない時」
「ん? あった」
「おおっ。その時ってどうした?」
「捕まった」
「…………」
そもそも悪名が広まっているにも関わらず馬鹿正直に名乗って牢に入れられた医者である。妙案を期待するだけ無駄だった。ジャレッドが全く役に立たない事を再確認し、サララは一人で悩んだ。
結局、変装して通る事にした。
ジャレッドは無精髭を剃り、髪を切って揃え、油を塗りたくってオールバックに整えた。草木の絞り汁で髪の色も緑に変える。換えの服は無かったので服はそのままで、油と草木の臭いが酷く、落ちぶれ果てた市民か商人かという印象になってしまったが、とりあえずジャレッドには見えなくなった。
サララはまず水袋の水を轍の跡にぶちまけ捏ねて泥を作り、その上でめちゃくちゃに転げまわって全身を汚した。美しく整えられた金髪は無残に絡まり泥に汚れ、化粧要らずの白い肌は擦り傷だらけになる。
更に上等な布で織られたドレスローブを歯で食い破り、裂いてバラバラにした後、雑に結び合わせて服を着ているというより布を被って縛っているだけというような酷い装いになった。姫には見えない。お転婆が過ぎる田舎娘といった様子だ。
一連の変装を全く躊躇せずやってのけたサララをジャレッドは驚愕の目で見ていた。
「女子ってもっと汚れるの嫌がるもんじゃないのか? なんでそんな手馴れてるんだ」
「婆やに教わった。サララは王国の守護神になるんだから、泥を啜り這いつくばっても再び立ち上がる事を覚えないといけない、って」
「凄いな婆や」
「本当に泥食わされた事もあるし。泥まみれになるぐらいなんてことない」
「……凄いな婆や」




