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『あなたを望む』


『フリティラリア』



「呪い」「復讐」


 ――――「愛」



 静寂が花畑を支配する。


 虚ろな双眸が、アイリスの呆然とした(まなこ)を覗き込む。額を貫かんとしている黒い槍は、今も彼女の目の前で鈍い輝きを放ったまま。二人を包んでいる枝はぼろぼろと崩れ落ち、世界を包んでいた漆黒は破れるように虚空へ溶けてゆく。崩れゆく世界の中、二人だけがただただ見つめ合っていた。


 黄金の花畑が、黒の彼女と白の彼女を包む。満たしているのは、一つの望みだった。


「……ミーシャ?」


 果てたような虚ろな表情で、アイリスが唇を開く。


「な、ん……で……き、さま……は、止め、た……?」


 黒い泥を口の端から垂らしながら、ミーシャは空を仰いだ。


「あああうううっ、ぅぅぁあああっっああぁぁぁぁ!? あ、ぎぎいいぃいぃぃいっいぎぎぎ!!」


 吐き出されたのは、引き千切れるような絶叫だった。

 皮膚は裂け、肉がはじけ飛ぶ。根を張った歪な裏切りの化身は、望みの果てに枯れていく。悲鳴と慟哭とがまじりあったその声を聴きながら、アイリスはただただ茫然と目の前の光景をその瞳に映していた。


「どうし、て!? 私は――無駄、だった、のか!? 私は、無意味だったのか!?」


 崩壊していく体に、ぐじゃぐじゃになった声が重なる。


「ああ、私は、貴様のために、わた、わ、あああぁぁあああああああああ!!!」


 そして――訪れるのは、枯死。

 黒百合(フリティラリア)が、散った。


 撒き散らされた血が、黄色い絨毯に黒い模様を映し出す。それはまるで、アイリスの心の中に咲いた、一輪の黒い花のようでもあった。

 とさり、と静かな音を立てて、小さな体が黄色い花々に沈む。


「ミー、シャ……? ミーシャ!?」


 呆然としていたアイリスが、倒れ込むミーシャに声を荒げて駆け寄った。血にまみれた細々とした体は今にも朽ち果てそうで、アイリスがその体を抱くと、ミーシャはゆっくりと首を上げた。


「ご、ぼ、あぃ、りすっ、げぶ」

「喋らないで! すぐに、すぐに治してあげるから……!」


 震えた声でミーシャの手を握りしめながら、アイリスが急いだ手で魔法陣を描く。暖かな光は白と黒の彼女らを照らし、血と泥に塗れた二人の手を優しく包み込んだ。

 

「駄目よ……あなたは、私を殺したいって……そう、ずっと望んできたんでしょう?」

「ちが、う、よ」


 伸ばした小さな指先が、アイリスの頬を伝う涙を辿る。何度も、何度も確かめるようにミーシャの手がアイリスの横顔を撫でて、赤い指の痕を付ける。こうして触れられることが、ミーシャにとってはこれ以上にない喜びのようにも思えた。

 彼女の腕に包まれながら、ミーシャが笑う。


「私は、アイリスを殺す、なんて望んでないもの」

「……どうして? 私はあなたを裏切って、あなたの記憶も消したのよ? 今更、そんな……」


 裏切りの末路も枯れ果て、願いは虚無に尽きる。 

 最後に黒魔女の中に残っているのは、ただ一つだけの望みだけ。


「本当はね、アイリス。あなたと、ずっと、一緒にいたかったの」


 追憶と追想の果て、彼女はようやく辿り着いた。


「私と、一緒に?」

「うん。だって、あなたといた時が、ずっと幸せだったから。あなたがいてくれたら、それ以外には何もいらなかったから。フリティラリアだって、それを望んでた。私の望み、は、アイリスと一緒にいることだか、ら」

「でも、私はあなたを裏切って……一人に、させたのに……」

「そんなの、関係ないよ」


 白魔女の暖かな光に包まれながら、黒魔女は口を開く。


「アイリスの事が、好きだったから。ずっと一緒にいたいって、思えたから」


 血に濡れた白い手を、黒い手が握り返す。何かに怯えるように震えているそれは、彼女の手をもう二度と掴んで離さないようだった。


「一人は、怖かった。怖いから、あなたを望んだ。もう、ど、こかに行って、しまわないよう、に、アイリスをずっと独り占めしたい、って。わがまま、だよね、こんなこと。でも、私は、あなたしかいないから。あなたが居ない世界なん、て、いらない、から」

「……だから、私の家族を殺してくれたの?」

「あなたを不幸にする人たちが、許せなくて、あの人達から、あなたを救いたかった。たとえ、記憶を消されて、も、あなたが不幸になるのは、嫌だったから。あなたが幸せになれるのなら、私は、いなくなっても良かった。あなたと一緒に居られなかったら、私は死んでも良かった」


 途切れ途切れのミーシャの声が、アイリスへと向けられる。


「あなた、と、一緒に居られるだけで、私は幸せ、だった。もう、これだけで、よかった」


 独白は、彼女の心を満たしていた。


「でも、記憶を消された私と、あなたはずっと一緒にいてくれた。まだフリティラリアの影響が消えなくて、あなたに敵意を向けていた私を、あなたは受け入れてくれた。本当、に、嬉しかった」

「当り前よ。あなたが願うなら、どんな望みだって聞いてあげるわ」


 だって――と、アイリスの手がミーシャの手を握る。微かに聞こえる呼吸音はだんだんと弱い物になり、金色の瞳はだんだんと光を失っていった。震える指先を強く握りしめながら、アイリスが口を開く。


「私とあなたの仲じゃない。そうでしょ、ミーシャ?

「……そっ、か。アイリス、は、優しい、ね。」


 にっこりと、ミーシャが笑った。それは、アイリスが今まで見た彼女の中で、一番に幸せそうな表情だった。


「ね、え、アイリス」

「どうしたの?

「私の望み、言っても良い?」


 微かに聞こえる呟きに、アイリスが頷く。


「これからも、私と一緒にいてくれる?」


 十年の過去から続く、ずっと変わらないただ一つの望み。告げられたそれに、アイリスは静かに応えた。


「ええ。もちろん。例えあなたに殺されても、私たち、一緒にいましょうね」


 あのとき果たせなかった約束を、もう一度この胸に。

 黒と白の魔女は、そう誓った。


「ねえ、ア、イリス。私、もう眠いな。寝ちゃっても、いいか、な」

「今日は疲れたものね。起きたらまた、いつもの様にお茶会を開きましょう」

「いつ起きるか、分かんな、いよ」

「大丈夫よ。私はいつまでも、あなたの隣にいるもの。あなたが起きるまでずっと、あなたと一緒に待ってるわ」

「そっ、か。それなら、よかっ、た」



「……大好きだよ、アイリス」

「ええ、私も大好きよ、ミーシャ」




 ――黄色い花畑に包まれて、あなたは幸せに満たされた。







 暗闇に、一輪の花が咲く。

 漆黒の色をした花弁に、しおれた深い緑の茎。今にも枯れて落ちてしまいそうなそれは、暗黒のなかで、ただ一つ咲いていた。望みの花は既に枯れ、散り落ちる。悲願は果たされることはなく、ただただ消えていく。

 その花を摘むひとがいた。


「あ、こんなところにいたの? まったく、見つけづらいんだから」

「…………」

「でもよかった。あなたが居ないと始まらないものね。うん、よし! 帰ろっか!」

「……どこ、へ?」

「どこ、って……決まってるでしょ? ほら、行くよ」

「私は……貴様とは、相容れない……既に、望みは尽きた……花も、枯れ、残るのは、何もない……」

「……何言ってるの、フリちゃん」

「あ……?」

「あなた、こんなに綺麗に咲いてるじゃない。つやつやの茎に、夜みたいに深い花びら! すごく素敵! ふふ、黒魔女の私にとっても似合いそうで、いいじゃない、フリちゃん」

「……なぜだ? 私の望みは、消えたはず……」

「そんなことないよ」

「なに?」

「あなたの望みは、まだ尽きてない」

「……ああ、そう、だったのか」

「うん。だって――」




「だって私は、アイリスと、ずっと一緒にいたかったから」



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