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黒魔女はお掃除がしたい。


 黒魔女ミーシャの住む屋敷は、とても大きい。


 湖のほとりに立つ豪邸で、かつての持ち主がどんな人間だったかは容易に想像できる。放浪していたミーシャが勝手に見つけて、勝手に住み始めた自慢のマイホームである。

 そして、この巨大な屋敷に住んでいるのは、黒魔女のミーシャただ一人。その他には人っ子一人いやしない。たまに来るのは白魔女だけで、基本的に悠々自適な一人暮らしを送っている。

 ただ、一人暮らしをしたとしても、これだけ大きな屋敷だ。いくらミーシャが魔法の研究をするからと言って、全ての部屋をまんべんなく使う訳ではない。


 ゆえに。


「なんでこんなに汚いのよぉー!」


 ミーシャの悲痛な叫びと共に、彼女の周りからネズミやクモが逃げ出していく。お気に入りの三角帽子には、クモの巣が被っていた。

 思い立って掃除をしようものなら、一日二日では終わらない。ミーシャは掃除をするたびに、この屋敷を作ったアホを呪った。おそらくこの世に存在していないが。


「うぅ、げほ……ホコリが目にぃ……!」


 積まれた段ボールを開くと、白い煙と共に箱詰めにされていた本が姿を現した。


 現在彼女が掃除をしているのは、一階の突きあたりにある大きな図書室だった。ここには古今東西の様々な魔導書が保管されており、室内は下手な図書館よりも多くの本棚で埋め尽くされている。

 その中には禁術指定されているものや、まだこの世には出回っていない未知の魔法が記されたものまで多彩である。しかし、そのどれもがミーシャにとっては既に不要の長物と化していた。


「白魔法……これも白魔法……やっぱり、ほとんど白魔法ね」


 埃まみれの表紙をぱんぱんと払いながら、ミーシャが憂鬱げに呟く。


 白魔法。純白の名を冠すその魔法は、俗にいう光の魔法だった。

 聖なる光によって全てを浄化し、万物を幸福で満たす。古代の文献には神との繋がりも記されており、白魔法は他の魔法よりも一線を画す、高度な魔法である。さらにそれは限られた者にしか使うことができず、その力を持つものは神の加護を持つと言われている。


 だがそんなものに当然興味はなく、ミーシャは次々と湧いてくる白魔法の魔導書をぽいぽいと後ろへ放っていく。既に後方には大きな本の山ができていた。

 

「これは、白……これも白……これ、は……あーっ!」


 死んだ目で分別をしているミーシャが、思わず声を張り上げる。


「間違いないわ! 黒魔法の魔導書! こんなとこにもあるなんて!」


 掲げたその本の表紙には、黒魔法の字がばっちりと刻まれていた。ミーシャは目をきらきらと輝かせながら、埃まみれのその魔導書に指を走らせる。


 黒魔法。漆黒の名を冠すその魔法は、俗にいう闇の魔法だった。

 邪なる闇をもって全てを穢れさせ、万物を絶望に堕とす。古代の文献には悪魔とのつながりも記されており、黒魔法は他の魔法よりも扱いが難しい高度な魔法である。

 魔法が確立されてから長い月日が経った今でも研究が進められている魔法で、扱うには相応の知識と努力と根気が必要になる。ゆえに黒魔法を好んで使う者は、あまりにも少なかった。


 一言でいえば、不人気で不思議な魔法。

 それが、ミーシャが得意とする黒魔法である。 


「なになに……黒魔法初級、基礎論理の第三章?」


 分厚い魔導書をぺらぺらと捲りながら、ミーシャがひとりごちる。既に掃除という目的は彼女の頭から抜け落ちていた。


「ああなんだ、この前一個だけ抜けてたやつだわ。こんな所に埋まってたのね」


 そんなこと思い出したミーシャはその場から立ち上がると、大きな本棚の間をぱたぱたと小走りで駆け抜けていく。そうして目当ての真っ黒な本棚を見つけると、魔法でほうきを取り出して、その上へ横に腰かけた。


「ええと、黒魔法初級、黒魔法初級……」


 ほうきで上へあがりながら、ミーシャが黒い本に一つ一つ指で確認していく。そうして一番上にたどり着き、黒い本たちの中に一つだけ空いている隙間を見つけた。

 第二章と、第四章の間。その後ろには、第十三章まで黒魔法の理論書が続いている。


「うん、よし! これで全編揃ったわね!」


 一列に連なった黒魔法の魔導書を見て、ミーシャが満足気に頷く。初級の魔導書が全て揃ったことにより、これで初心者にも安心して黒魔法を教えられる。今日の発見は、ミーシャにとっては中々大きな一歩だった。


「ふふふ、これでまた黒魔法が一歩前進したわ……この調子でいけば、みんなが黒魔法を認めてくれるのもそう遠くないわね!」


 ほうきの上で、ミーシャが腰に手を当てて満足気に胸を張る。そしてゆっくりとほうきを下ろしていき、木の床にすとんと降り立った。

 一面に染まった黒の本棚。改めてそれを見上げていると、ミーシャは心の底から湧き上がる高揚感に、思わず頬が緩んでいた。何ならその場で飛び跳ねたい気分だった。


「よし、それじゃあ掃除の続きを――きゃあ!?」


 そう呟いた瞬間、ミーシャの目の前を何かの影が勢いよく通り過ぎた。突然のことにミーシャは軽く悲鳴を上げて、思わず後ろに身を引いた。どん、と本棚に小さな身体がぶつかる。

 恐る恐るミーシャが顔を上げると、そこには真っ黒なコウモリが飛んでいた。いつから住んでいたのか、そのコウモリはきっきっとあざ笑うかのような鳴き声でミーシャの事を見下ろしている


「なーんだ、蝙蝠か……って、なんか腹立つ!」


 むす、と頬を膨らませて、ミーシャが魔法で取り出した黒杖をふるう。その瞬間、黒い雷が杖の先から迸り、コウモリへと一直線に飛んで行った。

 小さな落雷の音が図書室に響き、爆発が巻き起こる。笑っていたコウモリはチリも残らず消滅し、ミーシャは腰に手を当てて高らかに叫んだ。


「ふっふん、私をバカにするからよ! 地獄で後悔しなさい!」


 はっはっはと笑うミーシャの後ろで、ぐらん、と鈍い音が鳴った。先程の爆発により、黒い本棚がバランスを崩して倒れようとしている音だった。


「ん? 何の音――」


 それに気づいたミーシャが振り向いた時には、既に本棚は彼女の目の前に迫っている。よく分からないミーシャは倒れてくる黒い壁を見て、ぽかんと口を開けたままだった。


 そして。

 ばたばたばた。どぐちゃ。ずしん。ずんだかだっだん。「あっこれ死ぬ」――と。

 ミーシャの叫び声と共に、さっきよりも各段に大きな音が図書室に響いた。


 それから、しばらく。


「……んぅ、ぶはぁ! あー、死ぬかと思った!」


 出来上がった黒い本の山からなんとか顔を出して、ミーシャが体を這い出す。体についた埃を払い取り、そこらへんに放り投げられた三角帽子を被ると、もう一度悲惨なことになった本棚へと目を向ける。


「なんで……なんでいつもこうなるのよぉー!」


 彼女が昼食にありつけるのは、もう少し先になりそうだった。




 かなり遅めの昼食を取った後、ミーシャは屋敷の庭の掃除に取り掛かった。

 湖を近くに眺められる大きな庭は、ぼうぼうに伸びた雑草で埋め尽くされている。ここ最近、魔法の研究ばかりしていて、外に出る余裕がなかったのだ。自分の膝まである草を見下ろして、ミーシャが重たい息を吐く。


「うーん、さすがにここまで伸びてるとは思わなかったわ……」


 人力でやろうにしても、今日中には終わらないだろう。既に時刻は夕暮れに差し掛かろうとしており、薄くなった空が山の向こうに広がっている。


「しょうがない……悪魔さんにお願いしますか」


 不服そうにミーシャが黒杖を取り出し、その先を地面に向ける。すると彼女の足元を包むよう紫の光が迸り、地面に複雑な魔方陣を刻む。

 黒魔法の一つ、悪魔の召喚。自らの配下とした悪魔の存在を、魔力を介してその場に現界させるという高度な召喚魔法だった。

 

「おいでませ、古き森の災厄さん!」


 ミーシャがそう紡いだ瞬間、周囲の空気が変化する。

 激しい地鳴りと共に魔方陣から現れるのは、枯れ果てたような巨木。それがミーシャの周りから天を貫かんと伸び始め、いくつも絡み合ってはその形を成していく。

 めきめき、ぱきぱき、と音を立てて姿を現したのは、大木で構成された巨人だった。その頭は騎士の鎧のような無機質さを感じさせ、下半身はミーシャを護る籠のような形状をしている。

 

 現界が終わったのを確認して、ミーシャが自身を包む木の籠を掻き分ける。そうして後ろを振り向くと、その異形めいた人影は、沈みゆく夕日を背負ってじっとミーシャの事を見下ろしていた。

 そうして、災厄が枯れ木で構成されたその指を、ミーシャの方へとゆっくり伸ばす。


「久しいな……ミーシャよ……」

「うん、災厄さんもお久しぶり!」


 伸ばされた指に頬を擦り寄せて、ミーシャが頬を綻ばせて笑う。


 古き森の災厄。森の全てを汚し、世界に終焉を振りまく災禍の化身である。

 全ての生命を滅ぼす力を持ち、振るわれる杖は全てを穢れさせる。終わりを招くものとして畏れられ、祟られる森の化身を、ミーシャは自らの配下として従えていた。


 そんな災厄を前に、主であるミーシャは災厄に命令を下す。


「今日はね、ここの草刈りをしてほしいの」

「草刈り」

「そう、草刈り!」


 災厄の指から離れて、ミーシャが庭に生え散らかした雑草へ両手を広げた。


「草刈り、とは……」

「え、知らないの? この草、邪魔だから全部切ってほしいの」


 ほらこんなにぼーぼー、と自分の膝まで伸びた草木を踏みつける。


「できれば全部刈ってほしいんだけど……」

「請け負った……ではミーシャよ、こちらへ……」

「ん? どうしたの?」


 再びミーシャが災厄の指へと近づき、こてんと首を傾げる。その彼女の目の前に、災厄は巨大な指を突き出したかと思うと、その指の先にはから一個の真っ赤な木の実が成っていた。


「レムレスの実だ……それをそなたが食べ終えるまでに、全てを終わらせよう……」

「いいの? ありがとう!」


 朱に染まったレムレスの実をもぎ取って、ミーシャがぱぁ、と笑顔を浮かべる。

 そうして災厄は右手を掲げたかと思うと、その手のからいくつもの枝が伸びる。絡み合う枝は巨大な杖の形となって、災厄はそれを地面に突き刺すと、地獄から響くような声で、ぶつぶつと詠唱を始める。


 しゃり、とミーシャがレムレスの実に歯を立てた。


「全ての森の精よ! 我が杖の糧とあれ!」


 地面に立つ杖から、黒い波と共に穢れが広がった。

 うっそうと茂る雑草は黒い波に揺らされた途端に塵となり、荒々しい大地を露出させる。漆黒の波動は広がり、屋敷の庭は一瞬にして更地と化して、辺りを冷たい風が吹き抜けた。

 全ての生命を滅ぼし、無へと返す災厄の化身。深き森の意志より生まれしその異形たる者は、ゆっくりと巨大な杖を振り上げた。


「我が主の、望みのままに……」


 紅に染まった空を背負い、災厄が静かに紡ぐ。


 すると大地から草木が芽吹き、荒廃した世界へと色が戻る。程よく伸びた草は冷たい風を受けて、さらさらと波をうつ。色とりどりに咲く花が、災厄の虚ろな瞳に映る。

 そしてミーシャの方へと向き直ると、その指を頬へと伸ばした。


「これで、よいか……?」

「うん、ありがとう! この木の実も美味しかったよ!」

「それならば……よい……」


 指から伸びる細い枝が、ミーシャの手にある木の実のかけらへ伸びる。そうしてその枝が彼女の頭を撫でた後、災厄は伸ばす指を引いて杖を地面に立て、改めてミーシャへと向き直った。


「ミーシャよ……私は、災厄の化身……全ての始原と終焉を司る、輪廻そのものである……」

「ん? どうしたの?」

「……そなたの意志一つで、私は万物を無に帰すことも、新たな世界を作り出すことも出来る……全ては、ミーシャ……我が主の望みのままに……」


 悪魔のささやきが、ミーシャへと降り注ぐ。森羅万象を統べる怪物は、その手を主へと差し伸べる。

 だが、その手は優しい言葉で包まれた。


「世界なんてそんなこといいよ! それより私は、災厄さんがいてくれることの方がうれしいもん!」


 太陽のような笑みを浮かべて、黒魔女が災厄へと両手を広げる。肩で切りそろえられた金色の髪が夕日に反射して輝き、災厄の瞳にはそれが印象深く映っていた。

 しばらく、無言の時間が流れる。ミーシャはえへ、と少し恥ずかしそうに頬を掻いた。


「……それが、我が主の望みならば、そうしよう……それでいい……それがいい……」

「でしょ? 私も、災厄さんといる方が好き!」

「うむ……私も、ミーシャの事は好んでいる……主として、すばらしい人物だ……」

「やだもー、そんなに褒めても何も出ないってばー!」


 頬に両手を当て、体をくねらせながらミーシャが笑う。


「それじゃあ災厄さん、今日はありがとね! おかげで助かったよ! 何かお礼しないと……」

「よい……私はそなたに仕える有象無象の一つである……これしきの事は取るに足らん……」

「そうなんだ……うーん、でも……あ、そうだ」


 考え込んでいたミーシャが、思い出したように手をポンと叩く。


「災厄さん、一緒にご飯食べよう! 私がご馳走してあげるから!」

「……それが、ミーシャの望みであるのなら……」

「うん、よし! それじゃあ今日は外で食べよっか!」


 るんるんと腕を振りながら、ミーシャが夕日に照らされる館へと歩み出す。災厄もそれをゆっくりと追うように地面に生える根を動かし、その巨体を動かす。


「ちなみに災厄さんって何食べるの?」

「私に食事というものはあまり必要ない……故に、何を食べてもあまり変わらぬ……」

「じゃあこの前買ってきたケーキにしよ! すごい美味しいケーキがあってね……」

「そうか……それは楽しみだ……」


 一人の少女と、一体の邪神。その二人の間には、言い得ぬような繋がりがあった。


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