不穏な影・3
ネグリート砦を過ぎて行けば、結界に護られた王都のひときわ高い古びた城がほどなくして見えてくる。
白い石畳に足を踏み入れればまるで外界から切り離されたように、荘厳で情緒溢れる町並みの城下が彼等を受け入れた。
「フォンダンシティに寄りたかったなぁ……通り道じゃないけど」
靴音を立てながら、少し残念そうにリュナンが呟く。
「なんじゃ? パシリ生活が恋しくなったかの?」
「そっ、そういう訳じゃありませんけど……一時期毎日のように聞いてた怒鳴り声も、しばらく聞かないとなんか調子狂うっていうか……」
ごにょごにょと歯切れの悪い返答を、オグマが補う。
「そうだな、私も顔が見たくなった。ガトー殿、元気にしているだろうか」
控え目でぎこちないながらも微笑む目元は優しく、遠く離れた父親がわりの鍛冶職人を想っているのがよくわかる。
見た目に反して懐に飛び込めばあたたかな強面に、すぐにでも会いに行きたいのはやまやまだが、カッセに届いた報せの意味が気になってまず王都を訪れた一行。
あの小さな身ひとつで海底洞窟を通って一足先に王都を目指していった彼は今はどこにいるのだろうか、姿など見える訳もないだろうが辺りを見回してみる。
「……オグマ、もし城に素性の知れない奴が潜り込んだらどうなるんだ?」
「え、ああ、それはもちろん騎士団が警備しているからそう簡単にはいかないだろうが……――ッ!」
ぞくりとした感覚が背筋を駆け上がり、オグマの言葉を止めた。
「生きていたか、運の良い奴だ」
「アンタは、あの時のっ……!」
黒ずくめの衣服、青褐の髪に白銀の仮面で顔の上半分を隠した、一度見たら忘れられない風貌の青年。
途端にリュナンの顔つきがいつになく険しくなり、オグマを護るように前に出た。
「おいリュナン、コイツがそうなのか」
「ええ、そうですよ……訳わかんない事言いながら旦那を襲って、殺そうとしたのは!」
当時のことが甦ってか、殺気を放つ彼の声は若干震えて、上ずっている。
しかし仮面の男はそれも意に介さず、氷の矢で射るような視線をオグマに注いだ。
「安心しろ、今はまだ殺さない……気が変わったからな」
「なん、だと……」
「お前には全てを奪われる苦しみを受けて、絶望して貰わねばならない。そのためには、すぐに死なれては意味はない」
抑揚の少ない声音で淡々としているのに、奥底に渦巻く憎悪が滲み出ているのがわかる。
ただ、オグマには彼と以前に会ったことも、ましてここまで憎まれるような覚えもない。
「待ってくれ、私は君に何かしたのか? ……すまないが、墓地で会ったのが初めてのように思えるんだが」
「ああそうだ初めてだ。そしてお前は何もしていない」
じゃあどうして、とフィノが疑問を口にすると、仮面の奥の冷ややかな瞳が僅かに揺らいだ。
「オグマ・ナパージュ……お前が存在している限り、俺は……」
「グラッセ隊長ー!」
緊迫した空気に割って入ったのは、若い騎士だった。
飛び込んでから一触即発な状況に気付いたらしく、不安そうにグラッセ……仮面の男とデュー達を交互に見るが、
「な、何か、取り込み中でしたか?」
「……問題ない。今行く」
グラッセは踵を返すと、騎士を引き連れて去っていった。
「…………」
暫しの沈黙から緊張が解け、思わず大きく息を吐いてその場に脱力するリュナン。
「ぶはぁ、なんなんですかアイツ……グラッセとか呼ばれてましたね。あんなのが騎士なんですか?」
「騎士団にいた頃は全くそんな名前を聞かなかったが……見た所、私が抜けた後に入ったのかもしれないな。少し若いようだった」
考えれば考えるほど謎は深まるばかりで、オグマが首を傾げていると、
「あとあれ仮面で見えないけどそこはかとないイケメンオーラを感じるわね」
というイシェルナの真剣な言葉に目を瞬かせ、リュナンとシュクルがずっこけた。
「イケメン、オーラ?」
「あ、姐さん、注目するのそこですか……」
「あらん、大事じゃないかしら? けどまあ、いくらイケメンでも粘着質さんはちょっとねえ……」
あれだけのことがあってもバッサリと片付ける彼女に、呆れるやらある意味すごいやら、とデューが乾いた笑いを洩らす。
とっくに完治しているはずの刺された箇所が疼いたように感じ、そっと手をあて溜め息を吐くオグマ。
王都に吹く風が、青褐の長い髪をそっと撫でた。