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黒魔女は探しものがしたい。


 黒魔女の朝は早い。


 珍しく寝起きが良かった黒魔女は、軽めの朝食を摂ったのち、いち早く自らの屋敷の庭へと足を踏み入れた。とある邪神によって整えられたその庭は、爽やかな朝の空気に包まれている。冷たい風を頬に受け、お気に入りの三角帽子とローブを身に着けた黒魔女は、うんと一つ伸びをした。

 軽く吐息をした後に、黒魔女は魔法の黒杖を右手に握る。太陽の光を吸い込むほどに黒い杖は、黒魔女の手の内で鈍く光っていた。魔法で取り出したそれを黒魔女は手の内で遊ばせて、何かを考えるような素振りを見せる。そうして思いついたように指を鳴らすと、その黒杖を両手で握り、地面へと突き刺した。


 周囲の空気が重くなり、集められた魔力が黒杖を中心に、魔方陣となって広がっていく。膨大な魔力が流れるのを感じ、黒魔女は息を一つ吸い込んで、その言葉を紡いだ。


「おいでませ、ファフニール!」


 そして、世界に業火が訪れる。


 舞い上がる炎は黒魔女の周囲を包み込み、紅に染まる炎柱が燃え上がる。三角帽子を吹き飛ばすほどに猛々しく燃える焔は、黒魔女の眼前まで迫り、彼女の世界を炎獄に包みこんだ。そして包み込む炎の幕は緋色の爪によって切り開かれ、獄炎から現れたのは一匹の龍だった。

 昏き紅に染まる鱗に、全てをかき喰らう(あぎと)。強靭な四肢は大地を掴み、天を貫かんとするほどに伸びる角は、赤熱した鉄のように燃え上がる。空を多い尽くすほどの翼は夕日の色に染まり、黒魔女の真上には夕焼けが広がっていた。


 ファフニール。獄炎を司り、世界に焔をもたらす邪龍である。


「ふむ……ミーシャか」


 白牙から洩れる吐息に乗せて、邪龍が重い声を上げる。そうして伏せた瞳を開き、黒魔女に仕える者として、ファフニールは自らの主へと視線を向けた。


「うん、ふにーちゃん、おはよう!」


 寝癖でぼさぼさになった髪を気にすることも無く、ミーシャが腕を上げてファフニールに返す。口の端には今朝食べたジャムがついていた。主の威厳もクソもあったものではなかった。


「……ミーシャよ、こちらへきなさい」

「ん? どうしたの?」


 首を傾げて近づくミーシャを、静かに燃える炎が包み込む。揺らめく炎は形を変えて、まるで蛇の様にうねりながらミーシャの髪へと纏わり始める。


「わっ、ふにーちゃん?」

「心配せずともよい……熱くはないだろう?」

「ん……あれ、ほんとだ」


 不思議そうに声をもらすミーシャの髪に、ほんのりと熱を持った焔が触れる。そうして揺らめく炎は金の髪を優しく撫でて、ぼさぼさだった彼女の髪を丁寧に梳いた。

 ひとしきり髪を整えた後に、柔らかい炎は頭をぽんぽんと叩く。ミーシャはくすぐったそうに口元を緩める。


「そなたはまだうら若き少女の身である。身の振る舞いには気を付けた方が良い」

「むぅ、アイリスと同じこと言ってる……」

「私もその者も、そなたを思っての事だ。それと、口元に食べ物のあとがついている」

「えっ、うそ!?」


 口の端っこについたジャムをあわてて指ですくい、その指をミーシャがぺろりと舐める。するとどこからか飛んできた三角帽子がミーシャの頭に深く被せられ、腕代わりの炎を消しながらファフニールはその目を細めた。


「それでよい。麗しいぞ、ミーシャよ」

「うぅ、そんな面と向かって言われても……」


 三角帽子のつばを両手で握り、ミーシャが少しだけ顔を赤らめさせる。そういった言葉を貰うのには、慣れていないようだった。


「して、ミーシャよ。此度の召喚は、如何様に?」

「あ、そうだった。えっとね……」


 そう呟いてミーシャが頭の上の三角帽子に手を突っ込み、ごそごそと中身を漁る。そこから取り出したのは、一枚の古ぼけた地図だった。

 地図を手に持ったミーシャは、首をもたげたファフニールの横に立ち、丸められた中身を広げる。巨大な青の双眸と、小さな金の瞳が同じように地図を見下ろした。


「ちょっと欲しい素材があるの。それで、ふにーちゃんに運んでもらおうと思って」

「うむ、良いだろう」


 大きな赤い丸が付けられた地点を指さして、ミーシャがファフニールの顔を覗き込む。


「ここの西の竜峰ってところなんだけど、ふにーちゃん知ってる?」

「ああ、知っているとも。そこなら直ぐに着くだろう」

「ほんと? じゃあ、お願い!」


 目を輝かせ、ミーシャが地図を持ったままファフニールの赤い角へと手をかける。そのまま長い首へとよじ登ると、ゆっくりと首の上を伝い、大きな翼の付け根へ挟まるようにちょこんと座り込んだ。

 背中にミーシャの小さな体が乗ったのを確認して、ファフニールが夕焼けの翼を広げる。


「それでは、行くとしようか」

「うん、よろしくね!」


 赤い邪龍が地面から浮かび上がり、背中の黒魔女は三角帽子を押さえて応える。

 朝の光に照らされながら、ファフニールは西へと飛び立った。



「してミーシャよ。そなたの探し物というのは?」


 大陸は既に遠く、翼の下には穏やかな海が広がっている。風で飛ばされないよう、魔力で体の周りを覆っているミーシャはふとファフニールからそんな言葉を投げかけられた。


「えとね……らくりゅーのみ? ってやつ」

「ふむ、落龍の実か」


 ミーシャの応えに、ファフニールが意外そうに返す。


「もちろん食べるのだろう?」

「そうなの! ケイン……あ、知り合いのケーキ屋さんに訊いたら、その木の実を使って作るケーキはもう最高に美味しいらしくって! だから、今度作ってもらうための材料集めってわけ!」


 頬に手を当てながら、ミーシャがまだ見ぬケーキへと思いを馳せる。あのケインがミーシャへ何の誇張もなしに美味いものだと言ったのだ。その味は想像できないほどのものなのだろう。

 自分の体の上でヨダレを垂らしているミーシャへ、ファフニールが口元を緩める。


「しかしミーシャ、落龍の実を探すのは難しいぞ。そもそもあれは龍が空から落ちるとき、その空の下で育つ果実。ちゃんと実が生ることでさえ中々に珍しいものだ」

「えっ、そうなの?」

「ああ。それにこの時期になると、もう実っているものはほとんど採られてしまっているかもしれんな。あの実の旬は初夏から真夏にかけてだから、採りに行くにはよい時期ではあるが」

「うぅ……それ知ってれば、もうちょっと早く行ったのに……」

「なに、まだ探してもいないのだ。残念がるにはまだ早い」


 ちょっとしょんぼりしたミーシャに、ファフニールが笑って返す。


「それと、西の竜峰はここよりも少し寒いぞ。何か羽織るものは持ってきたか?」

「あ、ごめん……何も持ってきてないや」

「ふむ、それならば」


 そうファフニールが呟いた瞬間、ミーシャの周囲を再び暖かい炎が包み込む。そうしてまとわりつく炎は形を変え、ゆったりとしたマフラーとなってミーシャの首元へまとわりついた。


「わ、あったかい」

「これをつけておくとよい。凍える事はないだろう」

「うん! ふにーちゃん、ありがと!」

「だが案ずるでないぞ。もしかしたらあちらには雪が降っているかもしれん。少しでも寒いと思ったら、すぐに私のそばに寄りなさい」

「わかった!」


 かけられた炎の布を握りながら、ミーシャが笑って答える。ぬくぬくと熱を持ったその薄布を大事そうに手で押さえながら、ふとミーシャは思い立ったように口を開いた。


「ふにーちゃんって、すっごく物知りだよね」

「む……?」


 かけられたミーシャの言葉に、ファフニールは意外そうな唸り声をあげた。


「だって珍しい木の実のことも知ってるし、遠くの方のことも知ってるもん。私の知らない事、いっぱい知ってるから」

「なるほど……それならば、私はミーシャより多くのことを知っているかもしれない。そもそも私とミーシャでは、生きている年数が違う」


 かたやまだ少女とも呼べるような外見の黒魔女と、かたや世界に終焉を告げるような邪龍である。多くの人間から畏れられたその龍は、ミーシャが決して見ることのないような、様々な世界をその青い双眸で眺めてきたのだ。


「しかしミーシャは、黒魔術のことをたくさん知っているだろう?」

「うん、だっていつも使ってるからね! 黒魔法で知らない事はないよ!」

「ならば、そういうことだ。私はいつも黒魔法を使わない。だがいつも空を飛び、様々な景色を眺めている。つまり私はこの空を。ミーシャは黒魔法という空を飛んでいるのだ」

「ふーん……」


 どこか羨ましそうに視線を泳がせながら、ミーシャがファフニールへ返す。


「……もしミーシャが望むのならば、私はいつでもミーシャと共にこの空を飛ぼう」

「いいの?」

「もちろん。ミーシャの見たことのない、様々な景色を見せると約束しよう」

「うん! じゃあまた今度、一緒にどこか行こうね!」

「ああ、そうしよう」


 そうして納得したようなミーシャの視界に、ぽつりと白いものが降りてくる。


「あ、雪」

「うむ、そろそろだな」


 いつのまにか燦々と輝いていた朝陽は隠れ、ミーシャが見上げた先には鈍い鉄のような雲と、静かに降り注ぐ白い雪が広がっていた。向こうに連なる岩山には万年雪が覆い被さり、白い雪の中に荒い岩肌を覗かせている。

 先ほどの青いものとはうってかわって、高い波の荒れている海を見下ろしたミーシャにファフニールが声をかけた。


「潮風が強いな。ミーシャ、帽子を深く被っておきなさい」

「どうして?」

「髪が痛むからだ。ひどいと抜け落ちるぞ」


 それを聞いたミーシャが、両手で帽子のつばを強く握る。


「この年でハゲは嫌っ!」

「うむ、それならば大丈夫だ」


 口元に薄い笑みを浮かべながら、ファフニールは荒れた海を抜け、曇り空を飛ぶ。そうして切り立った岩山をゆっくりと旋回し、中腹にある開けた崖へと降り立った。

 辺りに大きな風圧をまき散らしながら、ファフニールが翼を畳む。そして周りを見渡した後、その首をゆっくりと地面へ着けた。


「滑らぬように」

「はーいっ」


 燃えるような紅のマフラーを身に着けたミーシャが、さく、と地面へ足を踏み下ろす。薄い雪に足跡を付けながら、ミーシャはファフニールのほうへと振り向いた。


「こんなところにあるの?」

「うむ。落龍の実は、ある程度高い場所にしか実らない。頂上を目指しながら、道なりに進んでいくとよい。真っ赤な実だからすぐに見つかるはずだ」

「ん、わかった」


 首を持ち上げたファフニールが、岩肌に挟まれた奥へと続く道を指す。そちらの方へととてとて歩いていくミーシャを追うようにして、ファフニールはその大きな身体をのっしのっしと揺らして進んでいく。

 切り拓かれた道は思ったよりも広く、ファフニールは翼で雪を避けながらミーシャの後ろをついていく。その夕焼けの真下でミーシャは雪に足跡を付けながら、ファフニールへと話しかけた。


「ふにーちゃんは、落龍の実って食べたことあるの?」

「ああ、あるぞ。あれはとても美味だったな……」


 その当時の事を思い出したように、ファフニールが思いを馳せる。


「落ちた竜の実というのが、あれほどまでに美味だったとは。長い間を生きてきたが、食べてきた果物ではあの実が一番印象に残っている」

「物知りなふにーちゃんがそこまで言うなんて、すごくおいしいんだね」

「ああ。ミーシャにも是非に味わってもらいたいものだ」


 ファフニールが目の前を歩くミーシャへ優し気な視線を向ける。


「でも、ふにーちゃんは生で食べたんだよね? ってことは、とれたてが一番おいしいのかな」

「一概にそうとは言えないな。その料理人の腕が確かなら、落龍の実は最高の材料になるはずだ。特に甘味にするのなら、あの果汁はいい」

「そんなに甘いんだ。じゃあケインには頑張ってもらわないとね!」


 などと軽い会話を交わして歩いていると、ミーシャの眼前に蔦の這う崖が姿を現した。どうやら突き当りになっているらしいその嶮しい崖を見上げると、上の方には、さらに奥へと続く小さな洞窟が顔を覗かせている。


「頂上はあの先みたいだが」

「うん、もうすぐだね」

 

 崖の前に立ったミーシャが調子を確かめるように、蔦を手元へ手繰り寄せる。ぐいぐいと引っ張ると、枯れかけた蔦はみしみしと危なげな音を立てた。


「ミーシャ、背中に乗るといい。ここを上るのは……」

「よっし、頑張って登ろっか!」


 危険だ、というファフニールの言葉を遮って、ミーシャがふんすと鼻を鳴らす。そうしてかさかさの蔦へと足を駆けると、ミーシャは短い手足を小さく動かしながら、蔦のひしめく崖を登り始めた。

 体が軽いのか、はたまたこういった事に慣れていたのか、思いのほかひょいひょいと登っていくミーシャを、ファフニールは心配そうに見つめている。その大きな翼は、既に半分ほど開かれていた。


「ミーシャ、危ないぞ。今からでもいいから、降りたほうがよい」

「だいじょーぶだって! あと少しだし!」


 下にいるファフニールの方へと振り向きながら、ミーシャが得意げになって答える。


「それにこんなところまでふにーちゃんに頼ってたらダメだし! 私一人でもできるもん!」

「しかし、だな」

「まあ見ててって! ほら、もう頂上」


 ぶちっ。


「うおおおおおぉぉぉ!! やべえええぇぇ!!」


 握った蔦は情けない音を立ててちぎれ、ミーシャが野太い悲鳴と共に宙を舞う。ひゅー、とじたばた手足を動かしながら落ちていくミーシャの視界には、紅の翼がはためいていた。


「へぶぅっ」


 顔面から真っ赤な鱗へ追突したミーシャが、潰れた声を上げる。


「……次からは私を頼りなさい」


 ため息交じりに翼を動かして、ファフニールは背中のミーシャへと呟いた。


「あ、ありがと……ごめんね、ふにーちゃん」

「よい。こういう時は素直に飛べ、と私に命じるものだ」


 鼻を赤くし、涙目になったミーシャに呆れたような視線を向け、ファフニールは翼を動かす。そして崖の上で大きな翼を折りたたむと、長い首をもたげてミーシャを地上へと降り立たせた。

 涙をぐじぐじと袖で拭くミーシャに、ファフニールが静かに告げる。


「ミーシャよ、そなたは私の――私達の主である」


 重く響く邪龍の囁きに、ミーシャは顔を上げた。


「そなたが望むのなら、私達は敵を切り裂く剣となり、そなたを護る盾となる。そなたに新しい世界を見せるための翼となり、そなたの意思を継ぐ礎ともなろう」


 黒魔女に召喚されたものとして。ミーシャという主に仕えるものとして。炎の邪龍はその言葉を、ミーシャへと諭すように紡ぐ。


「私達はそなたに身を捧ぐと誓った身。ミーシャが願うならば、その意思に動く傀儡として、私達はその身の全てを尽くそう。全てを尽くし、その願いに応えよう」


 青く光る眼光は、黒の魔女へと向けられる。金色の瞳は、ただじっと赤の龍を写していた。


「我が主の、望みのままに」


 その言葉と共に、しん、と静寂が訪れる。風の吹く音が、どこか遠くで鳴り響く。

 ぽかんと口を開けたままのミーシャに、ファフニールはいつもの調子に戻って、小さく息を吐いた。


「……つまり、もっと私達を頼れということだな」

「そういうものなの?」

「そういうものだ」


 どこか不思議に思う様子で、ミーシャが顎に手を当てる。その思考を遮るように、ファフニールは口を開いた。


「さあ、ここを抜ければ頂上だ。ミーシャ、進もうか」

「……うん、行こっか!」


 その声に笑顔で応じ、ミーシャは首を縦に振る。幼い黒魔女と巨大な邪龍は、同じ道を歩む。


 かくして。




「ついたーっ!」


 三角帽子のつばに雪を積もらせながら、ミーシャが両手を掲げて笑顔で叫ぶ。その真上に大きな翼の傘を広げたファフニールが、とてとてと走り出すミーシャの後をゆっくりと追った。


「ここにあるの?」

「ああ、このくらいの高さならばすぐに見つかるだろう。だが足元には気を付けるように」

「はーい」


 薄く敷かれた白色の絨毯に小さく足跡をつけながら、ミーシャがきょろきょろと辺りへ視線を向ける。後ろには嶮しい壁がそびえ立ち、その周囲には曇り空がどこまでも続いている。


「探すべきは細い枝だ。あれは木の実というよりは細い枝に生える花に似ているからな」

「でもでも、こんなに雪が降ってたら分かんないかも」

「なに、心配することはない。これくらいの雪なら、それに埋もれてしまうこともないだろう」


 などと会話を交わしてから、しばらく。

 ひとしきり辺りを見回したミーシャは、不満そうに口元を尖らせながらファフニールへと向き直った。


「どこにもないよ?」

「……まだ分からぬ。もう少しよく探してみるといい」


 とは言ったものの、ミーシャとファフニールの周囲は全て雪に覆われている。探しようもないその情景に、ミーシャはふらふらと辺りをうろつきながら、切り拓かれた平地の端までたどり着いた。

 足元の雪を払いながら、ミーシャが膝を折ってうずくまる。 


「この下とかないのかな?」

「うむ、探してみると良いかもしれぬ」


 そう軽く返して、ミーシャが恐る恐る崖の下を覗き込む。


「落ちぬようにな」

「うん、だいじょうぶ」


 眼下には深い森が広がっていて、緑色の木々に白い雪が砂糖の様に被さっている。崖の表面は荒々しい岩肌で、身を乗り出しながらそう眺めているミーシャの視界に、ふと目に留まるものが一つ。


「あっ、あれ!」


 崖から突き出る小さな枝には、真っ赤な木の実がいくつも成っていた。

 見つけたその紅色にミーシャがぱぁ、と目を輝かせ、ファフニールの方へと向き直る。


「ふにーちゃん!」

「ああ、まさしくあれが落龍の実だ。よく見つけたな」


 そのファフニールの答えに、ふとミーシャが困ったような声を上げる。


「でも、あんなところ取れないよ……」

「ふむ……」


 呆れのような、応じるような声でファフニールが翼を一つはためかせる。


「ミーシャよ」

「えっと……いいの?」

「無論。この翼は、そなたの翼だ」


 広げられた紅の翼はミーシャを覆いつくし、あたりを夕焼けの空が包み込む。

 地面につけられた頭にミーシャが足を乗せると、邪龍は雪の降る空へと飛び立った。


「落ちぬように」

「うん、わかった」


 鉄が赤熱したような角にしがみつき、ファフニールの眉間に座り込むミーシャが頷く。ファフニールは翼を今一度大きく動かし、崖へその大きな体を寄せる。

 だんだんと近づく赤い色をした木の実のうちの一つに、ミーシャの目の輝きが強さを増した。


「ミーシャ、届くか」

「うんっ、だい、じょうぶっ……!」


 途切れた声をあげながら、ミーシャが震える手を伸ばす。伸ばされた小さな手のひらは、冷たい空気を何度か掴み、その果実へと辿り着いた。角を握る手を強くして、ファフニールの眉間へとへたり込んだミーシャは、手の内に収まる落龍の実を見て、ぱぁ、と明るい笑みを浮かべる。


「とれたっ!」

「おめでとう、ミーシャ」


 赤い果実を掲げたミーシャが、ファフニールの言葉にもう一度枝へと視線を向ける。

 細い枝に実っている残された木の実は、砂糖菓子のようにまぶされた雪の下で、赤い光沢を放っている。


「誰も見てないだし、全部とっちゃえ!」

「その方がよい。あって困るものではないからな」


 そう呟くファフニールの頭の上で、ミーシャは木の実を一つずつ三角帽子へどんどん詰めていく。そうしてたくさんの木の実の詰められた帽子を抱きしめて、ミーシャはその中を覗き込みながら、ファフニールへと口を開く。


「見てみて、ふにーちゃん! こんなにいっぱい取れた!」

「ああ、素晴らしいな」

「これもふにーちゃんのお陰だよ! ありがとね、ふにーちゃん!」


 ミーシャの明るい笑みに、ファフニールが静かに目を伏せる。まるで呆れとも諦めとも取れるその表情を浮かべながら、ファフニールが牙を開く。


「ミーシャよ、礼には及ばぬ。それはそなたの力で勝ち取ったものだ」


 ファフニールの言葉に、ミーシャは不思議そうに首を傾げる。


「私はそなたに仕える者であり、そなたのために羽ばたく翼である」

「でも、ふにーちゃんは私のために力を貸してくれたんでしょ?」

「そうだ。そなたに従える者として、当然のことをしたまで。だから、礼などはいらぬ。むしろ当然のこととして受け取るとよい」

「そんなことないと思うんだけどなぁ……」

 

 諭すファフニールの言葉に、ミーシャがむぅー、と不満そうにほっぺたを膨らませた。


「ミーシャは優しすぎる」

「やさしすぎる……そうなの?」

「ああ」


 翼を動かし、薄い雪にミーシャを下ろしながらファフニールは続ける。


「ミーシャのその優しさは誇るべきものであり、その光に私は惹かれたのだろう。しかし、時にその光はミーシャの目を眩ませ、優しさはそなたの後ろから刃を突き立てる。そうすれば、そなたの翼は落とされてしまうかもしれぬ」

「だけど、今まではそんなことなかったよ?」

「ではこれからは? そなたが歩む道の先は、どうだ」


 ミーシャの言葉を遮るように、ファフニールは問いかける。


「私は終末の権化として、様々な者と出会ってきた。そなたのような輝きを放つ者とも出会い、幾度となく剣を交えてきた。そして、その末路を私はこの目で見届けた。彼らの結末は……ひどいものだった」

「……私も、そうなっちゃうの?」

「いや。ミーシャは、そのような終わりを迎えるべきではない。そなたの終わりは……幸せに満たされなければ」


 怯えたような表情のミーシャに、終焉を司る龍は告げる。


「私は、ミーシャが心配だ。そなたの終焉が、どうなるのか」


 一迅の風が吹き抜ける。冷たい風が、ミーシャの髪を揺らした。


「……すまない。一介の従者が、口を挟みすぎたな」

「ふにーちゃん?」


 申し訳なさそうに目をふせて、ファフニールは首を垂れる。そうしてミーシャに乗るように首を少し動かすと、ファフニールは三度その大きな翼を広げた。


「さあ。帰るとしようか、ミーシャよ」

「うん」


 羽ばたくファフニールの上で、ミーシャは膝を抱えてうずくまる。

 雪で覆われた森を眼下に、ミーシャの金の瞳はどこか遠くを見つめていた。



 輝く夕陽を受けながら、ファフニールは翼を折りたたむ。辺りには旋風が巻き起こり、ミーシャは木の実の帽子を飛ばされないように両手で抱えながら、ぴょんとファフニールの体から飛び降りた。

 整えられた庭にミーシャが座り込み、帽子の中を確かめるようにごそごそ漁る。その中から真っ赤に熟れた木のみを手に取ると、ミーシャはファフニールの青い瞳の前へと差し出した。


「みてみて、こんなに取れた! すっごくおいしそうだよね!」

「ああ。そなたのためになったのなら、何よりだ」


 にっこりと笑うミーシャに、ファフニールが優しく牙を動かす。するちミーシャは三角帽子を置いたまま立ち上がり、両手を後ろに回しながらファフニールの鼻先へと静かに歩んでいく。

 閉じられた邪龍の咢の前で、ミーシャは少し悪戯めいた笑みを浮かべていた。


「ふにーちゃん、ちょっとお口開けて?」

「どうしてだ?」

「いいからいいから、ほら」

「……それが、そなたの望みなら」


 赤熱した牙は開かれ、ミーシャの眼前で邪龍の咢が開かれる。

 次の瞬間、ファフニールの大きな口の中に、甘い香りが広がった。


「……ミーシャ?」

「どう? 甘いかな?」


 開いた顎を閉じると、すぅ、と抜けるような甘い香りがファフニールの口の中を満たす。眼前のミーシャは、すこし意地悪そうに笑っていた。


「……ああ、甘いな。そなたも、この果実も」

「ふふ、よかった」


 呆れたような声のファフニールに、ミーシャは口を開く。


「ふにーちゃん。私ね、ありがとう、って言葉が好きなの」


 少女の声に、龍は沈黙で応えた。


「辛いときも、悲しいときも、そうやって言ってくれれば元気になれる。それで、こんなに簡単に自分の気持ちを伝えられるんだもん。すごくいい言葉だと思わない?」


 両手を広げ、爽やかな夕暮れの風を浴びてミーシャは続ける。


「だから、この気持ちを伝えるために、私はそうやって言うことにしてる。将来がどうとか、終末がどうとか、私には分からない。それが正しいのか、間違ってるのかすらも、私には分からない……けどね」


 後ろへ回した両手を組んで、ミーシャがファフニールへと振り返る。


「この気持ちを伝えられるのは、今だけ。全部終わった後じゃなにも言えないから、私はこの気持ちをいっぱい伝えるようにしてるの」


 だから、とミーシャはファフニールの青い瞳を覗き込み、太陽のような明るい笑みを浮かべて告げる。


「ふにーちゃん、ありがとうっ!」


 その眩い笑みに、ファフニールは目を見開いた。口の中に残った甘い香りが、どこか遠くから漂ってきた。


「ミーシャよ」

「ん?」

「そなたは……本当に、優しすぎる」

「あははっ。でもそうやって言ってくれるの、ほんとはちょっと嬉しいかも」


 少し恥ずかしそうに頬を掻きながら、ミーシャが呟く。それにファフニールは小さく息を吐き、口を開いた。


「それでは……私はもう、行くとしよう」

「えー? 何か食べていかないの?」

「問題はない。それに、私はもう満たされた」


 そう言って青い目を伏せたファフニールの体を、紅の炎が包み込む。広がる赤い魔法陣は淡く光り、ミーシャの視界を赤で埋め尽くした。

 爆炎に姿を隠しながら、ファフニールがその双眸を開く。


「そなたの辿る空に、良き終焉があらんことを」


 終焉の龍として。主人に仕えるものとして、素晴らしき終わりを迎えられるよう。

 その小さな呟きは、舞い上がる紅蓮に消えた。


「では、さらばだ、ミーシャよ」

「うん! ふにーちゃん、ばいばーい!」


 包み込む炎に、ミーシャが大きく右手を振り上げる。

 燃えるような夕陽と。輝くような焔と共に、ファフニールはその姿を消した。



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