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黒魔女は休みたい。


 窓から差し込む透き通るような太陽の光が、ミーシャの寝室を照らす。既に太陽は昇り始めて、朝に響く鳥の囀りはどこかに消えていた。

 午前十時。だんだんと熱くなる、夏日の日差しが降り注ぐ。

 そのけだるい暑さの中だというのに、ミーシャは未だベッドにくるまっていた。偉大なる黒魔法を使うミーシャは、どの季節でも掛け布団がないと寝れない性質の黒魔女であった。薄手のシーツからひょっこり頭を出すと、ミーシャがうずうずと体を震わせる。


「ぶぇっくしょへぇーぃ!!!」


 屋敷が揺れるかと思うほどの轟音を鳴り響かせて、ミーシャはずる、と鼻水を啜った。だるい体を無理やり動かしてベッドの横に置いてある小瓶を掴むと、目を瞑ってその中にある緑色の液体を一思いに飲み干した。

 中々に奇抜な緑色に染まった舌をおえー、と晒しながら、ミーシャが小瓶を宙へ放り投げる。魔力を与えられてふよふよと浮かび始めた小瓶は、ミーシャの寝室に備えられた醸造台へと吸い込まれるようにして入り込んだ。


「うう……なんでこんなこと……」


 机の上の材料をベッドの上から魔法で操作して、ミーシャが忌々しく呟く。ずきずき痛む頭を押さえながら、ミーシャは事の顛末を思い出そうとしたが、普通にアイスを食べながら半裸でヘソを出して寝ただけだったのですぐに終わった。女子力もあったものではなかった。


 乾燥させた薬草とキノコをすり潰し、水に溶かしながら熱を加えていくが、思ったよりも手元がおぼつかない。水差しの動きはふらふらと心配になるほどで、かき混ぜ棒の動きも何かに引っかかるようで、ミーシャは眉間に皺を寄せながら自分の頭を押さえていた。


「やっぱ調子でない……仕方ないわね……」


 ため息を一つこぼすと、ミーシャは手の内にいつもより小さな杖を取り出した。調合を続けながらミーシャがそれを天井に放り投げると、すとん、と音を立てて小さな杖が突き刺さる。魔方陣は小さく広がり、ミーシャはそれに向かって小さく呟いた。


「おいでませ、エリクシア……」


 ぴちょん、と澄んだ水滴の音が鳴り響く。

 杖の突き刺さった天井は波打つ水面のように揺らめき、その中心から一輪の巨大な白いつぼみが顔を出す。閉じた傘のような形をしたそのつぼみは、ミーシャの真上に茎をのばすとゆっくりと花弁を開きはじめた。

 中から現れたのは、一人の女性だった。上から垂れる長い髪は明るい銀に染まり、瞳を閉じたその表情は儚げに映る。身に纏う白の布をゆらゆら揺らしながら、その女性はうすい瞼を開く。


 エリクシア。全てを癒し、慈愛で包み込む施しの女神である。


「わぷっ」

「ぅげぇ」


 どういう訳か逆さに呼ばれたエリクシアは当然、重力に従ってベッドに落ちる。エリクシアの可愛らしい声とは正反対に、急に体を潰されたミーシャは中年のおじさんがえづいたような悲鳴をあげた。


「ううー……ミーシャさん、おはようございます~……」


 薄いシーツから顔を上げたエリクシアが、欠伸混じりにその緑の双眸をミーシャに向ける。そしてぷるぷると震えているのを見つけると、エリクシアはがばりと身を乗り上げて、ミーシャの額に手を当てた。


「え、エリ姉……」

「大変ですミーシャさん! カゼ引いてるじゃないですか! 急いで治療しないと!」

「そうなの……だから……」

「ええと、あ、醸造はもうできてるんですね! それじゃあ後は私に任せてください! バッチリ回復してみせますからね!」

「うおお……! 頼もしいな……!」


 体の上にのしかかる重圧にミーシャの喉がだんだん掠れていく。はっきり重いとは言えずにうすら笑いを浮かべながら返事をすると、エリクシアはミーシャの身体の上を四つん這いで歩いてベッドから降りた。女の子の体って普通に重いし痛いんだな、とミーシャは思った。

 

「ええと、トビエグサにノラヒダケ……? なんで霧の粉まで入れてるんですか?」

「あれ……? 違ったっけ……」

「はい、全然違いますけど」

「……言われてみれば、違うかも」


 これは相当頭がやられているらしい。こんな簡単な風邪薬の調合すら忘れてしまったとなると、エリクシアを呼び出せたことすら奇跡に等しいだろう。そんなことをぼんやりと考えながら、ミーシャは未だに波のうつ天井を見上げた。

 こぽこぽ、と静かな泡立ちの音と薬草の香りが部屋を包み込む。すこし苦い、喉の奥に届くような薬の匂いに、ミーシャは少しだけ顔を歪めた。そして同時に、風邪薬のあの苦い味を思い出す。


「はい、ミーシャさん。風邪に効くのはヒラノダケとキリガクレの調剤ですよ」

「う……ありがとう……」


 ゆっくりとベッドから身を起こし、ミーシャがエリクシアから先ほどよりも少し薄い緑の液体の入った小瓶を受け取る。瓶口から香るきつい匂いに眉をひそめながら、ぐい、とそれを煽る。かさかさになった口の中に、キリガクレの青っぽい匂いとヒラノダケのぬめぬめした粘液の香りが広がった。

 

「エリ姉、ごめんねこんなころろっおぼろろっろぬぼぉろろっげぇぽ」

「ミーシャさん、吐きながら喋らないで下さいね?」


 びちゃびちゃと零れる緑色の液体に、エリクシアが少し怒ったように声をかける。既にゲロに耐性ができていたミーシャは、もう一度目をつむり、緑色の粘つく液体を喉に通した。スライムを呑んでいるようだった。

 やがて飲み干したガラスの小瓶から口を離し、ミーシャが眉をひそめて腕をエリクシアに差し出す。とても他人には見せられないような顔のミーシャの手から小瓶を受け取ったエリクシアは、にっこりと微笑んだ。


「これでもう大丈夫ですからね。あとはしっかり寝てください!」

「うん……ごめんね、エリ姉……」

「謝る必要はないですよ。そのために私は呼ばれたんですから」


 全てを癒す施しの女神は、黒の魔女に優しく微笑む。自らの主の姿に従者はできる限りの手を尽くし、その手を金に輝く髪へと伸ばす。


「ミーシャさん、後は何かして欲しいことはありますか?」

「それなら、実は……」


 と、ミーシャが言いかけた時だった。

 その声を遮るようにして、呼び鈴のベルが音を立てたのは。


「お客さんですかね? 私行ってきます!」

「あ、いや、エリ姉っ」


 白い髪を揺らして、エリクシアがドアを開けて廊下へ向かう。そしてドアのぱたんと閉まる音と共に、寝室に静寂が訪れた。

 ミーシャがやっちまった、と顔を手で押さえてから、しばらく。


「ミーシャちゃん!? 大丈夫なの!?」


 どたどたと騒がしい音を立てて姿を現したのは、お茶会のために呼ばれたアイリスだった。


「あ、アイリスぅ……」

「あれだけアイス食べるときは暖かくして寝なさいって言ったじゃない! 熱はあるの? 体はだるくない? 何か欲しいものはある?」


 右手でミーシャの小さな手を、もう片方で額を押さえながらアイリスが立て続けに問いかける。その後ろでは、ようやくふらふらと寝室に入って来るエリクシアの姿があった。


「ミーシャさん……すみません、急に行っちゃうもんですから……」


 よほど勢いが強かったのだろう、未だに肩で息を鳴らしているアイリスの姿から、その壮絶さは容易に想像できた。


「あなた、ミーシャちゃんの悪魔さん? ミーシャちゃんは大丈夫なの?」

「えっ……? あ、はい! お薬は飲ませたので、あとは安静にしていればすぐに元気になりますよ」


 落ち着かせるような声色に、アイリスも安心したのか長い息を吐いた。そうして熱っぽいミーシャの額から手を離し、両手でミーシャの手を包むと、アイリスが視線を合わせて口を開く。


「ミーシャちゃん、ホントに体調だけは気をつけるのよ? いくら悪魔さんが出てこれるからと言って、あなたは一人暮らしなんだから」

「うう……わかってるわよ……、へくちっ!」


 小さくくしゃみをするミーシャに、アイリスが優しくシーツを被せる。そして頭を軽くぽんぽん、と叩くと、見守るような視線を向けるエリクシアに向き直った。


「悪魔さんもありがとう。あなたがいなかったら大変だったわ」

「いえ、当然のことをしたまでです! それよりも……」


 と、エリクシアが視線を逸らし、アイリスのことを見上げているミーシャへと目を向ける。そうしてくすりと笑うと、再びアイリスへと目線を戻して続けた。


「私はミーシャさんへ薬を作ったただけですから。あとはあなたが身の回りのお世話をしてあげて下さい」

「あらそう? それじゃあ……」

「ちょっ、なんでよ!」


 自分を無視して進んで行く話に、ミーシャが口を尖らせる。だがそれを諭すかのように、エリクシアがベッドの反対側へと歩き、口を開いた。


「いいですかミーシャさん。病は気から、とよく言います。ですから私なんかがお世話をするよりも、大好きな人にお世話をされた方が嬉しでしょう?」

「だ、誰がアイリスのことなんかっ」

「それに私がこっちにいると、ミーシャさんの魔力もずっと使っちゃいますから。あとはアイリスさんに任せて、ゆっくり休養して下さい」

「くそ……ちくしょう……!」


 歯を食いしばるミーシャだったが、エリクシアの言う事に間違いはない。赤く染まった頬は、風邪のせいではないように見えた。


「それじゃあ私はこれにて! 後は頼みました!」

「うがーっ! 待てこのやろぉー! にやにやするなぁー!」


 じたばたとベッドで暴れるミーシャをからかうように、真上からぽとりと黒杖が落ちてくる。揺らいでいた水面は元のシミだらけの天井に戻り、ぜえはあと肩で息をしながら、ミーシャはふとアイリスの顔を見上げた。


「ミーシャちゃん」

「……なによ」

「欲しいものがあったら何でも言ってね? 色々お世話してあげるから」


 にまにまとした笑みを浮かべているアイリスに、思わずミーシャがシーツへと顔を沈める。どうして倒すはずの敵に親身になって世話をされなければならないのだろうか。アイリスの無垢な笑顔が、ぐさぐさとミーシャの心に突き刺さっていた。

 しかし、こうして悪魔を召喚して魔力を使い切ったせいで余り動けないのも事実。それにもしここで断ると、それはそれでアイリスが面倒くさくなりそうだし、そんなアイリスを風邪を引いた状態で応対するのも辛いものがある。

 長いため息をついたミーシャは被ったシーツから目だけを出し、アイリスを見上げて小さく呟いた。


「……りんご」

「ん?」

「りんご、……むいてほしい……」


 ぱぁ、とアイリスが目を輝かせ、ミーシャに優しく問いかける。


「ウサギさんがいい? それともカニさん?」

「…………どっちも、見たい」

「ふふ、わかったわ。すぐに用意するからね」


 そう応えてアイリスが寝室を後にした途端、ふわりと浮かぶような感覚がミーシャを襲う。そして同時に感じる瞼の重みに、ミーシャの意識がゆっくりと閉じていく。突然の魔力の喪失に、体が限界を迎えたらしい。

 ぼんやりと歪む視界を眺めながら、ミーシャは暗闇に包まれた。



「ミーシャちゃん?」


 整えられたリンゴの切り身が乗った皿を手にしたアイリスが、寝室の扉を開く。そしてシーツにくるまって、すぅすぅと静かな寝息を立てているミーシャの顔を覗き込むと、アイリスは優しく微笑んだ。


「ふふ、寝ちゃったのね……」


 リンゴの乗った皿を醸造台の隣に置いて、アイリスがベッドの隣に腰かける。そうしてミーシャの寝顔を眺めていると、ふとその小さな手が顔を出しているのが目に映った。

 ゆっくりと動く細い指は、まるで何かを掴もうとするように幾度もシーツの上を這う。その柔らかな熱のこもった指に、アイリスは自分の手を優しく重ねた。


「……あい、りす?」


 薄く開いた唇から発せられる声に、アイリスがあら、と思わず小さく呟く。困り顔で寝言を口にするミーシャに、どんな夢を見ているのだろう、とアイリスは頬に手を当てながらその様子を見守っていた。


「あいり、す……アイリスぅ……」


 立て続けに名を呼ぶミーシャに、アイリスがくすりと微笑む。その手の内にあるミーシャの右手は、しっかりとアイリスの左手を握っていた。


 金の髪を揺らし、ミーシャがシーツに顔を擦りつけて、唸り声をあげる。風邪の熱によるものなのか、彼女の顔はいつもよりも険しいもののように思えた。

 いつものミーシャなら見せることのないそのしおらしい表情に、アイリスが思わず笑みをこぼす。ミーシャには少し悪いが、今日は来て良かった、とアイリスはそう思っていた。


 と。



「……おいて、いかないで……アイリス……」



 白魔女の顔から笑顔が消えたのは、突然のことだった。


「なん、で……しんじてた、のに……」


 乾いた静寂が、二人の間を包み込む。アイリスの背筋を、ぞわりと何かが撫でた。そしてその翡翠の瞳は、大きく見開かれている。古傷をナイフで抉られたような、まさにそんな感覚だった。


 表情を失った白魔女に、黒魔女の言葉は続く。


「どこ……いっちゃう、の……どう、して……」

「ミーシャちゃん」


 続く言葉を遮るように、アイリスが口を開く。

 例えそれが意図したものでもなく、封じられた記憶だったとしても。


 白魔女であるアイリスは告げなければならなかった。


「私は……あなたの友達は、ずっとここにいるわ。今までも、これからも、ずっと」


 包み込む手は柔らかく、浮かぶ笑みは優しく。自分に言い聞かせるようにも聞こえるようにアイリスは呟いて、ミーシャの頬を撫でる。そのミーシャの手には、握りしめられた赤い痕が残っていた。


「もう、裏切らない。置いていくことなんて、絶対にしないから」


 独白は空に消える。紡いだ言葉は、静寂に溶けていった。


「……んぅ? あれ、アイリス……?」


 小さなミーシャの声が、アイリスの耳に入る。見上げるミーシャの瞳はぼんやりと虚ろで、その揺らめく視界には、心配そうな顔でこちらの事を見下ろしているアイリスの姿があった。

 寝ぼけた頭であたりを見回して、ミーシャが首をかしげる。


「私、寝ちゃってたの?」

「……ええ。とても気持ちよさそうだったわ」

「むぅ、起こしてくれても良かったのに」


 寝顔を見られたのが恥ずかしいのか、ミーシャが口を尖らせる。

 そうしてはっきりと見えてきた視界に、ふとミーシャはとあることに気づき、寝たまま腕を伸ばす。その腕はゆっくりと、アイリスの頬に触れた。


「ミーシャちゃん?」

「ねえ、アイリス」


 戸惑うアイリスに、ミーシャがぽつりと呟く。


「どうして、泣いてるの?」


 ぱたり、と頬を伝う涙が、シーツに跳ねる。覚束ない指で頬を撫でると、そこには涙の痕があった。

 途端に胸が空いた感覚に、アイリスが握っていた手を離して思わず立ち上がる。そうして自らの目元から流れる液体を何度も拭い、アイリスは声を震わせた。


「あら、あらあら?」

「……アイリス」


 虚ろな笑みで取り繕うアイリスに、ミーシャがはあ、と息を吐く。そしてベッドから体だけを起こすと、びし、と腰に手を当てて指をさし、アイリスへと口を開いた。


「いろいろ溜め込むのもいい加減にしときなさい! 何だったら私が聞いてあげるから!」


 そう言って肩をすくめるミーシャを、アイリスはきょとん、と呆けたような顔で見つめていた。そして何かを悟ったようにくすりとほほ笑むと、ミーシャがむ、と眉をひそめる。


「なによ、あんたのこと心配してあげてるのに!」

「ふふっ、ごめんね? でも、ミーシャちゃんがそんなに心配してくれるなんて」


 空に溶けた言葉を胸に、アイリスは笑みを作る。いつの日か見た黄色い花が、ばたばたと暴れるたびに揺れるミーシャの髪の色と、重なって見えた。


「もういいわ、それよりリンゴ! リンゴ早く食べさせなさいよ!」

「はいはい、今持ってきてあげるから」


 あれは無意識の言葉なのか、それとも彼女の本心なのか。アイリスにはそれは分からない。それを知ろうとするのが愚かしいという事なのかも、全ては彼女の記憶が知っている。

 全てを見抜いているのか、はたまた何も知らないのか。そんな黒魔女に思いを馳せながら、アイリスはいつも通り、白魔女として微笑みを浮かべていた。






「ほんとにカニさんだ……! すげぇ……!」

「そうでしょう? 自信作なの」



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