見えない存在
「おかえり」
サクヤは相変わらず、カウンターに座っていた。
私はおそるおそる、目の前のベルを押してみたが、音は鳴らなかった。そのベルもまた、レイヴァンから託されたプレート同様に、触れるとうっすらと人肌のぬくもりがする。イブキが作った物の共通項として、『体温』を感じるのは間違いないようだ。
「レイヴァンから聞いたんだね、人選のベルの話を」
サクヤは、ふふ、と笑った。
「正直、信じられない話ばかりだろう? アタシが話すとホラ話に聞こえるから、説明の上手なレイヴァンに任せて正解だったね。そういえばアンタ、開拓員になりたいんだろ? チームメンバーを決めないといけないよ」
開拓員がチームであることに、考えが及んでいなかった私は、はっと顔をあげる。したり顔で、サクヤは頷いた。
「でも、ちょうどタイミングが悪いんだよね、新しいチームがこの間出発したばかりで、待機メンバーがあまりいないんだ」
「何人必要なんですか」
私が尋ねると、サクヤは親指を折って、手のひらをこちらにくるりと向けた。
「四人ですか……」
「そ。いないんだよねぇ……いいのがさ……」
「おいおい、聞き捨てならねぇな」
少し離れた場所から、ロブの呼びかける声がする。
「いいのが普通にいるだろ、ここに」
サクヤはロブを無視して、はぁー、と大きなため息をついた。
「困ったわねぇ」
ロブはからかわれていることに腹を立てる様子もなく、カウンターに寄りかかると、言った。
「どこぞの透明人間よりは役に立つぜ。俺を仲間に入れてくれよ」
サクヤはロブをきっと睨んだ。
「こっちだって好きで透明人間やってるわけじゃないわよ。アタシはここを動けないだけ」
ふん、と鼻を鳴らし、サクヤも不遜な態度を取ってはいたが、この二人はとても息が合っていて、長年連れ添った夫婦のように見える。
「アンタがいなくなったら、誰が椅子作るのよ。工事だって遅れるでしょ」
「工事が遅れて困る奴なんか大窟にいねえよ。椅子だって社までの道に、うんと予備を作って置いてあるんだから、何とかなるだろ。最悪、必要になったら呼び戻せばいいじゃねぇか。そのための〈伝魂〉だろ?」
言い合いになるところを、私は制した。
「まぁまぁ。サクヤが寂しいんなら無理には誘えませんから」
「アタシは別に寂しくなんかないわよ! 行きたきゃ勝手に行けばいいでしょ!」
「よし、チーム成立だな」
ロブは白い歯を見せて笑うと、ぐっと手を差し出した。私もその手を握り返す。
「よろしくな」
サクヤは、私とロブの無言の結託に、その時初めて気づいた様子で、口をぱくぱくさせて何かを言い返そうとしていたが、そのとき、奥のドアがばたんと開く音がした。
「ごめん、遅れた!」
私は咄嗟に声をする方を見たが、そこには誰もいなかった。
「遅いわよ」
「遅い」
サクヤとロブは、声の方向に冷たく言葉を浴びせたが、何もない空間に話しかけている二人の異様な光景に、私は体を硬直させた。
「お嬢ちゃん、なに固まってんだよ。さては、こいつに惚れたな?」
ロブは、ドアに向かって声をかけた。
「おい、お前のせいで嬢ちゃんが固まっちまってるぞ」
サクヤは呆れたように腰に手をあてると、盛大なため息をついた。
「またかい……だから素顔で人前に出るのはよしな、って言ってるのに……」
私は、わけもわからず、ロブとサクヤを交互に眺めた。
「二人は、誰に話し掛けてるの?」
「……何だって?」
サクヤはきれいな眉をひそめて、聞き返した。
「誰かいるの?そこに」
私が指差す方を向いて、ロブとサクヤは凍り付いたように動かなくなった。部屋がしんと静まり返る。
「まぁ立ちっぱなしも何だからな。ここに座れや」
ロブは、私の横にあった椅子をひっぱった。
「嬢ちゃんも、いったん座れや。サクヤ、コーヒー」
はいよ、とサクヤはひらりとカウンターの奥に消え、カップとポットを持って戻ってくると、コーヒーを注ぎ始めた。
香ばしいコーヒーの香りが辺りに漂う。サクヤの手によって、テーブルに、計三つのコーヒーが置かれると、率先してロブがカップを手に取った。
「いやあ。やっぱり旨いな、サクヤの入れるコーヒーは」
ロブはなんとか気まずい雰囲気を崩そうとしているのか、私と空の椅子を交互に見ながら話を始めた。
私はどうしたらよいか解らず、無言で黒い液体をすすった。カップの縁の向こう側に見える椅子に、どんなに目を凝らしても、その椅子は空のまま、人の気配すら感じなかった。
「俺のこと、見えないの?」
正面から声が聞こえて、私はこくり、とうなずいた。
サクヤのことが見えた自分に、見えない存在がいることが信じられなかった。
ロブは空の椅子に向かって茶化すように声をかけた。
「まさかお前、新しい能力にでも目覚めたのか? 大窟の亡霊なんて、サクヤだけで十分だけどな」
サクヤが無言でロブを睨んだ。空の椅子からは、のんびりと声が聞こえる。
「どうだろう。特別なことは何もしてないんだけど」
「じゃあ何で、嬢ちゃんには見えないんだ。お前の姿が」
「解らないよ。俺だって、今知ったんだから」
クスクス、と楽しそうな笑い声が聞こえた。
「ミク、ちょっとだけこっち、手伝ってもらえるかな」
サクヤが私の腕を取り、半ば強引に椅子から立たせた。
「あ、はい」
私はマグカップを置いて立ち上がり、サクヤの後についていく。サクヤは、カウンターの奥に私を引っ張ると、青いドアを後ろ手に閉め、私の方に向き合って言った。
「念のため、もう一度確認するけど。あそこの席にいる奴の姿が見えないって、冗談じゃなくて本当よね?」
私は頷いた。
「どういうことなの……」
彼女は、親指の爪を噛んだ。
「彼を、ミクのメンバーに加えたらどうかと思って、無理やりスカウトしてきたんだけど――姿が見えないなんて、想定外だわ。いや、見えない方が好都合なのかしら……」
自問自答を繰り返すサクヤに私は尋ねた。
「彼は、普通の人なんですか?」
「少なくとも私たちの目から見たら、普通の男よ。アンタの方がどちらかっていうと例外」
そう言ってサクヤが私の鼻先に指を突きつけると、私は急に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ねぇ、俺のことが見えない新顔さん!」
扉の向こうから、元気な声が聞こえてきた。
「ミクニです」
「ミクさん、俺は――ヒュー、というんだ」
「ヒューさん」
「ヒューでいいよ、よろしく」
サクヤが、扉から出るよう目配せするのを見て、私はカウンターの外に出ていった。そして、空いた席の前に手を差し出すと、相手がその手を握り返す感触を感じた。
「姿が見えなくても、触れることは、できるのね」
ヒューは、逆に私を握る手に力を込めた。
「そうみたいだね。離したら、俺がどこにいるか、わからなくなっちゃうよ?」
その瞬間、雷に打たれたかのように、私の脳裏にソヨウとの出会いがフラッシュバックした。
(そうだ、私は、ソヨウの手を、振りほどいてしまったことに後悔している、今も)
傷をえぐられた私は、誰の目から見ても明らかなほどに、顔がこわばるのが解る。
ロブは腕組みをして、ぽつりと言った。
「ヒュー、お嬢ちゃんを離してやれ」
すると、あっさりと、手を放す感触があった。
「お嬢ちゃんのその反応からして、ヒューの姿は本当に見えないんだな」
「そうみたいね。ヒューはね、元軍人よ。サバイバル知識も豊富だし、武器の扱いにも長けてる」
「ミクさん、俺はね、今は、大道芸人やってるんだ。大窟の社で、観光客を相手に、日銭を稼いでるんだよ」
突然、宙に赤い玉が浮かぶと、目の前を行ったりきたりした。どうやらジャグリングをしているらしい。
「こいつ、イブキのとこでもこの芸をやって、ステンドグラス割ったからな。あれは普通に貴重だぞ、文化財認定もんだ」
「おかげでイブキには、一生かけて借金を返すことになってるんだ。だから、大窟にも行って稼がないと。貧乏、暇なし、だね」
ヒューはあっけらかんとした声で言った。
「こればっかりはイブキに同情するわ」
サクヤはカウンターで頭を抱えた。
「そんなわけだから、この子も一緒に連れて行ってもらえる? しょうもなくバカだけど、いいやつだから」
「借金まみれの大道芸人だが、確かにこいつの腕は立つ。俺が保証する」
ロブが言うと、ヒューも後に続けた。
「ミクさん、良かったら、俺も一緒に連れて行ってほしいな。ちゃんと仕事はするよ」
「もちろんです、よろしく」
私は即座に言った。
私はこの、大窟において珍しいタイプの、悲壮感のないヒューという人物に――少し興味が湧いていたのだ。
「しかし、ミクニに、こいつが見えない問題は、どう解決する? さすがに見えないままで同行するのは難しいだろ」
しかめ面をしながら、ロブは腕組みをした。
「大丈夫、俺、無視されるのには慣れてるし!」
「いや、大道芸人は無視されちゃダメだろ……」
ロブは呆れ顔で、現実的なツッコミを入れる。
「さっき、ヒューが見せてくれたジャグリングの玉は、私にも見えました」
「道中ずっとジャグリングしろと? 何なら玉にも乗ろうか! 火の輪もくぐれるよ!」
「大道芸からぶれすぎだろ。サーカスでも始める気か……」
ロブの冷静な突っ込みに、私は笑った。すると、サクヤは手をポンと叩いた。
「あ、サーカスで思い出したよ。あれがいいんじゃない?アンタ持ってただろう。変装用のピエロのあれ」
「ああ、あれね」
どこから、ピエロの仮面が取り出されると、私よりも少し上の位置に固定された。空中に浮いたピエロの仮面は、少しだけ不気味だったが、姿が見えないよりは、ずっとましだった。
「これでどう?」
見えます、と即座に答えると、仮面は喜んでいるように、左右に大きく揺れた。
「俺の芸なら、どうやらミクさんにも見てもらえるみたいだね。この仮面だと子供は怖がって泣くし、貰えるお金が少なくなるから封印してたんだけど。まぁいいか」
「視界は遮らないの?」
「ああ、大丈夫。これはイブキが作ってくれたんだ。『お前の顔、邪魔』ってね」
ヒューの口まねは、意外にもイブキの特徴をうまく捉えていて、ヒュー以外の三人は、同時にプッと噴き出した。
「顔が邪魔って……いかにも、あいつが言いそうだ」
「ひどい。でも、ちょっとだけ気持ちは、わかる気がするわ」
ロブとサクヤは、笑いながら顔を見合わせている。
ヒューのことが見えない私は、この会話には参加できない。この時、ほんの少しだけ、ヒューの素顔が見えたらいいのに、と思った。
しかし、目の前で仮面が楽しそうにピョンピョンと跳ねる様子を見ていると、その仮面の様子から、何となくヒューのしぐさは、想像できそうな気もした。開拓員として、一緒に行動を共にする分には、このままでも支障はなさそうだ。
「これで三人は、集まったな。待機してるやつはもういないから、あと一人はスカウト待ちか――」
ロブが心配そうに、ちらりとこちらを見た。